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人間恐怖症だった私が今、人の幸せを本気で願う理由。

私の強みは、目の前の人に全力で向き合えるところ です!

これだけは、胸を張って宣言できます!

私には何かすごい実績がある訳ではありません。
得意なこともないですし、これ!といったがあるわけでもありません。
なにか1つの物事に長けているわけでもないです!

でも!!そんな私にしかないもの。

それは、【 想 い 】 なんです。

これまで、多くの人に言われてきました。


「 音は 感情移入しやすいから
もっと楽にいきなよ 」

「 人のこと考えすぎ。
自分のこと何も出来てないよ? 」

「マインドコントロール下手くそ。
そんなんじゃ社会でやっていけないよ。」



そう、私は私の感情をコントロールすることがとても苦手なんです。

相手の話を聞けば その人の立場に立ってしまい、悲しくなっては涙が出る。

誰かが悩んでいたら、私が何とかしてあげたくなる。

人のことを気にしすぎて、自分が悩んだ時にどうしたらいいのか分からなくなる。

今までの私は本当にこんな感じでした。
だからこそ、この自分の 「 人を想う気持ち 」を 自分の強みだなんて思わなかったし、思えなかった。

自分は感情のコントロールができないダメな人なんだって思い込んでました。

ただ、今は本気で人の幸せを願えることが強みです。
目の前にいる人の想いにとことん寄り添えることが私の誰にも負けない大きな強みです!

ではなぜ、私はこんなにも変わったのか、そしてどこからこんなにも、人を想う気持ちが芽生えたのか。

今日はそんな私の過去を初めてこのnoteに綴ろうと思います。

最初に …

※ 私に全く興味のない人は、別の方のnoteを見ることをおすすめします!

今回のnoteはとても長いです。

さらに、最後まで見てくださった時に 初めて価値を感じて貰えると思います。

ただこれだけは伝えたい!
私に1ミリでもほんの少しでも 興味を持ってくださっている方には、どうしても!!見ていただきたい記事です!

きっと、驚くと思います!( 笑 )

今から書くことは、全て 【 ノンフィクション

全部全部 【 私 】です 。

その事を忘れないでくださいね !!!

休みが無いお母さんに、私たちができること


5歳の頃 親が離婚をし、そこからお母さんと妹と3人の生活。

母子家庭だった為、お母さんが毎日遅くまでお仕事をしてくれていました。
朝も早くに、起きて私たちを起こしてくれます。

家庭科の授業は評価「 2 」のお母さん ( 笑 )

苦手な家事をいつも頑張ってくれていました。

家族でいる時間は少なくて、妹と家で留守番することも多く、お母さんが帰ってくるまでに、内緒でご飯をつくったり、お風呂に入って寝る準備をし、寝たふりをして待っていたり、お母さんを驚かせることが大好きでした!


お母さんの誕生日には、フライングゲットの替え歌や崖の上のポニョの劇を妹と毎日留守番中に練習して、小さい部屋で発表会をしていました。

その時の替え歌を私と妹は、今でも覚えています ( 笑 )
たまに一緒に歌ったりもしてました 😂

今思えば 私の作詞センス無さすぎる ( 笑 )

面白い歌詞にご注目して ご覧ください!👀


フライングゲット / AKB48
cover by おとね と りん


2011年の11月
( ギラギラ容赦ない太陽が )

14日は誕生日!
( 強火で照り付ける Oh the beach )

お誕生日おめでっとう
( 自惚れ温度は急上昇 )

おとねとりんは いつでも一緒だよ
( 落ち着かないのは 真夏の性だね )


りんと おとねは まだ 小さいよ
( 2人 目が合えば なぜか 逸らすのに )

でも お母さんは
( 僕を またすぐ見る )

大人で 可愛いいいいくって!
( 君って もしかしてもしかして!)


お誕生日 今日は楽しく過ごす!
( フライングゲット 僕は一足先に )

今日が一番いい日にしてやる!
( 君の気持ち今すぐ 手に入れようか )

お誕生日 おじいちゃんやおばあちゃんの
( フライングゲット 何か言われる前に )

プレゼン トも その中にあるよ!
( 心の内 ビビッと 感じるままに )


お母さんに 似合うと思う!
( だれといても 微笑み方で )

絶対に絶対に 似合うよね??
( 君が僕に恋を恋を してるのは鉄板)

お誕生日 おめーーーでーとう!
( フライングゲット だから誰より早く )

おとねとりんは 祝うんだ!
( 君のハートの全て 僕のもの )

お母さん おめでとう!!
( 好きだから ラブフラゲ !)

フライングゲット / AKB48

なんて曲を2011年、11年前にお母さんに歌ってプレゼントしたんです 😂

その曲を今でも覚えてるのは、当時の自分なりに真剣に考えてたからだと思います ( 笑 )

私が 誰かに喜んでもらいたい気持ちは、毎日忙しい中で私たちのことを自分のことより優先していつも頑張っていてくれてたお母さんがいたからと言うのも一つの理由かもしれません。

だからこそ、そんなお母さんに喜んでもらいたい!
私たちに、できることはなんだろうって想い続けた結果が今の私になっている、そう思います!

ただ、お母さんはいつも「 ごめんね 」って 私たちに謝るんです。

時間をとってあげられなくてって。
もっと 家族の時間とれてたら とか お父さんに会いたかったよねって。

でも、この日があるから今の私たちはいるんだよって。
「 ごめんね 」よりも 「 ありがとう 」って言える家族でありたいって。
お母さんにはそんなことを伝えたいです!

沢山私たちを想ってくれて、ありがとう。

どん底の毎日の中で生きていた私の過去


小学生の頃、当時の私はと言うと人の目を気にしてばかり。

自分の好きなことを一緒にする!と言うよりは、周りの友達が好きなことを一緒にするタイプの小学生でした!

人に合わせながら生きてきたからこそ、興味のないことでも、学校が終わり家に着くと、そのことについて調べメモ。
歌詞を調べて曲を覚えたり、その人の「好き」が 自分の「好き」になるまで 調べては書いて… の繰り返しをしていました!

そのおかげで、人に合わせることが上手くなり、逆に「自分らしさ」が1ミリもない毎日を送っていました。

友達と話す時も一緒になってそのことについてお話ができる!
ただ、その時間は「楽しい」という感情よりも 「ついていかなくちゃ」という緊張感の方が強く、日が経つにつれて、「 辛い 」と思うようになりました。

日に日にみんなの「 好き 」は加速していく一方で、私はついて行くのが精一杯でした。

ついていけない。どれだけ勉強しても時間が足りない。

無理やり誰かの「 好き 」を、自分にもとりいれさせようとしているからこそ、友達と話す時間が辛くて、涙が止まらない毎日。

自分の本音で話せる場所はなかった。

自分のことを話すということが怖かった。

誰かが喜んでくれたら それでいい。

人に迷惑をかけなければ それがいい。

気付けば、私は 「 私 」という存在自体を消して生きていました。

だからこそ、遂に私は、人と話すことが怖くなりました。

「 誰かといる 」ということは、「誰かに合わせて生きる 」ということ。

それは辛くて苦しいことで、私は学校に行けなくなりました。
いわゆる、【 不登校 】になったのです。

人間恐怖症になった私に手を差し伸べてくれた人


学校に行けなくて、行けたとしても保健室登校。

そんな私が唯一お話出来たのは、心理カウンセラーさん でした。

最初は疑いの目しか無かったけど、勇気を出して自分の話をすると、最後まで聞いてくれたんです。

そんな私にカウンセラーさんはいいます。

「 おとちゃん、作文書いてみよっか !」

私は人間恐怖症になったけど、毎日の授業は大好きでした。

考えること、追求すること、なにより文章を書くことが大好きで、「 自分新聞 」という日々の日記を新聞にする課題を出されると、1枚提出なのに、8枚提出してしまうほど ( 笑 )

それくらい 言葉とか文章を書くということが大好きでした!

だからこそ、作文にありのままの想いを書きました。

作文を書く時だけは、自分の心に素直になれた。

ただただ、すごく楽しかった。

そして、気付けばなぜかその作文が町内人権フォーラムに選出されて、人前で発表することになったのです。

本当に怖くて震えが止まりませんでした。

ここにある私の素直な想いを伝えたら、みんなに否定されるんじゃないかという恐怖に襲われていました。

そんな時、背中を押してくれたのは、やっぱり心理カウンセラーさんでした。

その後押しもあり、私は発表することを決め、初めて自分の想いを人前で打ち明けたんです。

初めて自分の想いを打ち明けた日


発表後に原稿用紙を机に置き、何秒後かにゆっくり目線をあげると、みんなが手を挙げてくれていました。


「 音さんの作文素敵でした。
実は 僕も 〇 〇 〇 な事で悩んでいて … 」

「 私も音さんみたいに思ったことあります 」


ただ思ったことを言ってる。
本当にただそれだけの言葉なのかもしれないけど、このみんなの発表がとてもとても嬉しかったのを覚えています。

私が 勇気を出して発表したことで、誰かの心の声も聞けたようなそんな感覚。

私が勇気を出すことで、誰かの背中を押せるんだ。

そんなことを感じました。

それから何日か後には、「 一緒に帰ろ 」って、声をかけてくれる子がいて、お手紙をくれる子がいて …

私は無理に自分を作るのではなく、自分のことを話せる友達が出来たのです!

この日から、私は自分が勇気を出すことで、誰かの背中を押せることを知りました。

そして、私は、人生を180°変えてくれた、あの心理カウンセラーさんのような人になりたいと心から思ったのです。


これは、小 6 の時に書いた、卒業文集です。

人を助ける仕事をしたい。
目の前の人を笑顔にしたい。

それが心理カウンセラーになれば叶えられると、本気で信じていたと思います ( 笑 )

やっと見つけた夢が崩れ落ちる瞬間


そして、私は心理カウンセラーになる為に行きたい高校、大学がありました!

心理学を学んで、人についてもっと知りたい!

だから中学では、勉強を一生懸命頑張っていました!

そして、もうひとつ頑張っていたのは、人が悩んでいたら、すぐに手を差し伸べること。

私は、悩んでる人がいたらその人の気持ちに寄り添いたいと心から思っていました。

しかも寄り添える自信がありました。

同じように辛い思いをしたことがあるからです。

ただ、私は相談に乗ると、その人の立場に立って感情移入してしまいます。

10人の相談を乗れば、10人の感情になって涙が止まらなくなるのです。

一人一人悩みは違う。
そんな目の前の人を想って、10通りの感情になり、何故か私が辛くなる。

そんな3年間をすごしていたある日、突然耳が聞こえなくなりました。

原因は、ストレスによるもの。

補聴器をつけたこともありました。

そこで突きつけられたのは、現実 でした。

「 心理カウンセラーになることは難しい 」

分かっていました。

私には出来ないことは分かっていたんです。

それでもこの3年間、心理カウンセラーになるために勉強をしてきた。

私が頑張ってきたこの期間はなんだったんだ。


自分で自分を責めました。

自分のことが本当に 嫌いになりました。

なんで、なんで … って 自分に苛立ちが募りました。

その現実を突きつけられた私は、もうどうでもよくなってしまい、勉強を辞め、高校選びも適当にしてしまったのです。

夢もなくなり私の人生どこで間違えたんだろうと思う日々。

人生で1番感動した日の話


夢を見失ったまま高校へ入学。

私は何のために学校に行くのか、将来が見えなくて焦りを感じている時に友達が声をかけてくれました!

「 ねえ、音! 進路ガイダンス一緒に着いてきて!」

高校1年生で、進路ガイダンスへ行く人は私たちしかいなくて、全員高校3年生の先輩。

ただ、その子は夢があり、保育関係の行きたい大学があったため、どうしてもその説明会に行きたいという。

私は何となくで ついて行きました。

行ってみると、やっぱり夢や行きたい学校がない私にとっては何をしたらいいか分からない時間。

フラフラひとりで歩いていました。

そして目に止まったのは、ドレスを着たマネキン!

更には、フランス料理フルコースが無料! の文字 ( 笑 )

ただ、ぼーっと立ち止まってみていると、声をかけられました。

「 ちょっとお話聞いてかない? 」


することが無かったから、ただ聞いてみようとお話を聞くことにしました。

そんなところから私のこのブライダル人生がスタートするなんて 当時の私は思ってもみなかっただろうな …

多くの人が、自分の為に 涙してくれる瞬間


その人は、ある専門学校の先生でした。

私一人に対してその先生はこう言ったのです。

「 人生にはね 多くの人が自分の為に
涙してくれる瞬間が3回あるの

1つ目は、生まれた時
2つ目は、亡くなった時
そして、3つ目が、結婚を挙げた時

この中で、自分の記憶に残る瞬間って
結婚式だけなの!

人生に一度しかないそんな素敵な瞬間に携わり
目の前の人を幸せにすれば
その人の大切な方へと幸せが伝染する

そんな素敵なお仕事なんです! 」


今まで感じたことの無いような衝撃が走りました。

私がしたいことそのもの!!!!!!!

当時の私はこの話を聞きながら目がキラキラと輝いていたのが自分でもわかるくらいに、「これしかない!」と思ったのを覚えています!

就職活動でも、「人生で1番感動したことは?」と聞かれれば、嘘偽りなくこの日と言います!

それは就活をしているからではなく本気でこの日の感動が忘れられないから。

親に私が1番感動した瞬間いつだと思う?って聞いた時も、この日だと言うくらい、家に帰ってからもブライダルの話が止まりませんでした!!!

この日から私のブライダル人生は始まります 🔥

ブライダル人生の始まり

高校の3年間ブライダルのことで頭はいっぱい!

専門学校の体験入学会にも何度も行き、本当に行きたい学校、ここで学びたいと思える学校を本気で探しました!

その度にストーリーではこんな発信を自然としてました ( 笑 )

7校を何回も通い続け、でも、やっぱり私が心動いた理由は、「 」でした。

私が通うことになる専門学校の決め手は、私に親身に向き合ってくださった先輩です。

絶対にプランナーになる!その想いは本物なのに、このままでいいのかな、本当にプランナーになれるのかなと悩んでいました。

周りの子は、絶対にプランナーになる!と強い意志を持った子ばかり。

将来が不安になりました。

そんな時、その専門学校の先輩は、私の相談に沢山乗ってくれました。

さらには、体験入学会の時だけではなく、離れている期間でもLINEでいつも気にかけてくださって、相談にのってくれた。

こんなにも親身に向き合ってくださって、私はその人のようになりたいと心から思いました。

あの人に会いたい!そう思うようになり、通い続けて私はこの先輩のいるこの学校で学んで成長したいと思ったのです!

先輩が専門学校を卒業されてからも 私の事を気にかけてくださり、ご飯に行ったりお茶したりしながら、お話する機会もくださりました!

この人に出会えてよかった!そう思えた瞬間でした!

コロナで休校。ただ過ぎる日々。


夢に見ていた専門学生生活!

ただ待ち受けていたのは、休校やオンライン授業という日々。

教科書にマーカーを引くことしか出来ない、大勢の人がミュートで聞いてる中でどうやって話出せばいいか分からない、ただただ悶々とする日々でした。

そんな中で、こんな日々を変えたい。
そう思い、自分は何ができるんだろうと考え始めました。

考え先でたどり着いた答えは、学べないのなら自分から学びにいこう!という考えでした。

自分の興味あることに詳しい人、現場で既に働いている人に話を聞くこと。
インスタで気になる人に声をかけてみることにしました。

でもその人にも自分の時間がある。

そんな貴重な時間を貰うわけだから、それくらいその人のことが知りたいという気持ちを拙い言葉で伝えることにしたんです!

その人の何に興味があって、今自分はどんな想いがあるのか、なんでその人に話を聞きたいのか!そんな想いを伝え、学びに行っていました。

そこで、あるプランナーの方との出逢いが、私の人生に必要不可欠な大切なことを教えてくれたのです。

あなたの人生、ありのままが素敵だよ


この言葉は、私の今の人生目標のひとつです。

この言葉が生まれたのは、休校になった頃、お話を聞きに行ったプランナーの方に教えてもらったことです。

前述した通り、私は元々心理カウンセラーになりたかった。

悩んでる人の力になりたい!

笑顔になってくれたら嬉しい!

私は心理カウンセラーさんに、人生180°変えてもらったから、私も「 人の人生180°変えられる人になりたいんです!」と、伝えました。

するとそのプランナーさんは言うのです。

「 それって本当に人生を
180°変えてもらったのかな?」


と。

私の頭は 「 ? 」でいっぱいでした。

だって、私は辛くて誰にも頼れない現状が変わったんです!
作文を読んで自分のことを話せる友達が出来て、学校に行けた。
人生変わってるじゃないですか!

そう思っていました。

でもよく考えれば、元々笑顔な人の人生を180°変えたいわけではない。

そう考えると、180°変えたいわけじゃないのかもと思いました。

じゃあ私がしてもらったことって何なんだろう …

そんなことを考えていると、その方は言います。

「 その心理カウンセラーさんは、音ちゃんの
ありのままを認めてくれたんじゃないかな?」

その瞬間、はっとさせられました。

本当にそうだったんです。

私は自分の想いを誰にも言えなかった。
自分の想いに蓋をして誰かに合わせて生きる人生で、自分の話なんてしたことがなかった。
人間恐怖症になった私がどれだけ口を開かなくても、話すようになるまで私と向き合ってくださったから、私は心を開くことが出来た。

否定されたことなんてなかった。

むしろ私の「 好き 」を提供してくれた。

背中を押してくれて、勇気を出したことで自分は変わった。

私がしてもらっていたことは、

「ありのままの私が素敵だと伝えてもらっていたんだ」

そして、そんな人になりたいと私は思ったからこそ、人が悩んでいたらすぐに手を差し伸べたいと思った。

ブライダルのあの話を聞いた時に、感動が走った理由もきっとここにあるんじゃないか。

専門学校選びの時に、人に魅力を感じ、あの先輩のようになりたいと思ったのも、母子家庭だった当時お母さんが私たちにしてくれていたことも、全部全部ここに繋がっていたんだ!

そう思うと全ての点が線になった感覚でした。

人間恐怖症だった私が今、人の幸せを本気で願う理由


だからこそ私は、目の前にいる人のことを自分の事のように思って生きています。

人は人生を変えたいと言うけれど、変えなくてもいいあなたにしかないものも絶対にあるのだと、私はそんなまだ気付いていないあなたらしさを肯定できる人でありたいです。

冒頭でも言った通り、私は感情のコントロールが下手くそです。

その事を 人に批判される時もありますが、今はそんな自分も自分なのだと認めてあげることが出来ています!

まだまだ、自分を愛する力は足りませんが、私にも少しずつ自分を愛するということが分かってきました!

あなたの人生ありのままが素敵だよって伝えられる人でありたい!!なんて簡単に言っているように思うかもしれませんが、その言葉の背景にはこんな私の経験が隠れていたんです 実は ( 笑 )

人のことばっかりしすぎ、ちゃんと自分みな!

とか

人のことは一旦置いとき!

とか

まだあんまり関わりもないその人に使う時間あるなら、もっとほかのことに時間使い!

なんてことをよく言われますが、私の人生、「 人 」がいないと成り立たないんです。

人のことを置いておいたら、私は私じゃなくなるような気がします。

ただ、自分のことも大切にしたい。

だから、あなたの人生ありのままでいいんだよって、誰かに伝えているようで、自分自身にいいきかせているのかもしれません!😊

人の幸せが自分の幸せだと本気で思えるようになったその背景には、これまでに出会った全ての人が私に幸せをくれたからなのだと思います。

あの日あの時出逢えたあの人が私に本気で寄り添ってくれた。

こんな私のありのままを認めてくれたように、私も目の前の人のありのままを素敵だと と伝えられる人でありたいです。



p.s.
私は過去の自分が嫌いでした。
これまで隠して生きてきたように、黒歴史だと思っていました。
でも、今は違います。
あの日の自分がいるから、今の私がいます。

そう思うと、あの日の私も私らしくてニヤニヤしちゃうなって!( 笑 )

だから私は、今回「 過去 の 自分 」を書き残しました。

こんな長い文章を見てくれる人はいないかもしれないけど、私を残すために今日もnoteを投稿します 。

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