見出し画像

東郷平八郎 英雄か戦犯か

今回は連合艦隊司令長官を務め、日露戦争で活躍した東郷平八郎について解説する。


1.生涯

1848年、鹿児島県加治屋町で生まれる。
海軍士官になった後、イギリスのポーツマスに留学する。
1894年に日清戦争では「浪速」の艦長を務め、黄海海戦や豊島沖海戦で活躍し、日本の勝利に貢献する。1903年、連合艦隊司令長官に任命される。
1904年、日露戦争が勃発すると日本海海戦で世界最強と言われたバルチック艦隊を破り勝利に貢献する。1934年、病死。

2.英雄としての東郷平八郎

英雄として、これが教科書にも載っている東郷平八郎だ。
日露戦争で三笠に乗り旅順港攻略や黄海海戦を指揮した。
その後、ヨーロッパから西回りで航海してきた当時世界最強と
謳われたバルチック艦隊と日本海で戦闘状態に入る。
日本海海戦である。ここで東郷は敵の目の前でターンを行い丁字戦法を
取るという大胆な命令をした。しかし、これが功を奏しこの海戦は連合艦隊
の勝利に終わった。
世界中に日本の勝利が報道されると、同じアジアでロシアに苦しんでいたオスマン帝国はこの勝利をとても喜び、自分の息子にトーゴーと名付ける親もいたという。(もともとエルトゥールル号事件以来、日本に対して好意は持っていた。)
トーゴー通りという名前の通りもできたそうだ。(現在はアタテュルク通りに改名)

3.戦犯としての東郷平八郎

ここからはあまり知られていない戦犯としての東郷平八郎を説明する。
ロンドン海軍軍縮会議の時である。末次信正や加藤寛治などの艦隊派(軍縮に反対の人物)が東郷平八郎を利用し、軍政に干渉しようとしたのだ。
末次や加藤が一番悪いとは思うものの、日露戦争の功績で元帥にもなり軍神とも言われた男。そんな男が言うとどうなるのか。未来はどうなるのか。
少しは考えて欲しかったものである。

この記事が参加している募集

日本史がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?