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治療の選択、穏やかな最期

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。

Cさんは80代の男性で、肺腺癌と診断されて、抗癌剤治療は希望しませんでした。
診断から5ヶ月した頃に、息苦しさと、お腹の張りや食欲不振、吐き気があって、癌性胸膜炎、癌性腹膜炎、腹膜播種のため入院しました。腹水は穿刺できない量でした。

緩和ケアチームが介入して医療用麻薬の調整をして、内服薬に加えて屯用薬をのむようにして、酸素吸入が無いと血中酸素飽和度が80代に下がってしまうので、在宅酸素を使うことになり退院になりました。

そこで、ケアマネから訪問看護の依頼がありました。

Cさんは、仕事を早期退職してアルバイトを70歳代までしていたそうです。自治会役員や、趣味の茶道を近所の子供達に教えて地域に貢献していました。

退院したら、奥さんは夜間、娘さんが昼間の介護を担い、週末は大学生の孫が帰省して援助する体制となりました。市外には息子さん家族がいます。

退院日に私たち訪問看護師が家に伺うと、聴診器で片方の肺の音は弱く聴こえ、足がむくんで歩きにくそうでしたが、ベッドから在宅酸素のチューブを連れて屋内を歩いていました。

足元を見ると奥さんが編んだ毛糸の靴下をはいていて「足は妻がマッサージしてくれる」と。
家族がCさんの足がむくんで傷つきやすいことや、冷えやすいことをわかって対応していました。

入院中に調整した薬を上手く使えるかが、在宅療養を不安なく快適に過ごすための鍵になります。薬のことを聞くと、「仕事をしている時から、きちんと揃わないと気が済まない性分なんだよ」とCさんは笑って、自ら自らセットした薬ケースを見せくれました。

体調は一日置きにアップダウンすると言います。
私たち看護師は、体調が辛い時の姿勢や、過ごし方を提案しました。

会話の中で、娘さんからも聞いていた『子供達を茶道教室で教えることが目標』という話しがありました。

それを叶えたい想いは同じでした。

2回目に訪問した看護師が、目標は早急に行動に移されて、近所の子供達のための茶道教室が開かれたと、娘さんから聞いてきました。
Cさん自身がどう感じたかは、多くを語らず知ることはできませんでしたが、その事実は私たち看護師だけでなく、みんなの安心になりました。

        *

退院から10日目、横になると息が苦しくなっていました。

痛み止めを飲んでから眠り、咳や体を動かした時の息苦しさ、背中や胸の痛みは屯用薬を使いました。

医療用麻薬(痛み止め)は、使い方が肝心です。
私たち看護師は、Cさんに苦しさがピークになる前に屯用薬をのむように勧めて、日に3~6回使う感じでした。


数日の間に、定時の薬は飲みこむことが難しくなりました。

座薬も使いましたが、足の痛みで横向きの姿勢を保つことが難しく、奥さんと娘さん、訪問看護師の3人で体を支えて手当するようになりました。

訪問診療があって、現在の病状の説明と痛み止めを点滴で行う提案がありましたが、Cさんは希望しませんでした。
それを聞いた医師は、家族によると「何もしなくて本当にいいか」と聞いたそうです。

「何もしない」という言葉に家族は疑問を抱きました。

その翌日も、前日にした血液検査の結果説明のため、往診がありました。

予後について「1週間もたないかも知れない」と医師から説明されました。

これからのCさんに起こる体調の変化に、サポートする人達がついていけるように。
家族の希望があったと、ケアマネから回数を増やして、毎日訪問看護利用に変更の依頼がありました。

娘さんへは看取りのパンフレットを使って、これから起こり得る状態変化や家族ができること、緊急時の連絡方法の説明がされました。

説明を聞いた娘さんは「点滴をしたくない本人の意思を貫きたい」と、点滴で医療用麻薬を使う選択はせず、最後まで座薬で対応することにしました。

私たち看護師は、家族の気配りを知っていました。

動いて苦しくならないように、手が届く所にCさんの日用品を置いて整え、手や足、体などを希望通りに拭いて、交代でマッサージをしてきた家族です。

できることを丁寧にしている事実を言葉にして伝えました。もちろんそれはCさんにとって、心穏やかに過ごせる一番の方法であることだということも。

Cさんを大切に思っていることは、この短い期間でも十分私たちに伝わっていました。

数日後の早朝に娘さんから「息が止まりました」との連絡で緊急訪問しました。

主治医の確認後に、奥さんと娘さん夫婦、孫、泊りにきていた息子さんと一緒に、茶道教室で着ていた和装に整えました。


後日、娘さんがふらっと事務所に立ち寄ってくれました。

再び会えて話ができることは、私たち訪問看護師にとって嬉しいことです。

Cさんの頑張りを、娘さんと一緒に振り返る時間になりました。

娘さんが苦痛を取るための点滴を断る時は、勇気が必要だったそうです。それでも普段から聞いていたお父さんの言葉を繰り返し思い出して、これで良かったと自分に言い聞かせていたそうです。

治療の選択を迷うのは大切な家族だから当然です。
Cさんの意思を肯定するかのように、最後は座薬だけでも痛みはありませんでした。

「穏やかに最後を迎えられたのは、娘さんの選択が間違っていなかった証拠だと思えてなりません。

娘さんは「家で最期までみることができて責任を果たせました」と涙を浮かべた笑顔を残して帰っていきました。

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