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日常の中にあっていい

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。

Cさんは70歳代の男性です。
急な腹痛で救急外来に行って一旦帰宅しましたが、腹痛は治まらず、消化器外来を受診して胆のう炎の診断で入院しました。
胆のうから管を入れて、絶食なので栄養を点滴でとるために中心静脈カテーテルが首のところから入りました。

入院翌日にCさんは、栄養の点滴が入るカテーテルを自分で抜いてしまいました。点滴は腕や足の細い血管から水分補給程度になりましたが、抗生剤の点滴と絶食の効果で、腹痛や発熱はなくなりました。
食事が始まり、胆のうの管も抜けて退院となりました。

Cさんは、10年前に脳梗塞を患って、足に軽い麻痺があります。8年前には狭心症、心不全、糖尿病、糖尿病性網膜症、慢性腎臓病もあって、今回は胆のう炎です。

退院前カンファレンスは奥さんとケアマネが参加し、病院から提案があったそうです。

提案というのは・・・

総合病院の消化器、循環器、腎臓内科、眼科、脳神経外科の通院を、今後は全て かかりつけ医の訪問診療に移行したらどうか ということです。

本人に何を言っても無駄だからと、奥さんは独断で、この提案を受け入れました。

ということは・・・

これからは、在宅(家)で、訪問診療を受けながら、腹痛や発熱があったら、まず訪問看護に連絡して、医師に報告された内容が検査や入院治療が必要な状態ならば、紹介状を持って総合病院を受診する体制になります。

その話が決まって、私たち訪問看護に依頼がありました。訪問診療も始まることになり、退院してから初めての往診にケアマネと私たち看護師は、立ち合いました。

Cさんは、奥さんと二人暮らしです。会社員でしたが60歳前に希望退職しました。昔から短気で我儘な性格のCさんを奥さんがフォローしていたそうです。
息子さんは県外で仕事をすることが多く住まいは別で、娘さん家族は隣市に住んでいて孫を連れてよく訪ねてきています。

入院前から利用していたデイサービスは退院後に再開になりました。

最初は、体調を聞くと「あんたたち(訪問看護師のこと)は何故検査しないのか」と、通院していた時の医療を受けたいという訴えを繰り返しました。

それでも、訪問看護の回数を重ねるうちに、仕事をしていた頃の話やデイサービスのレクレーションについては笑顔で話すようになりました。
奥さんが手を貸しても、血糖測定やインスリン注射、服薬を拒否してできない事がありましたが、大きなトラブルはありませんでした。

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だるさが増して仰向けで寝返りもせず横になる時間が増えて、お尻、踵、足底に赤みが出て、寝だこが出来始めました。
奥さんと協力して軟膏を塗って悪化予防をしました。

毎週の訪問では「やらなくていい」と看護師のケアに拒否をして、デイサービスは排泄の失敗が気になってキャンセルするようになりました。

奥さんの介護負担が増える一方です。

奥さんは「本人が拒否しても訪問看護師さんは来て欲しい」「デイは嫌なら可哀そうだから休んでもいい」と。

その頃のCさんは「検査をしたい」と言わなくなり、少しずつ自分の病状を受け入れているように感じました。
体の身の置き所の無い だるさには鍼灸院の訪問が始まりました。

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空腹時血糖が80代になっても自覚症状無く、奥さんの判断で飴を口にして改善しました。
長くCさんの病気と向き合ってきた奥さんは、一番の理解者で対応は完璧です。

ベッドで眠る時間が増えて足のむくみは治まりました。お尻の寝だこは処置を毎日続けて改善しました。
訪問マッサージはCさんの楽しみになり、デイサービスでやった脳トレ問題のことを笑顔で話すようになりました。

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訪問看護が介入して9か月経った頃に、夜間に38.0℃代の熱が出たと奥さんから電話があって緊急訪問しました。状態は主治医へ報告して、翌日に薬が処方され、奥さんは体を冷やしてくれて熱は下がりました。

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翌月も熱が上がったり下がったりで、かかりつけ医から総合病院へ紹介状が出されて受診しました。熱の原因は胆のう炎で、ドレナージ術を受けましたが、点滴や処置等の治療拒否で退院しました。

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家に帰ってからは、痛みのため処置時に大声をあげるので、奥さんの負担は大きく、看護師の訪問頻度を増やして、手当を始める前に鎮痛剤を使うようにしたら、痛みは減りました。
デイサービスは移動の負担が大きく中止になりました。
楽しみは寿司やだんごなど、希望する物を少しずつ食べることです。

入院中に、今後は敗血症による急変のリスクがあると説明を受けて、急変した時に積極的な治療は希望しない(DNARといって心肺停止した際の蘇生は試みない)と奥さんは意思表示していました。

定期的な訪問診療と、変化があった時は私たち訪問看護師が連絡を受けて、かかりつけ医に報告して往診を受けました。

Cさんが看護師の手当を嫌がることはなくなり、私たち訪問看護師は奥さんと一緒に手当することが増えました。

手先が器用で料理上手な奥さんは、Cさんが元気だった時にしていたように、知人に料理をおすそ分けして、ご近所の交流を続けました。
普段の生活をしながら、最後まで家でCさんを看ることができました。

家で奥さんに手当してもらうことを好んだCさんだから、日常のなかに療養生活があって、結果、遺される家族は大切にしている時間を継続できました。

ご主人に寄り添い続けた奥さんの頑張りがあってこそ成り立ったということも事実です。

私たち訪問看護師が、受け入れてもらえたかはCさんにしかわかりませんが、一緒に過ごせた時間があったことを有難く思います。


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