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「家に帰りたい」から始まる

生き物は、産まれた時から終着駅に向かって歩いている。
穏やかで気持ちよく過ごして、それまでの時間を大切に生きて欲しい。
人生の幕引きには色んな形があっていいと教えてくれた、在宅で出会った方たちと訪問看護師のお話です。

Bさんは80代男性で、慢性腎不全、慢性心不全があって、自転車で通院していました。
「体調が悪い」と、いつものように近くの診療所に行きましたが、総合病院に救急搬送されて心不全と腎不全の治療を受けました。
その後は、食事や水分の制限と目標体重を目安に、医師の指示を守って自宅で過ごし、検査結果が悪くなると入退院をしました。

透析を勧められるまで腎機能は低下していましたが、本人と家族は希望しませんでした。


病状は進んで、体が辛くなって、Bさんは自ら入院を希望しましたが、入院翌日には「帰らせろ」と言い出しました。

        *

病院の退院支援室から、Bさんが介護申請して宅療養を希望しているという依頼が、訪問診療医、ケアマネと私たち訪問看護師にありました。

退院カンファレンスが開かれ、「血液検査の数値は、いつ心臓が止まっても不思議ではない」と説明がありました。
奥さんや娘さんは、厳しい状態を受け止めていて、一刻も早く家に帰ることを希望して、カンファレンス当日に退院しました。

ただ、入院前まで介護保険を必要としないくらい一人で生活できていたBさんの介護には不安がありました。

Bさんは、都会で生まれ疎開のため田舎に転居して仕事をしました。70歳頃に現住所に家を持って娘さん家族と暮らしていました。お孫さんは成人して独立、今は奥さんと娘さん夫婦、犬や猫がいます。

退院日、家に着くと穏やかな表情で、訪問した者が声をかけると返事がありました。
初回往診の時間に合わせて、ケアマネ、訪問介護、福祉用具担当者と私たち訪問看護師が一同に会し、現状の確認と予測される変化、緊急時の対応方法を検討し、認識を共有しました。

訪問介護と訪問看護で午前と午後の訪問が予定されました。Bさんの苦痛に早く気付くためと奥さんと娘さんと体の状態を一緒に看ていくための体制です。

入院中に興奮状態があったので、転落予防のため福祉用具の介護ベッドは超低床型を利用しました。

この超低床型ベッドは一番低く設定すると、畳に布団を敷いているのと変わらない低さなので、ベッドが苦手な方や、一人で動き出してしまうような方が良く利用します。
もちろん、高さを上げて、おむつ交換などの手当をすることができます。

ベッドは、家族やペットが動いている様子が見える場所に置かれました。



私たち看護師は訪問したら体温、血圧、脈拍、血中酸素飽和濃度を測り、胸の音を聴きます。体調を聞くと頷いて返事をして「ありがとう。忙しいのに悪いね」とBさんは私たちを気遣ってくれました。

ヨーグルトやお茶が欲しいと言う時は、奥さんがすぐに用意して口に運んでいました。

午前中のヘルパーさんの協力も得ておむつ交換をして、「家に帰ってこられて良かった。こうやって最期まで皆で看てくれるのは安心」と奥さんは話しました。

私たち看護師は「この症状が現れたら、こうしよう」と今後予測される状態変化や異常時の対応方法について訪問の度に奥さん、娘さんと確認しました。

        *

退院から5日後の昼に奥さんから「脈が弱い感じがする。見に来てほしい」と連絡があって訪問しました。

奥さんと一緒に脈拍を確認しました。

確かに弱くなっていました。

私たち訪問看護師は 今できることを伝えて、残された時間を家族で大切に過ごしてもらえるように寄り添う体制になりました。

翌朝「息が止まっているみたい」と奥さんから電話が入りました。
その日の当番の看護師は緊急訪問をしました。

家に到着したら、Bさんに声をかけました。
脳が休むと瞳が光を入れないようにする反射が無くなることを説明して、奥さん、娘さんと共に見ました。呼吸や脈が無い事も聴診器を使って一緒に確認しました。

最期の身支度をしている時「さっきまで呼ぶ声がしていたの。苦しまなかったね」と奥さんは言いました。
娘さんは「良かった家で」と呟きました。
介護の経験がなかった二人からの言葉は、私たち看護師の力になりました。

呼べば来てくれる家族がそばにいて、犬や猫の声を聞いて、数分前まで話していたBさんは本当に穏やかな表情で、寿命を全うした満足な顔に見えました。

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