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ニッチビジネスの成功は砂場の端にある

先日、おもしろ同人バザールに来ていただいた方、ありがとうございました。みなさまとお話しできてうれしかったです。テレビの取材も入っててがっつり取材されました。よく、起業家のひとから「いいところ突きましたねぇー」「どこにもない仕事いいですねー」「儲かるでしょ」と言われますが、さほど、苦労し、バカにされ、頑張ってきた割には実際の所、はっきりいます割にあいません。けど、なぜこの仕事を続けるかを今日はお話しします。起業に淡い夢を託しているお花畑起業家の方は読んでください。泥だらけになりますよ


ニッチビジネスで大もうけはできないよ

この仕事を始めたときは、軌道に乗るまで5年ほどかかったと思います。2012年に起業し、金銭的余裕も、ビジネス戦略とか勉強していなかったせいか、「どう世に知ってもらうか?」が課題でもありました。そんな事を考えたいたら、テレビの取材が来ました。吉本の有名芸能人と対談です、緊張しつつ出演しました。当時は、Twitterは(怖いもの)というイメージがありやっていませんでしたが、凄くバズった事がります。深夜番組だったため、夜中のキーワードランキングで「オタク婚活」ってキーワードで出てました。

テレビに出て問い合わせがあったが…

その後、テレビでTwitterで問い合わせ増えたでしょ?と聞かれましたが、問い合わせする多くが、「うちの息子が…」と一時間電話で話聞く羽目になったり、問題を抱えるひとばかり、「すがる思いで電話した」など不幸自慢されたり、「話を聞いても」利益にはつながりません、その半年後から、少しづつ会員も増え続け、土日は面談でいっぱい、月曜日はひと疲れして「萌えアニメ」を観て癒してました。

会員もうなぎ上りに増え続け、一人では何ともならなくなり、法人化、成婚率もどんどん上げていき表彰されるほどになりました。ひとを雇うのですが、ある程度、1年から2年で辞めていきます。その後どうなったのか知りませんが…そのうちわかることになるのです。

事業〇朴される

大手●●●が、オタクならだれもが知っている○○○○が進出してきます。〇朴です。

「朴られるほどのビジネスモデルだったことだから誇れるよ!」と言われるのですが、当時としては何とも言えない「はらわた煮えくりかえる」ような感じでした。ビジネスの怖さを知りました。今では洗礼だと思っています。

この時点で、新しいビジネスを構築しようと動いていたのですが、いったん止めて、徹底的に、差別化を図ろうとサービスを見直します。こちらとしては、ある程度、相談者に納得できるような理論構築して、納得できるサービスを展開してきました。が資本力は違います。「数の論理」では構いません、SNSの運用もうまい、広告もうまい、一身上の理由で辞めた社員も○○〇〇に就職し「カウンセラー」と名乗っています。精神的には参っていました。

それ以来、社員を入れることはしませんでした。コロナ禍になり、最低限しか雇わない、事務関連は委託し、ミニマム化を図る事にしました。小回りの利く会社にするためです。これを機に、いままでの自分といままでの事業を見直すのです。

よく考えれば、昔からそうやったわ

子供の事から砂場の端で一人で遊んでいると、「何してんの~」と友達つらしてやってきて、そのうち唯一の遊び場を取られて、「別の遊び場」を探す「遊び場ジプシー」やったことを思い出す。自分の遊ぶ「ユートピア」を作っても誰かに取られる、先生に訴えてみても「みんなとなかよくあそべばいいじゃん」とあやされる。それが凄く腹立たしく嫌だった覚えがある。

就職してもだ、サラリーマン時代に小さい材木商社に勤めていました。現地に赴き、新しい材料となる木材を探し作るのです。まずは少量生産し、販売します。売れ行きがいいと国立大以上しか入社が許されない「○○商事」販売権など層ざらえでもっていき、「自社商品」として販売するのです。「これは売れるぞ!」と海外から持ってきて来ても、すべて「○○商事」に持っていかれ利益にはならんのです。

伝統の国、イギリスを観ろ

イギリスも、ロックやパンク、特殊部隊のSASや、○○発祥の地が多いですが、アメリカにもっていかれています。○○発祥だから「世界の覇者」にはなっていないのです。「すべて、資本力があるもの」が掻っ攫っていくのです。大英帝国と呼ばれていた頃は、自ら発想し考え構築していく国家でした、第二次大戦後、アメリカ主導になり、大英帝国は没落していく、今の日本もそうだ、テクノロジーやアニメ技術などすべて根こそぎ、中華人民共和国に持っていかれている、電気自動車もそうだ、○○○が内燃機関にこだわり、利権保守のために、後手に回る。すべてにおいて「やりたい放題」だ

儲かる仕事は、「TTP」

TTPとは「徹底的にパクる」の意味です。がっちり儲けたいひとは「TTP」をおすすめします。もし私が「TTP」をやれば、利益を簡単に出すことはできますが、TTPはチキン屋やれば絶対もうかるとこぞってチキン屋を起業するソウルの脱サラリーマンと変わりません。タピオカ屋もそうです。そうして会社をでかくする人もいますが、砂場の片隅で遊んでいた私には無理です「小さくてもいい、大もうけできなくてもいい、好き勝手出来る小さな会社」で私は十分です。「ひとり社長」が気楽でいいのです。ビジネスセンスが違うのです。右左、たぶん相対するものだと考えるのです。

生き残るには、結局、新しいものをどんどん作り出すことが大事

私のような、「みんなと一緒に遊べない」砂場の片隅で遊ぶ経営者は、ひとにはまねできないサービスをどんどん生産することが生き残る術だと思います。「どうせまた、パクられるんでしょ?」と思うぐらいで新しい事に挑戦することがニッチビジネスには必要な事だと考えています。アイデアの大量生産です。ある意味「連続起業家」でないと生きていけないと悟っています。私も、まだ世に出していない、事業アイデアは山ほどあります。めげずに「流浪の経営者」していきます。


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