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正しく正義が働く

電車を降りて階段に向かって歩き始めたとき、乗ろうとしていたおじさんとすれ違い、その際互いの肩がぶつかってしまった。
謝るわけでもなく、会釈するわけでもなく、文句や喧嘩に発展することもなく通り過ぎ、
――悪かったな、もう少し体を斜めにすればよかったかな
――おじさん、全く避ける気なかったよな
なんてもやっとしていた。
人間と人間同士のこと、もう少しすっきりするやり方はあったかもしれないけど、問題なし。

駅から自宅へと向かう際、逆方向から歩いてきた女性と出会い頭にぶつかりそうになる。
互いに避けようとするも、同じ方向に体を動かしてしまい、なかなか避けられずもたつく状況になる。
女性も私も無表情。
にこっと笑い合えるならいいけど、赤の他人とそんな距離感はなく、何度目かで先へと進む。
まぁそんなもん。問題なし。

今日一番のもやもや。
駅へと向かう途中、歩道を歩いていた。
そこは一方通行で、車道とを隔てるガードレールはなく、歩道部分のアスファルトの着色と、路肩である白いラインとだけで区分されている。
歩道を真っ直ぐ歩いているところに、向こうから業務用と思われる小型のバンがスピードを上げたまま突っ込んできた。
まずここは歩道。車が入ってくることが意味不明。
人、つまり私が歩いているのに突っ込んでくる神経が意味不明。
「どけ」とか、「どうせどくでしょ」とか、そんなオーラをまき散らしながら全く減速なしに突っ込んできた。
私はもちろん動揺するし、この道はそんな無法の道路という認識はあたものの、「ここは歩道だから私には歩行者優先」「車の方が停まるでしょう」という気持ちがあったのも正直なところ。
どうしようと一瞬迷ってすんでのところで避けた。
バンはそのままのスピードを維持したまま歩道を通り過ぎていき、後方で停車したようだった。

この件は大いに問題があると思っている。
歩道を車が走るのも、突っ込んでくるのもおかしいし、交通ルールを横に置いたとしても、事情があるのであれば減速すべきところだ。
それをあたかも歩行者がそこに居合わせたのが悪いかのような運転をされ、危険な目に遭い理不尽でしかない。
どこを取っても正しいのは私で、間違っているのは相手。
このまま当たってやろうかなと頭によぎりもしたのだが、怪我して損をするのは自分だから避けることにしただけだ。

正義ってなんだろうと考える。
正しいこと。誰もが納得すること。いいこと。
絶対守らなくちゃだめだ!なんて固いことを言いたいわけではない。
柔軟に行動したいのであれば、相手を思いやる気持ちとか、ちょっとした遠慮とかがほしいなと思ってしまう。

少し前にあった、プロレスラーのグレートオーカーンが女の子を酔っ払いから助けたニュースが好きだ。
なぜなら正義が正しく働いているから。
一方で、これより少し前に起こった、電車内での喫煙を注意した高校生が暴行された事件は悲しいものだった。
高校生の言い方がどんなものだったのかわからないが、正義が挫かれるのは嫌な世界だと思ってしまう。

正義を貫くには、悪に負けないだけの強さが伴わないとならない。
対人については受け取り方もあるから一概に善悪を決めるのは難しくとも、意見が違ったならば話し合いで解決する強さがほしい。
しかし体を鍛えて、心を鍛えて、人間性を鍛えれば車にも勝てるだろうか。
そうすれば正義を貫いたとき、痛い目を見なくて済むだろうか。
どう考えても痛い目を見るのは私の方で、その道を使わないとか、反射神経を磨くとか、正しさを胸に抱きつつも逃れるように生きていくのが賢いのだろう。
車に勝ちたいなんて望まないから、身の回りの人だけでなく、他人に対しても思いやれる人が増えればいいなと思う。

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