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真っ白真ん中オレンジ

乗り換えるためにターミナル駅で電車を降りた。
朝8時を過ぎた頃の車内はそれほど混雑していなかったが、連休初日とあって明らかにレジャー目的という乗客がちらほらと見受けられる。
平日に出かけることがほとんどの私は、サラリーマン不在の電車が、こんなにも違う雰囲気だったかと面食らってしまう。

乗り換え後の私鉄では、小学生を7、8人引き連れたお母さんがにぎやかに乗ってきたりとか、おじいちゃん軍団が座席を占領して大声でしゃべっていたりとか、集団で行動する人の多いことに驚いた。
平日は個人行動の人が多く、こうした場面にはほぼ遭遇しない。
これもまた新鮮ではあるものの、ちょっとした居心地の悪さを感じてしまう。

こうも雰囲気が違えども、窓の外の流れる景色は変わらない。
天候や時間、季節によってそれは彩られるが、車内の人間が何人いようが、何をしていようが、決して揺るがない。
だからだろうか。
私はつんと黙って、いつも窓の外を眺めている。
私は車内というこちらの世界にいるものの、どうも馴染めず向こう側に安心感を求めているのかもしれない。

私がこの閉じた空間から出ようと電車から降りかけたとき、すれ違うようにひとりの若い女性が乗ってきた。
20代前半だろうか。
車内の雰囲気と同じく声高に友だちと話している。
高く、甘く、それでいてわざとらしさが垣間見えるそうした声には覚えがある。
自分も小娘だった頃、そうして楽しそうにしていたっけ。
楽しそうに無礼に無敵にはしゃいていても、心は冷静だった。
それか、騒いでいる最中は何も考えず、頭の中は空っぽだった。
自分にもそうした時があったし、オーバーなまでの楽しそうな様子を咎める気持ちなど毛頭ない。
それどころか、ほんの少しの懐かしさを感じ、しかし恥ずかしいかつての自分の姿を思い出しては目を背けるだけだ。

それにしてもこの女性、カジュアルでかつお洒落なファッションに身を包み、髪は長くさらさらで、長身細身でのパンツ姿は格好よかった。
よかったのだが、胸の谷間があるあたり。
羽織った長袖シャツの下には真っ白なTシャツを着ていて、その胸のところに淡いオレンジの染みがぼつんと付いていた。
朝食にパスタでも食べてきたのだろうか。
――ミートソースか、ナポリタンか
まだ一日が始まったばかりなのだが、このあとずっとその姿で過ごすのだろうか。
それを堂々と見せて街中を歩けてしまう度胸は、若さ故なのかもしれないと感心さえ覚える。
――まぁでもそんなこともあるかもしれない
誰にだって食事中に服を汚してしまうことはある。
そんな風に許容してしまえるのもまた、相手が若い、または幼さが垣間見えるからなのだろうか。
私は間違いなく大人だから、シャツの前ボタンを留めて、隠して無難に時を過ごすことを選ぶ。

人の流れに乗ってホームを少し歩き、階段を下り始める。
電車の中はどんなだろうか。
電車の扉は閉まったから、オレンジももう気にならない。
色んなものが混ぜこぜになった中を、外から眺めたのならばどんな気持ちになるだろうか。
きっと私の目には、自由に映るんだろうな。

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