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ザ・雑談・変な家 宙に浮く家

先日、変な家 と言うタイトルの本の紹介をYouTubeで見た。もともとはYouTubeの動画だったものを書籍化したものらしいのだが、そういえば・・・と、私が子供のころ住んでいた 変な家 を思い出したのだった。

父の会社が倒産し、会社兼自宅から、隣町の借家に引っ越しをした。その家が 変な家 だったのだ。

横浜市民の皆さんなら、ご存じだろうけど、横浜とは名ばかりで、実は、山だらけ。小山や丘が多く、崖っぷちに家が建ってることは珍しくない。近年は異常気象の大雨で、地盤が緩んで土砂被害に遭う住民も多いと聞いている。

父の会社が倒産したのは、私が小学校に入学してすぐだった。小学校1年生から違う学校に編入したのだけど、その近所には子供が沢山居て、あっという間に友達が出来たので、毎年楽しい夏休みを過ごすことが出来た。

引っ越し先の家には、「猫の額」ほどの畳三枚分くらいの小さな庭があった。垣根には金木犀が植えられていて、秋になると金木犀のいい香りが漂う庭だった。その根元には沢山の色とりどりのクロッカスが植えられていた。

その庭から、両親の寝室(畳の部屋)に入れる窓が付いているのだが、その窓は、地面から始まってなくって、60cmくらいの段差があった。普通の昭和の日本建築なら、その窓に、縁側 と言うベンチみたいなものがあるのだろうけど、それが無かったので、手先の器用な父が縁側を手作りした。縁側無しのその家は、子供が出入りするのに大変だったのを覚えている。

家の前には道路があって、道路から見て左側の、金木製の垣根の小さな隙間から、細い通路を通って、その通路の突き当りに玄関があった。玄関を出てすぐ右側は、隣の家の壁、そして、左はうちの壁になるので、都合よくエントランスエリアが出来上がってるという感じだった。その玄関を私たち子どもが利用することは少なかったように思う。父の作った縁側の方が出入りが楽だったからだった。

その 変な家 を道路側から見たら、普通なのだけれども、両親の寝室、キッチン、子供部屋、トイレ、風呂場、居間と奥へ行けば行くほど、宙に浮く建物なのだった。つまり、崖っぷちに建てた家なので、建物の基礎が通常ではないのだった。正面から見て、家のすぐ右わきに小さな坂道である通路があるのだが、そこから家を見上げると、何本かの鉄筋柱にエックス(X)の鉄筋を走らせているだけの構造で、下から見ると、鉄筋に四方を支えられてるが、半分家が宙に浮いてることになる。そして、その下の開いてる部分に人が入れるようになっていた。居間、トイレ、風呂場の床が、見あげられる様になっていて、それらの部屋は完全宙に浮いているのである。

今現在の建築物なら、その部分に地下室でも作って、壁で固めるのだろうけど、戦後の昭和で資材が不足していたのだろう。その借家は鉄筋しかなかった。今考えたら、なんとも恐ろしい、危ない物件に私たちは住んでいたのだった。

宙に浮いてる部分の下は、乾燥しきっている、さらさらとした、細かい土で覆われていて、そこに沢山のアリジゴクがいた。アリジゴクなんて見るのが初めてだったので、本当にアリジゴクの巣かどうか確かめるために、蟻をつまんで入れてみたら、アリジゴクが確認でき、そのハンティングスキルを見せてくれた。

その家は、快適だったとは言えないけど、子供の私にとっては、寝たり起きたり、食事をする場所だけだったので、嫌いではなかったのだが、一つだけ、どうしても嫌いな部分があって、それは、トイレだった。昭和のその時代は、俗にいう、ポットントイレ の家が多く、その家もそうだった。

家の作りを思い出してもらうと分かると思うのだが、トイレの穴の下がどれだけ遠かったか想像してみて欲しい。笑 小さな穴から見える自分たちの汚物は遠いところにあって、ハエが上に上がってこないのはいいけれども、当時、私の下の弟は、まだ2歳くらいだった。

私は、弟が落ちてしまわないか、下手すると、私だってこのトイレの穴に落ちたりしやしないかと、トイレに行くのが怖かった。そして、更に恐怖を煽る出来事があった。それは、上の弟と、小さな卓上ビリヤード台で、ビリヤードゲームをやっていた時だった。トイレに行きたくなったので、ゲームの途中でトイレに行った。勝って取った球を、胸当て付きのズボンの胸のポケットに入れてあるのを忘れ、トイレに立って肩から胸当てのストラップを外して、さあ、事を済ませようと思った途端、その胸ポケットに入ってた、カラフルで小さなビリヤード球が、次々と、「ポットン」に落ちていく光景を見たのだった。恐怖。こんなに怖い思いをしたことが今まであっただろうかと言うくらい怖かった。

そのシーンは、今でも、スローモーション、且つ、カラーで良ーく思い出せるくらいインパクトの強い映像なのだ。笑

加えて、半分が宙に浮いてる状態の家だったので、地震や、米軍の戦闘機が墜落した時なんかの揺れが半端なかった。私は、人生で2回ほど、米軍の戦闘機墜落を体験してる。一つは、その家に住んでいた時に遭った。その家からそんなに遠くない所に戦闘機が墜落したのだ。父と上の弟は自転車で事故現場まで行ったと話していた。

その時は、いきなり、ドーン!と大きな激突音がして、地響きと共に、家中の窓ガラスが震えて音を出していた。私は雷が落ちたのかと思ったが、外は晴れていたので、何か変だよと思ったら、後に戦闘機だという事だった。

そういえば、下の弟が犬にかまれて血だらけになったのも、この家に住んでいた時だった。変な家 で、変な体験を沢山したように思う。特に下の弟は、何回も危ない目に遭っている。てんかんの発作が出たり、自動車に足を轢かれたりした。この家に住んでいた時に、母も買い物中に、自動車と母の自転車が接触して病院通いをしたし。

今、東海岸に終の棲家を探しているのだが、そんな経験から、古くっても何でもいいので、地面にしっかり足がついた家を探している。変な家 はもうこりごり。笑


トップの写真は、テキサス州オースティンで撮った写真。娘が住んでいたコンドミニアムの近くにある、1930年代の建築物。その一角だけが、オールドイングリッシュっぽくって面白いと思った。私の好きなアメリカの建築は、アメリカが一番華やかだった時代の1920年代のもので、経済が悪くなった30年代に入ると、やはり、少しクオリティーが落ちる気がする。

しかし、娘が大学を卒業したころ、今から6年前には、この写真の家の値段は、確か、700Kから800Kの間くらいだったと思う。が、今の値段を聞いてびっくり。1.6Mだってさ。笑 6年間で、2倍ってどうよ?

アメリカ国内は、不動産バブルが続いていて、私たちは、今年中に東海岸に引っ越すのを断念するかもしれない。と言うか、せめて選挙後の方がいいのではないかと思うようになってきた。おかしすぎる値段の高騰。今までと違った世界が見えて来て、それがまた、妖怪がひしめきあう世界 の様になったと思うのは私だけでしょうかね?現実実がなく、どこか不気味な人間が増えた。顔だって妖怪っぽい人が増えているし。(特に権力者?w)事件も理解しがたい事件が多いし。随分と住みにくくなったわよね。

面白いの見つけてしまった!!!www↓





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