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【アラサー書記】人はいつ死ぬのか。

皆さんこんにちは。大学の卒業論文みたいなタイトルに、いよいよ宗教に手を出したな。と思った方もいらっしゃるかもしれません。いえいえ、入団する方では無くて。はい。教えを説く方です。たまに、教祖やりなよと言われる劇団主宰の中川ミコです。良かったら今度舞台を観に来てください。全く怪しくない会合です。

今日はこんな倫理的なタイトルをぶつけてみましたが、何を考えているかわからないとよく言われる中川の頭の中も、意外と入り口は簡単です。眠れない明け方に『脳死』についてのYouTube動画を見入ってしまい、いよいよ眠れなくなって、つい5分ほど前に眠るのを諦め、布団から出て、PCに向かった次第です。めっちゃ影響受けやすい。This is 私。さて、只今朝の5時半。今日もこのnoteのルールは2つ。①完璧を求めない ②記事にかける時間は最大1時間半 ピンと来た方はフォローをお願いします。どうぞ最後までお付き合いのほどよろしくお願いします。

遺族(臓器提供を承認した)の動画を見て思った事

数日間、ましてや数十時間の間に、大切な人の『死を受け入れること。』と『(臓器移植をするかしないか)決断を下すこと。』この二つを迫られると言う想像を絶する状況。映像を見てボロボロと涙を流すスタジオMC。16時間眠っていない私の頭は熱くなるものを抱えながら、漠然と人間の不思議について考えていました。だって脳は死んで、口から脳みそメルトしてるのに息はしてるし、心臓も動いてるって、どうゆう事?私が思うのは、人の死とはどこからかでした。人体の不思議。心はどこにあるのか?と聞かれて大半の人がさすのは恐らく心臓でしょう。あれって不思議ですよね。胸が締め付けられるとか、心が痛いって言葉あるじゃないですか。本当に胸の奥の方がぎゅってなるあの感じ、感情と心臓って繋がってるのかなと錯覚します。じゃあ、中川ミコはどこにいるのと言われたら、私は脳みそを指す気もする。そんなことを漠然と考えていると、自分の身近に起きた2つの死を思い出しました。

1つ目の死

私が身近に死を感じたのは2018年4月。19年間飼っていた猫のサスケが亡くなった時でした。ペットか。そう思う人もいるかも知れません。けど先に言うと、この後出てくる2つ目の死は人です。私は昔から”死”の事をハリーポッターに登場するヴォルデモート卿のように扱っていて、それは私にとって完全恐怖として考えてはいけない事、口にしてはならない事でした。なので死に免疫のない私には、ペットの死が”ソレ”と向き合うきっかけとなりました。

死ぬまでの1年間

サスケは老衰だったので、まるで階段を下るように死へ向かって生きました。最初は『あれ?最近物が見えてないかな?』から始まり、高い所で足を滑らせるようになったり、細い道から足を踏み外したり。一年ずつ、一歩ずつ、おじいちゃんになり、そしてある日、歩けなくなりました。それが18歳の時だったので、私は恐らくサスケは長くないだろうと思い、一年間可能な限り介護をすることにしました。母と姉と介護のシフト表を作り、一カ月のうち、三分の1は実家に帰り、ずっと側にいました。介護生活は楽ではなかったけど、サスケが死んだあと「あの時もっとしてあげていれば~」と後悔したくないと思うエゴと、実家に帰ることで喜んでくれる両親がいたので、全く苦ではなかったです。そしてその日は訪れます。亡くなった時私はその場にいましたが、1年間の努力が実った瞬間でもありました。ぽろぽろと流れる涙と共に床へへたり込んだのを覚えています。サスケはみるみる間に硬直し、体から汁が出始めました。面白いですよね。これだけサスケの死と向き合って来て、私たちは、サスケの安楽死や延命治療については話し合いましたが、葬式の事は一切話し合っていなかったんです。そこからは夜通しで火葬や土葬について話し合い、調べ、電話をし、もう何に疲れているのかわからない状態でしたが、サスケとのお別れのセレモニー会場が決まり、当日そこへ向かう車の中もサスケが入った箱を大事に抱えて、時折笑顔を挟みながら着々と準備は進められていきました。亡骸を台に乗せ、花を飾り、言葉を掛ける。だけど、ガシャーンと機械的な、冷たい鉄鉛の扉が開く音を背中で聞いた時。あの中に消えて、形を失うサスケを想像したとき。私の頭の中で確実に秒針音が鳴り響き、別れの時を刻み始めました。言い知れぬ焦燥感、一番先に叫んだのは姉でした。『いや~!待って!待って!やめて~』私たちはわかっていました。いくら泣き叫んだところで、必ず見送らなくてはいけないことも、ずっとこのままではいられないことも。だけど私たちはわかっていませんでした。もうそこに、サスケがいないことを。数日前に既に亡くなっていることを、私たちはわかっていなかった。そんな気がします。実際に、サスケが亡くなった時よりも、焼却炉に入れるときの方が辛かったし、怖かったし、泣きました。永遠のお別れが訪れた。そんな感覚でした。死はいつ訪れるんでしょうか。

2つ目の死

次に私が死を身近に感じたのは去年の事です。あれはそう。私が、2019年12カ月連続舞台公演とか言う、頭のおかしい企画をやっていて、なんか奇跡的に完走できそう!っていう、最終公演「ソウル・ザ・ペアレンツ」と言う作品のキックオフの日。

顔合わせを終え、懇親会の居酒屋で、声高らかに乾杯の音頭をとった直後、私のスマホに彼の訃報が届きました。亡くなった友人は、私の主宰する劇団『遅咲会』の旗揚げパンフレットや、Tシャツを作ってくれていた人でした。本当に優しい人で、出会ってからはずっと、「もっと人に頼りなさい。」って、いつも背中を押してくれてた人でした。人ってバカみたいに泣くんだと、初めての自分に遭遇した瞬間でもありました。

2つの死から思う事

私は、悲しみの涙と、淋しさの涙は別物だと思います。死の悲しみのその後に、ずっと続くのは淋しさです。もう会えないのだと言う淋しさは、死の悲しみよりも深く、長く続くものなのです。残された私たちは、それを抱えて生きていくのです。いつか来る、自分の番を受け入れるために。

最後に

noteを書いていると、思わぬ方へ話が進みます。なぜならここは①完璧を求めない事 ②記事に掛ける最大時間は1時間半 それだけのルールなので、何を書くかは決めていません。すると、思わぬ自分に出逢います。

実はこの記事は2020年4月19日に作成されていました。公開していなかったと言う事は、あの時の私にとって、これは未完成の作品だったのでしょう。恐らく不器用な私の事なので、言いたい事をちゃんとまとめなきゃ。上手くやらなきゃ。そう思ったのだと思います。けど2カ月ぶりに改めて下書きを読んでみると、これはこれで一つの作品のような気がしたので、今書いているこの部分以外、ほとんど加筆修正はせずに公開する事にしました。


人は、いつ死ぬのでしょうか。

これは、これから私にも、皆にも起こる避けて通れない未来だから。

そんな時、痛みをわかる人でいたいから。

それから、会いたい人には今、会おうと思う。

合ってる時間は楽しいものにしようと思う。

時間はいつも、有限だから。


遅咲会会長 中川ミコ

最後まで読んでいただきありがとうございます。このnoteでは、あまり難しいことを考えず、情報の共有をメインに、主にエンタメビジネスの事だったり、自立したい女子へ向けた情報発信や、コラムっぽいものを週に1~2本のペースでupしています。ピンと来た方はスキ・noteのフォローをよろしくお願いします。


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