見出し画像

過疎の町から私が辿る獣道①

私は鼻が利く方だと思う。
物理的な身体能力の話ではなく、感覚的な意味の話である。

夫の故郷であるこの町に移り住んで以来、私にはまだ友達と呼べる友達がいない。それは第一に私のコミュニケーション能力が壊滅的に低いのが原因なのであるが、もうひとつは「自分と本当の意味で気が合いそうな人にまだ出会えていない」という現実でもある。

前回の記事に、私はコミュ障であるがゆえ、人に頼れず自分自身の「足を使った探索活動」により細々と趣味の世界を切り拓いてきた、というようなことを書いた。それはこの町でも相変わらず続けていて、私は田舎の限られた情報ソースの中からも「これは」と思う情報があれば勇気を出して実際に足を運んでみる、ということを心がけている。もちろん思うような収穫につながらない場合もある。だが、時々とんでもない鉱脈を掘り当てることがある。その例がとある「こけし工人」との出会いであった。

それは昨年道の駅で行われていた「こけしの絵付け体験」に足を運んだことがきっかけだった。どこでこのイベントを知ったかというと、道の駅に併設されている木育広場で娘を遊ばせているときにもらったチラシからである。どうやらこの町には伝統こけしの工人が住んでおり、その人がこのイベントで講師をするらしい。
私は中高ずっと美術部で大学も美大だったので、元々伝統工芸には興味があった。夫も夫で赤べこやこけしなどの郷土玩具好きで、家には夫が過去に絵付けしたこけしがある。これは行くしかない、と夫に知らせると、娘を連れてノリノリで絵付け体験に参加することになった。

体験当日、会場に着くとめちゃめちゃ声の小さい細身の青年がそこにいた。俯きがちであまり人懐こい感じはせず、無造作なロン毛を後ろで一つに束ねていた。元々の声量も小さいのだと思うが、前日まで高熱で寝込んでいたらしく、時折咳き込みながら苦しそうに絵付けの説明をしてくれたので若干気の毒になった。だが私は確信していた。彼は恐らく、この町の知られざる逸材であると。ロン毛の時点でわかる。非常に懐かしい香りがする。私は久々に、美大の頃に周りにいた人々と同じような空気感を肌で感じていた。(ちなみに私の夫もロン毛である。)

絵付け体験そのものについてはまた何かの機会に書くとして、私と夫は彼が何者であるのかをもっと知りたく、半ば強引にグイグイと色々な質問をし、最終的に名刺をもらうことに成功した。そこには彼の氏名だけでなく、恐らく自筆であろう可愛いこけしの顔の絵と、複数のSNSへのリンクをまとめたLit.LinkというサービスのQRコードが印刷されていた。こういった今時の便利なITサービスを利用しているあたり、やはり只者ではないなと感じた(そういうお前は何者だ)。
私は、そこに示されていた彼のInstagramとXのアカウントを早速フォローした。

彼はあまり饒舌なタイプではなく、どちらかというと寡黙で、SNSでも多くを語るタイプではなく、更新頻度も低かった。こういうタイプはかなり信用できる。私は少ない情報の中から、彼の人となりを掴むヒントとなりそうな要素を探った。すると目に止まったのが、Xで数ヶ月前に呟かれていた、彼の気に入った音楽に関するポストだった。

「これもめちゃくちゃいいな…」と、独り言のような短い呟きと共に貼られたリンク先を辿ると、Daisuke Tanabeという日本人アーティストのアルバムだった。聴いてみるとメチャクチャ良かった。こういう音楽を気に入る人なら、間違いない。私は時間をかけて、彼と友達になろうと思った。幸い夫も彼のことをメチャクチャ気に入っていたので、私は夫を通して、ちゃっかりこの「町のレアキャラ」であるロン毛のこけし工人とお近づきになろうと企むようになった。

Daisuke Tanabeについて、私は全く知らなかったのだが、ちょうどその頃Spotifyを聴いていてたまたま知ったYosi Horikawaというアーティストの音楽を聴いた感じとどこか通じるものがあるなぁとぼんやり考えていた。
そんなことをふと思い出し、先日何気なくSpotifyでDaisuke Tanabeのディスコグラフィーを開いてみると、最新アルバムがまさにそのYosi Horikawaとの共作であることを知った。「まじか」と思いつつタイトル名でググると、どうやら『ミルクの中のイワナ』というドキュメンタリー映画のサントラであることがわかった。しかもちょうどこの4月からアップリンク吉祥寺他で公開が始まったばかりだった。アップリンクといえば20~30代の頃の私が度々足を運んだ憧れのミニシアターであり、吉祥寺といえば一度は住んだこともある、言わずと知れた多文化の集合地帯であった。

急に色々なことがつながり、私は胸がドクドクした。道の駅のイベントからこんなところへ辿り着くとは思わなかった。例えるなら山奥で迷子になっていたところ、細々とした獣道を辿ってみたら急に知っている道に出たような、そんな驚きと戸惑いを感じた。もしかしたらこんなところを通らなくても普通に辿り着いたかもしれないのだが、私が通ったこの道を多分他の人は知らないだろうと思った。そしてこんなふうに私は自分がピンときた物事を、今まで通り自分の勘や足を使って辿っていけば、過疎の町でもどこでも必ず自分独自の道が開けていくのではないか、というような一縷の希望を感じた。

いや、別に私は(行政の機能不全など色々な問題はあれど)この町に完全に絶望しているわけではないし、40を過ぎた自分が今さら道を辿って何者かになりたいわけでもないのだが、この町で娘を育てている以上、ここで次世代に残せる何かを守っていく必要があるし、それが自分の見つけたこの細い獣道やトンネルのようなものなのであれば、私は自分ひとりでもそれを維持し続け、同じように山で迷子になっている人を見つけたらここが世界へとつながる道になっているよと指し示してあげられるような、少なくともそういう大人のひとりではありたいという、自分に課された新しい使命のようなものを勝手に感じ始めたのであった。

つづく

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう

映画が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?