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台湾の夜、気怠い路頭と思考

生ぬるくなったビールを一口飲んだ。

だらりと溶けてしまいそうな外気温とどんどん同化していく酒は、腹や尻の肉が年齢と共にたるんだ女性を彷彿させ、それはそれで良い。

日本円にして130円ほどのスープは、ほぼ透明の液体にもかかわらず刺激的だった。八角や胡椒をはじめとする見たこともないであろう香辛料の味がした。道路にせり出した店舗は気怠い雰囲気を纏っていた。午後8時、夜市の活気は立ちこめ続ける。台湾の夜は長く、どこか感傷的だった。

「俺、沖縄ってなんだか好きになれないんだよな」

 一緒に酒を飲んでいた知人は言った。人の出身地を聞いておいて、この人は何てことを言うんだろうとはじめこそ思った。が、ビールを飲み下してから「その一言が欲しかったんだ」と感じ、この人が刻むリズムの気味良さに合わせて酒を飲み干す。

すぐに私が言葉を返せなかったこと、宙を見ながら口をパクパクさせていたこともあり、彼は「ああ、まあ気にしないでくれ」とすぐに続けた。「そうじゃない、そういうことではない」と言いたかったが、その後にうまく言葉が乗らなくて、私は「いえ」と短い言葉を放った。

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仕事で台湾に来ていた。台北での仕事を終え、台中へ移動した夜だった。この島はいやに胸を締め付ける。旧市街の市場や住宅街、溶けている犬や無造作に積まれた原色に近い果物が視界を通じて、形さえも持たない記憶を刺激した。

私の戸籍がある那覇市の壺屋1丁目は区画整備で今や観光地らしい通りに姿を変えている。色褪せたフィルムカメラの写真で見たのか、それとも記憶の奥底に残っている色彩なのか、確かにここで見た原色は故郷とやらにもあった。そんな気がした。

いわゆる沖縄三世の私は、何も故郷について語れない。私の祖父母は戦争を語る。私の両親は本土復帰について語る。じゃあ私は。もしこの島で育ったのならば語れたのだろうと思うけれど、結局それは叶わぬこと。私が見てきたのは、外からの島でありそれ以上の何ものでもない。

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この旅のずっと前、実母と台湾へ旅行に言った。全身をじっとりと包み込む暑い日に、母は台湾の街並みを眺めて言った。

「この街は、復帰前の沖縄に似ている」と。

「こうやって果物とか肉が外に投げ売りされている市場とか道ばたに横たわる野良犬とか、なんだか生臭い町並みとか。嫌だったんだよね、これが」

きっと彼女が見つめているのはその先の朧気な記憶の景色なのだとわかってしまったから、何も言えなくなった。私は沖縄の話になってしまうと、口をつぐんでしまう。

だから、「沖縄ってなんだか好きになれないんだよな」という言葉を聞いたときに、言い知れぬ安堵感と爽快感を感じてしまったのだろう、と数日後の私は思考にピリオドを打った。

私がほしかったのはその言葉だったのだ。

なんだ、簡単に表現できるじゃないか。好きになれない、まさにその通りだ。故郷だから好きでなければならないような気がしていたが、そう思い込んでいた自身は、全くに真面目すぎた。

好きではないのかもしれない。けれど、あの街には記憶の残り香が色濃く残りすぎている。

まとわりつく夜の外気が鼻孔をかすめた。知らない言葉だけが聴覚を満たす。こんなに人がいるのに、私はひとりだと思った。同時に誰にも渡したくない虚無感が胸をいっぱいにした。