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代償行為としてのSNS

代償行為とは、自分が一番求めるものが得られないときに、本質は異なる別のもので元の欲求を満たそうとすること。SNSは何の代償行為になり得るのでしょうか。

不健全なSNS習慣

SNSがあることの代償行為になっていることを示唆する記事が、ウォールストリートジャーナルに掲載されていました。

「どうしてもつながりをもつ必要のある人とつながりを作れない場合、ソーシャルメディアが代わりになる」と英ウェールズのスウォンジー大学心理学部長、フィル・リード氏は指摘する。
しかしソーシャルメディアさえあればいいというわけではないとリード氏は言う。「不安で孤独なときはソーシャルメディアが助けてくれると考えるが、そうではない。だからもっと気が滅入って、もっとソーシャルメディアを使う」
WSJ記事「不健全なSNS習慣、幼年期の経験が影響 対策は」より

記事の中では、幼少期の生育環境との関係でこうしたSNS依存に陥るかどうかが影響するという話に展開していくのですが、そもそも完璧な生育環境というのは存在しませんので、誰にでも起こり得ることだと受け止めるのが妥当だと感じました。

本当に話したい相手、話したいこと

お年寄りが、誰かをつかまえて延々と話をしているのを、見たことがあります。聞いている人は、話の内容にも話し手にも興味がない様子なのに、お年寄りは構わず話し続けます。

人はすごく寂しいと、誰でもいいから話したいと思うことがあります。これ、年齢は関係ありませんよね。

人とのつながりをソーシャルメディアに頼らないようにするには、有意義かつ対面での人間関係を求めることだと専門家は指摘する。
同記事より

「専門家」に言われるまでもなく、当然ですよね。本当に話したい相手や、話したいことがある場合、やっぱりその人に会って話すのが一番です。それが出来ない場合、どうすればいいのでしょうか。

SNSだけでなく、いよいよメタバースの時代がやってきます。どこにいてもだれとでもつながれるようで、本当につながりたい相手とはつながれないのだとしたら、その楽しみの本質が代償行為なのだとしたら、ちょっと残念ですよね。

もっともっと、身のまわりの人と話そうと思います。

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