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コロナ禍に考える「ガイア理論」

「ガイア理論」を提唱したイギリスの科学者ジェームズ・ラブロック博士が亡くなりました。「地球はひとつの生命体である」という観点は、SDGsが提唱されるいまでは受け入れやすい考え方ですが、1970年代には違いました。

コロナがやって来てからというものの、僕の脳裏にはラブロック博士が登場するある映画のシーンが繰り返し流れていました。訃報に接してそれに気付きました。

映画「地球交響曲ガイアシンフォニー」で知ったラブロック博士

僕がラブロック博士を知ったのは、龍村仁監督の映画「地球交響曲ガイアシンフォニー」でした。僕が思い出していたのは、ラブロック博士がイギリスの自宅で自作の装置について語るシーンです。

遠く離れた(例えば日本で)殺虫剤を使用する。その殺虫剤に含まれている固有の成分があれば、数日後にはこの装置によって検出される。

だいぶ前の記憶なので微妙に違っているかもしれませんが、少なくとも僕のなかでリフレインしていたシーンとは、このようなものでした。

誰かの吐いた息を吸って生きている

地球上の空気や水が循環しているのは知識では知っていましたが、そのリアリティに驚きと興味を覚えました。

「遠くの国で誰かが吐いた息を、吸い込むことで自分は生きている」

そんな感覚が、ふと湧き上がってきたからです。コロナ禍になり、エアロゾルによる感染があると分かったり、水際対策をしようが何だろうがあらゆる壁を越境していくウイルスの力を目の当たりにして、恐ろしい思いと共に、穏やかで美しい「そのシーン」が思い出されました。

龍村監督が講演で「あればラブロック博士が装置を自慢したんだよ」と笑っていましたが、確かにそんな感じでした。にこにこして、すごいだろって。ただ、その「すごい」の中身は、装置だけではないように感じました。

すごいだろ。空気は遠く離れてもつながっているんだよ──。

人の身体の調節機能

人の身体は、ひとつの共生系であると見なすことが出来ます。腸内フローラなどど言いますが、色々と「外部のもの」を取り込んで、コロニーのようになっています。そういう意味では、「私」というより「私たち」と言った方が正確かもしれませんね(笑)。

身体の一部に病原菌が取りつけば、免疫系が反応します。場合によっては発熱し病原菌に対抗します。

とはいえ、熱が出るとつらいことも多く、「熱を下げたいな…」と思います。ただ、熱が出てすぐに解熱剤を飲むと、強制的に熱を下げることになるので、身体の行った「発熱作戦」の出鼻をくじくことになります。

このように部分だけを見て「問題だ」と見えても、身体全体を見渡せば「回復へのプロセス」かもしれない──これを相似形として地球環境に拡大したのが、僕の理解するところのガイア理論です(文系ですみません)。

物事の全体を見るのは難しい

「ガイア理論」についてどう考えるのか、その評価は様々なようです。でも僕は、物事の全体を見ようとする視点は、すごく大切だと感じます。

人はいつだって、目の前の光景に反応しがちです。
感情的になり、目の前の光景だけでも早く「元に戻したい」と願います。

でも、物事には元に戻せることと、戻せないことがあります。また、目の前だけを切り取ればネガティブに感じられても、全体として見ればポジティヴな変化もあります。さらに難しいのは、そのネガティブ/ポジティブを判断するのは、立場によって異なるという点です。物事の全体像を見るのって、本当に難しいことですよね。

なぜこんなにもラブロック博士のシーンが思い出されるのか、まだよく分かりません。事の全体像は見えなくても、何かのサインかもしれない──そう思っています。

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