【SE職】27のときに適応障害と診断されてから完全克服するまで②

※ 本noteは以下の続きです。

①を公開してからだいぶ間が空いてしまいました(3年!?)が、続きを投稿します。 

・休職中はどのような生活をしていたのか

適応障害というのは一般的に、障害の原因となった対象(私の場合、仕事)から距離を置き解放されたらふっと症状が落ち着いていくものだといわれています。
しかし私の場合は休職期間に突入した後もしばらく、落ち込んだ状態が続きました。

なぜすぐに回復できなかったかというと、私の自己理解では、まだ回復していないうちから「次のアクションをどうするか(復帰か、転職か等)」を考えたり、そういった日々の中で「全く何もできていない自分」というものに嫌気を感じてしまったりしていたからです。

休職中、週1のペースで心療内科に通っていたのですが、先生からよく以下のように注意されました。

「物理的に仕事から離れたとしても、忘れられずに考えてしまっては、精神的には離れられていない状態なので苦しいはずです。今は、仕事を頭から剥がして、忘れて休みましょう。次に仕事のことを考えるのは、充分に休んでからでいいんです。たとえ復帰ではなく転職のことを考えるのだとしても、新しい未来のことを考えているようで、実は前職のことなど過去を振り返る作業にもなってしまうので、本当に元気になるまではそれも考えない方がいいです。」

このような心療内科の先生のアドバイスや、院内のカウンセラーの方との対話を通じて、少しずつ、自分のことをまっすぐ見ることができるようになっていったような気がします。

生活としてはパートナーと二人暮らしで、その間の収入としては傷病手当金のみですね。コロナ前でしたが、心療内科への通院以外はほぼインドアで過ごしていました。好きなものを観たり聴いたり読んだりですね。とはいえそんな気力が起きないときも多々あり無為に過ごす日も多かったです。日課的な所では、朝、陽の光を浴びるようには気をつけていました。

・どのようにして復活し、その後どうなったのか

復活まで思ったより時間がかかった。最大の理由は、、

仕事に復帰するまでには、半年ほどかかりました。休職突入前、なんとなく、1ヶ月や数ヶ月そこらで復帰できるんじゃないかな〜と思っていたので、半年って思ったより結構かかってしまったなと思います。

私にとって休職は、本当に早く終わらせたい出来事だったので、味を占めて期間を引き延ばしてたという感じでもないんですよね。本当に早く終わらせたかったです。後になって振り返ってみれば、人生の中でいつか起きる必然的で不可避な出来事だったと思うし、期間の長さも自分にとっては長すぎず短すぎずちょうどよかったのかなと思いますが。

なぜ早く終わらせたかったのかというと、自分のキャリアに空白が続いていくことへの焦りもありましたが、それ以上に何よりもきつかったのが、家庭への罪悪感です。手当をもらえるとはいえ収入は6割程度に減っていますし、家事も「ずっと家にいて休んでいるのだから、せめて家事くらいはしないと」と思うのに一切何も手につけられない日もたくさんあって。当時、同居しているパートナーに対する申し訳なさ、罪悪感、後ろめたさといった気持ちがめちゃくちゃありました。今にして思えば、そういう自分を責めがちなメンタリティからなかなか抜け切れず自分を効果的に休ませてあげることができなかったので、思ったより休息期間が長引いてしまったのかなとも思います。半年もの間、臥せりがちな私を適度な距離感でフォローしてくれたパートナーには頭が下がるばかりです。

職場に対しても、休職して初期の頃はそれはもうお世話になった先輩に自分の業務を引き継いでもらうことになって、ひどく罪悪感に苛まれたものです。
先輩に余計な負担がいってしまっているという現実はあるのですが、とはいえ、社会は自分がいなくてもちゃんとうまいこと回ってくれるもので。まぁ、そこは、会社だからなぁと。
そんなこんなで、職場への罪悪感みたいなものに長期間振り回されることはあまりなかったです。

完全復活するまでにやったこと①「過度な呵責を自覚する」

現在、気づいたらもう復職してから4年くらい経っています。

完全復活するまでにやったことで、当時最も自分自身効果があったと思うし今でも続けていることがありまして。
それは、日常の中で「あ、今、自分で自分を不当に責めているかもしれない」という瞬間に気づくよう、意識することです。
他人が同じ状態だったり同じ行動をしていたりしても何とも思わないのに、自分のことになるとなぜかそれがものすごい悪く見えるってことがあるんですよね。そのような、不当といいますか、行き過ぎた呵責っていうんですかね。それに気がつけるように、気をつけるようにしていました。何でもかんでも自分を甘やかすのは違うと思います。厳しめに自分を評価した上で「あー、とはいえさすがにこれは不当かな。これが自分じゃない誰かのことだったら別に全然悪いと思わないわ。ごめんね自分。」という感じで、ですね。。。

完全復活するまでにやったこと②「軸の再設計+転職」

次に、復活に欠かせなかったのは、休職末期に行なった転職活動ですね。休職のラスト2ヶ月くらいには、だいぶポジティブに未来のことを考えられるようになっていて、わりと元気に活動できました。で、どうしても元の職場での仕事を続けていきたいとは思えなかったので、別の職場を探すことにしました。

まず本格的な転職活動に入る前に、しっかりコストをかけて、キャリア軸の再設計をすることにしました。自分のこれまでのキャリアについて振り返り、今後はどこに自分のキャリアの軸を持ち、どう歩んでいきたいのか。そういうことを今一度考え直したいと思いまして。せっかくのお休み期間で、元気になってきたのだから、そういうことを時間をかけて検討できる良い機会だとも思いました。このまま、とりあえず回復できたからというだけで社会に戻っても、自分の軸がブレているままではまた元の木阿弥になるかもしれないという不安もありました。

そこで、個々人のキャリアについてカウンセリングに近いことをやってくれるサービスはないもんかな?と、色々探しまして。その中で見つけたのが、大半の方が思い浮かぶであろう大手の無料(=採用する企業側がお金を出している)の転職支援サービスではなく、ユーザー側がしっかりとそれなりのお金を出すことで個々にしっかりと寄り添ってキャリアカウンセリングをしてもらえるようなサービスですね。これにお世話になることにしました。
これには本当に、ウン十万というお金がかかりました。でも今考えても本当に良い投資だったと思っています。
自分のこれまでのキャリアの流れと、その節々で何を思い、考え、どう行動したのかということをしっかりと振り返って、第三者から見てもらうことで、自分では自覚できていなかった自身の強みや、思考パターン、何にモチベートされるのかなど、色々な新しい気づきがありました。現在の職種にこだわらず、他にもこんな業界やこんな職種もあって、私ならこんな活躍の仕方もできるんじゃないか?といった、自分では思いつきもしないような可能性の提示もしてくれました。本当に今からでも何者にでもなれそうな気持ちにさせてくれましたね笑

そんなこんなで自分のキャリア軸の再設計を行った所、「やっぱり同じIT業界で、エンジニアとして成長していきたい」と思ったんですね。何周もぐるぐる考えた結果、やっぱり技術を最大の軸にしたキャリアがいいな、と。そこまで考えてもエンジニアがいいんだったら、転職後も多少苦労があろうと、ブレずに頑張れるかなと。

そこまでやってから、大手の転職支援サービスに登録し始めて、本格的な転職活動を開始したっていう感じでした。

その後、どうなったか

その後ですが、Web系の開発エンジニアとして転職します。基幹の上流SEをやっていたところから、Webの世界でガリガリと手を動かす人になり、もう3年以上経ちますが、スキルスタックは大きく変化しましたし、マインドセットもずいぶん変化しました。

そのあたりもきちんと色々過程を振り返って書いていきたいですが、そろそろまた長くなってきたので、③に続きます。今度は間をあけずに投稿したいと思います。。。。。。。!!!!

ここまでご覧いただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?