見出し画像

ザッ不登校。そのとき母であるわたしは何をしてたのか?



「ぼく、学校行かない」


そう言ってきたのは小3の1学期。コロナの第一次緊急事態宣言直後のことでした。
そこから、その学年は休んだり保健室登校したりして、
結局クラスに戻ったのは小4のときでした。

新年度、もしかしたら
「学校に行くのか、行かないのか」
という悩みがあるご家庭があるかもしれません。


うちの息子の結果だけ見たら、

小3  保健室登校、
  運動会不参加、遠足不参加
小4  クラスに戻り、サッカーのチームを追加し隣の市へ通うことに。
小5  学校で友達と勉強するようになり塾希望
小6  塾とサッカーをすると決めて実施、受験合格

とまぁ、
一発逆転風で、
なかなかに派手に見えますが、
そんなことはなく
一緒に悩み考え、決断は息子に任せた感じです。

今日は、
わたしのしてきたことが、何かヒントになればと思い、書こうと思います。


1.子どもはどちらも悪くない、というスタンスで。


不登校の原因はドッチボールでボールを当てたこと。そこから煽られていろんなことが起こりました。でもスタートは、本当に些細なことです。
休み時間でみんなで遊んでるときに、息子が投げたボールがとある子(書きにくいのでAくんにします)に当たりました。きっかけはそれだけ。

そこから、行けなくなりました。

さて、

誰が悪いのか?


そう考えてしまうけど、その考えを手放したんです。

誰が?
そりゃAくんが悪いでしょ。止めなかった先生もだよね。普段の教育スタイルがおかしいんじゃないの?
と、おもしろいくらいに数珠繋ぎに出てきます。芋づる式、とは、まさにこのこと。

でも、息子も悪かったかもしれない。

そんな思いもよぎったけど、きっと違うんです。
誰が悪いのか?って犯人を探して、
それを除去したら解決なのか?

考えました


解決しないんです。
見てないのに判断できないし、そんなの知らんしね。


社会人になっても、そんなことはあります。誤解されて嫌われたり、
苦手な上司がいたり、
モラハラだったり。
犯罪はダメだけど、そこに至らなくても「なんかこいつと合わない」ってことはあるのです。

その人は悪者? ちがいますよね。

わたしと!
合わないだけ。

違う人には愛されてたり、結婚してたりします。家で子どもに無視されて嫁にも無視され、干されてるかもしれないけど。そんなのは、わたしの知るところじゃありません。


だから、いいも悪いも決めないことにしました。

学校に通うこと
クラスに行くこと
勉強すること
友人と遊ぶこと
ゲームやYouTube

それらすべて、いいも悪いもなくて
「どう捉えて使うか」だけの話。

だから、
学校に行かない息子が悪い、とも思わず
クラスに入らない息子がかわいそう、とも思わなかったんですよね。
今回の件、無抵抗の息子を殴ったことは悪いことだけど、息子はなぜ抵抗しなかったのか?
など、掘れば掘るほど、終わりもないし解決もしないので、
「これから」に目を向けることにしました。


2.居場所を増やす、伝える

息子は、もともとセレッソのジュニアコースに通うほどサッカーが好き。年長から通ってるので小3の段階で既に古株です。
そこのメンバーとも話せる。
結果、次の年に、隣の市のサッカーチームに入ることになるのですが。それは後ほどの話。

わたしのしているお料理教室の中でもベテランで、憧れられるお兄ちゃんの1人です。

さらに、幼馴染は別の小学校に通ってます。

そして、
わたしが通っている倫理法人会のモーニングセミナーにも来てました。

しかも、
実家に帰るたび、北海道に1ヶ月近くいるので、現地の夏期講習に通わせます。
サッカーやプール、体操などいろいろです。(しかも給与形態が違うので大阪よりずっと安い)
そこでも友達というか、話せる人がちゃんといます。いなくても、話せる人をつくってきます。

あれ?

小学校以外にいっぱい居場所あるじゃん。

セレッソのサッカーチーム。
お料理教室の仲間。
違う学校の幼馴染。
モーニングセミナーで会う優しい大人たち。
北海道だけど知り合った友達。

あなたの居場所は小学校以外にたくさんあるよ!そこの友達だけが友達じゃないでしょ?
いろんなところに友人がいるでしょ?

と伝え続けました。

まるで、ルフィ。

集英社 ワンピースより

仲がよかったから、ドッチボールをしてたのでしょう。
でも、急になぜか敵認定されたわけです。戸惑いも悲しみもあるでしょう。
敵に意識を向けてもいいけど、一緒に過ごせる仲間がいます。
大丈夫、思い出して…とことあるごとに伝えました。世界はつらいときもあるけど、優しいあたたかい仲間もいるよ!と。

小学校だけが世界になってしまうと、苦しいです。習い事が助けになったり、親の友人などが助けになったり、図書館が助けになったり。
何がいいかはわからないけど、
小学校以外の安心できる場所をつくろうと心がけてました。


3.ライフスタイルの確保、学校との交渉

学校に行ってない時期、夫は何もしませんでした。というか、息子と話すこともなく、わたしも報告しなかったので、きっと知らなかった可能性の方が高いです。

あー、運動会を拒否したときに、少しだけ気にしていたようですが、
我関せずでしたし、息子には触らず、余計なことを言わず沈黙と無関心を貫きました

となると、
学校との交渉、息子のメンタル管理はわたしの仕事となります。あの人、わたしのメンタル管理さえもしなかったなぁ…

だから、わたしのスタンスとしては、

休むのは良い。

だからと言って
だらけるのは良くない。

早寝早起き、勉強の習慣、
ライフスタイルは同じままでいこう

ということで、
家にいるなら1〜6限目までほぼ学校と同じ時間で動きました。
「休んでいい。その代わりに、これはやる」です。
「できないのなら保健室登校にしましょう」と。
だから、6時間目が終わるまでYouTubeもスマホも無しです。渡すこともありませんでした。
調べ物? 時間があるので体育と称して図書館にチャリで行きました。家にいるから、ネットを見てゲームをして、ゆるゆる過ごせるわけじゃないのです。

で、
その裏で、わたしは学校と交渉です。

担任の先生と電話で話をし、保健室登校の許可をもらいました。
当時の担任は家にさえ来なかったですね。
だからといって、わたしも学校に乗り込むことはなかったです。

息子は…というと、

「ママと勉強する方が過酷や!
 ぼく、保健室にいく!」

と言って2日しか家におらず、毎日保健室に登校しました。

そんな過酷じゃないんですけどねぇ。
大人1人で子ども1人の勉強を見るって、目が届きすぎるんですよね……だから45分授業のうち、40分ほど見張られるのです。
学校の担任の先生なら
クラスメイトを見ていたり、遅い子に合わせてゆるっとした時間があるのに、我が家には、ないですから🤣


4.担任と合わないなら過去の担任にフォローを依頼。1人でしない、1人にしない

3年生で教室拒否。
担任の先生は竹を割ったような性格で、
「お前が悪いな。謝りなさい」
「(納得してない中での)ごめんなさい」
「よし、解決だね!」
という人でした。

だから、厄介でした。
解決してないからね? というわたしの思いが伝わらないのです。
「謝ったんで解決しました!」
「指導しましたー」
の繰り返し。

いや、納得して謝ってないから、
先生のいないところでぐちぐち言われたり、
階段の上で押されたり、あわや落ちそうになりました。
教室でも
「あいつきたで。まじ死ねや」「わかるわぁ」「空気悪くなるわ」とクスクス笑われたりするわけです。

先生は、ずっとクラスにいるわけじゃないのに…
そのとき、悔恨を残した謝罪ほど怖いものはないと実感しました。
だから
学校に電話して様子を聞くときは、小2のときの担任の先生と校長先生がメインでした。
小2のときの担任は、ちょこちょこ寄ってくれてたそうです。
校長先生はよくお茶を飲みに来てたそうです🤣

担任とわたしと息子。
この3人ならきっと無理でした。

そこに、
校長先生がはいり
元担任の先生がはいり
モーニングセミナーでの大人たちが入り
クラスのもともと仲良かったメンバーが少しずつ加わりました。

誰1人として「学校に行きなさい」と言わないのに
「いつか行くよね」と、みんなに思われ続けてました。


5.クラスにも味方を

保健室登校を始めてから、
息子のところに来るのは、

担任▶︎放課後に宿題を届けに来る
昔の担任▶︎授業の合間に顔を出して声をかけていく
校長▶︎お茶を飲みに来る

というメンツでした。

保健室の先生が何をするでもなく、
1つ上の同じような子と一緒に勉強してたそうです。

そんな中、殴られていかなくなって
1ヶ月経った頃でしょうか。
息子が保健室にいることがバレました。
バレたというか、自然と知られたというか
悪意ある噂ではないのですが、
「あの子いるよね」くらいの感じ。
殴ってきたAくんにもバレて、また殴られたけど(校長が見てる前だったので、Aくんは校長に引きずられて校長室に行ったそうです)
1年生、2年生のときの友達たちの耳にも、息子が保健室にいることが伝わりました。


「お昼、教室に食べに来る?」
と、
毎回のように誘ってくれるようになったんです。
わざわざ3階から1階の保健室まで降りてきて、声をかけて
「いや、ええわぁ」と息子が言うと
「わかったー!なら食べたらまた来るわ」
と言って
昼休みは保健室に遊びにきてたそうです。


家に帰ってきてから言うのです。

「なんか誘われるねん」と。

だから、
「んー、行きたかったら行ってみたら?
気乗りしないときは、そのまま伝えたほうがいいよ」
「わかった」
「でも、誘ってくれてありがとうって気持ちは伝えようね」
「うん、それは言うておく」
と、
友達のおかげで、教室に戻りやすくなったのは言うまでもありません。


まとめ

武装して戦う必要はないのです。
同じ土俵に行くことはないのです。
戦う必要はあるかもしれないけど、武装する前に、
本人の心のケアと根回しの大切さをすごい感じました。

本当、
「仲間がいる」って安心します。
「友人がいる」って心強い……

そして、
「いつでも逃げていい」と親がいう安心感
(ただし、生活習慣は死守しましたが)

それにくわえて
小学校以外の居場所を知ることの大切さ。

1人じゃないよ!
そのままで価値があるんだよ。
学校が合わないなら合う場所で学ぼう。
学びは止めないよ

そんな思いでいました



余談

意外と大変だったのは担任の先生との関係修復でした。
もう信じてないのですから、
何を言っても「あの先生だから無理」と言います。

子ども同士は、いつのまにかうまく距離をとって付き合っていました。

でも、担任と息子はなかなかに過酷。

ある日、
冬場に「空気の入れ替えだ」と言って
先生が授業中に窓を開けっぱなしにしたそうです。
「あの人は聞いてくれない」という思いと
「授業中に余計なことは言っちゃダメ」という思いから
窓際の席の息子は
「寒いので窓を閉めて欲しい」とも言えず
「寒いので上着を着ていいですか?」とも言えず、
帰宅後、風邪をひいて高熱で寝込みました。

「言ってくれたらよかったのに!」

普通に言い放った担任。

わたしも
「言ってよー」ってタイプですから、気持ちはわかります。


でも、
「どうせ聞いてくれないじゃん」と子どもの方が諦めてしまうともうゲームオーバーなのです。
当たり障りないイイコの完成です。
その代わりに心も開かないし、教室運営に協力もしないので、痛みのない目の上のたんこぶになります。

そんな思いをさせてしまうことを
わたしは、くやしいと思うんですよね。


怒りたいときもありました。
叱りたくなるときもありました。
でも、
「わたしは何のために、今叱ろうとしてるんだろう?」
「どこに向かわせたくて、わたしは今怒るんだろう?」
と常に考えてました。


結論はひとつ。

息子の心と体を守ること。

これだけでした。

欲を言えば、
どんなことがあっても
どんなことが起こっても
立ち上がれる強さを持つことですが、
弱ってるのだから、そんなことは言いません。


わたしまで追い打ちをかけてどうする?

何度も、何度も、
怒りや責めの言葉を飲み込みました。

結局、飲み込んで良かったです。信じて良かった。


ここに書いたことは、我が子にはこうしたよ!という一例でしかありません。
それでも、誰かのお役に立てるのなら、幸いです😊




この記事が参加している募集

新生活をたのしく

育児日記

サポートいただきありがとうございます。励みになりますし、記事が、何かお役に立てれば光栄です!