見出し画像

「自由」は幸せを感じるための最低条件:style

愚痴をいうおじさんに出会う

親の関係からなんですが、
少し前に50代くらいの人生の先輩たちが集まる会に参加させてもらった。

僕の年齢が36歳なので干支一回り以上違うくらいの年齢の差がある状態で、経験も業界も違うしなかなか擦り合うことは難しいけど、
兎に角愚痴が多い。

しかも愚痴が現状を簡単には変えられない構図や商習慣や風習によるもの。

20代なら辞めて転職!なんてのもあるんだろうけど、
当然ながら今ままでの経験もあるし今のレールから外れることはなさそう。

親の手前おとなしくふんふんと話を聞いてじーっとしてましたが
気持ちも本当にわかるしけど、
なかなか本質的な議論ではなく色々大変なんだろうなあと感じました。

前職を辞めたときの気持ちを思い出した

前職は玩具メーカータカラトミーで働いてた。

老舗で誰でも知ってるし、
子供からヒーローになれるし、
本当に素敵な会社だったし今でも好きな会社。

ただ辞めた。

勿論辞めた理由は複数ある。

ポジティブな退職理由は、
一人でも多くの人を笑顔にしたいとか、
インターネットのちからを信じてとか、

その類で勿論それらも本心。

でも最初のきっかけはタカラトミーが行った人員整理(リストラ)だった。

当時僕は42歳の部長と44歳くらいの担当課長と46歳くらいの課長と
29歳の僕という構図。

課長と担当課長はその対象で仕事も誠実に行ったし、
本当に功労者だったと若い僕からは思ってた。

でも早期退職でやめることになった。

「うそ?俺一人?」
って思ったのを思い出す。

そのときにしばらくして思ったのは、
大好きな会社だけど俺も課長たちの年齢になり同じことになったら、
抗える理由がないって思った。

不景気はくるし、
会社だってまた判断を誤るだろうし、
自分のSkillややれることを確立しないと怖かった。

勿論出世コースでバキバキにやる自身もあった。
今でもやめなきゃ上場企業の部長か~なんて思うこともある。。笑

でも急に怖くなり自分のキャリアを真剣に振り返ったのを覚えてる。

冒頭に出て人生の先輩たちも一生賢明仕事に従事しているのだけど、
新しい施策や売り方を考えても上層部に潰されるとか、
なんも会社はわかってないとか、そもそも仕組みがなんちゃらみたいな話を聞いてるうちに僕があのときに感じてた「不安の状態」がそこにあった。

ベンチャーでいることの尊さとは

トラディッショナルな企業出身の僕はベンチャーっていいと思う。

ちなみにその中で本当にSpeeeが正しい会社でいいって思う。
おべっかでもなんでもなく経営がしっかりしていて、
それを支える13年間関わった全ての人が培ってきた素敵な会社だと思う。

感情に触れたりする議論がないわけじゃないけど(特に俺です。反省)、
ほとんどは本質的に正しい意思決定をすることや、プロセスを明らかにしながら向き合う姿勢の数々は流石だと思うことばかり。

端的に言えば理不尽ではないということでしょうか。

トラディッショナルな会社が「守る状態」にあり、
僕らベンチャーがそいう状態でないため、
理不尽が生まれづらい構造であるのはあるけど。

30歳の時にこの選択肢を「えい!」ってできた自分は、
結構ラッキーだったと思う。

UZOUというプラットフォームを構築して提供し人々をつなぐことが僕の仕事なんだけどそれを行う中で仲間と有りたきの姿に対して議論したりメデイアの人たちと課題を共有したり、ベンチャーの事業家たちと交流したりできるのは本当に勉強になり楽しい。

勿論。いつも楽しいわけではないが、恵まれてると感じる。

そう!愚痴おじさんや会社を去りたくないけど去る状態とは違う。

幸せな人生とは

少し飛躍するけどこれに触れたくなったからかく。

幸せな人生とは?
原理原則というか必要なものがある。

僕は「自由」であるという状態が必須だと思う。
自由とは自分が選択肢を常に持つことができる状態だと思う。

心でいうなら、
好きなときに好きなチャレンジをできることだったり、
好きな人に商談ができるとか

お金でいうなら、
子供に海外留学したいって言われたらそれを可能にできたり、
好きなスニーカーを躊躇せずに買えたりすること。

環境でいうと、
日本のどこにすんでも仕事があったりすること
だから語学ネックで海外にいけない僕は不自由であり
武器を作る必要あるなと思ったりもする

ただこの自由な状態ってのも少し癖があって、
自由になっている状態は実は永遠ではないとも思う。

刹那的にしかこないんだろうなあとも思う。

理由は2つで、
1、自由な状態になったと思ったときには次のやりたいことがでてるから
2、そもそも常に周りが変化している中で新しい課題がまた
 「こんにちわ~」をしてくるからなんだと思う。

なので捉え方を変えたほうがいいのかもって書いてて辿り着いた。

自由は結果ではなくプロセス、
つまりは意思決定に存在するのではないか?と。

そこに向かいチャレンジをしている状態の心が自由な状態なのではないか?ということ。

そうなると少し自分の意思決定とか毎日の決定に責任もてるし、
なんかちょっと楽しくなるのではなんて楽観的だけど今朝おもった。

自由に向けてチャレンジしていきたい。

自由になるためにどうするか?


結局は自分に向き合うことでしかない。

抗えない状態を作るとストレスがたまり自由ではなくなる。

ただ闇雲に何にも縛られないことなんかありえない。

特殊なスキルや希少価値が高くないと当然だれも意見も聞いてくれないし笑

何かを成し遂げる人間になるには自分に向き合い努力する必要がある。

自分の興味をしり優先度をしり努力し続けること。

持続するのはなんでも難しい。

すべての選択をしているのも自分であるということ。

色々あるにせよ、
冒頭にある数々の先輩たちが選択肢がない状態になってるけど、
選択しているのは自分であるということ。

ただ。

色々偉そうに書いてきたけど、
自由な20代とは異なり年を重ねると家族も増え、
選択肢が狭まるのも事実だったり、
経験があるから踏み切れなかったりという言い訳が多くなるのも事実。

これがあと15年後にさらに増えると同じことを言えない可能性もあるし、
愚痴おじさんになってる可能性も否定はできない。
ってかなる可能性のほうが高い。

それでもそうならず、
有りたき姿は常に成長を求め頑張れる人間になりたいと
綺麗事でなく心から思う。

自由を得るために理想に向けて努力していける環境を作るのは
自分であると立ち返り頑張ろうと思う。

冒頭の諸先輩が不自由であるから不幸せであると確定したわけではなく、
若輩ものの僕から見えてそう見えただけなので、
全然否定する気もないですし、端的にこの側面を見て僕自分に置き換えておもったことでした。

少なくても僕はこの状態を避けられるようになりたいって思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?