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病むかもしれない病から脱却する時が来た(決意編)(神回)


自分の根っこにあった課題を
書く。
そして、抜け出す。
あぁ、長くなるなぁこれ。
編で分けた方が整理されるだろうなぁ。


休憩の日だけど、頭の中の言葉がうるさい。
もう書き出したくて仕方がない。
書き出して整理する時がきた。
さぁ、書き出そう。




2月から眠れない日々が続き
ぷつんと糸が切れ
会社を休んだ。今も休んでいる。

たくさんの
不安
つらさ
寂しさ
悲しさ
怖さ

をまずは受け止め
自分を褒めて
労って
自分に感謝して
祝福した。

相談したくった。
こんなに相談できる人がいる。
まず、そのことに感謝。


そして、自分よく頑張った。
相談なんて出来なかった
できる相手なんていなかったけど
こんなに周りに助けてくれる人がいる状況を
ひたすら
ただひたすらに動いて
掴み取った。
そして、相談できる人にいつの間にかなっていた。
自分ありがとう。
よく1人で頑張った。

なーんて思える日が来るとは
まーったく思っていなかった。


今の仕事への不安、不満
寂しい気持ち
表面上はその2つが大きかった。
でも、なぜ2月から寝れてない?
根本的理由はわかっていなかった。


そして、自分と向き合い、相談を重ね
ようやく自分を苦しめている原因に辿り着いた。
辿り着かせてもらった。

それが


「病むかもしれない病」


母の精神病
叔父のたばことお酒の中毒と自殺

あまりにも自分の中で大きすぎた事柄。

母方の血を濃く受け継いでいる。
母と自分は似ている。
ずーっとそう言われて育ってきた。
そして、自分でもそうだと思っていた。
気づいた時には刷り込まれてしまい

「自分も病んでしまうかもしれない」
「自分も死にたいと思ってしまうかもしれない」
という考えが頭から離れなかった。


特に、就職して1人で生きていくとなった時が
危ない、危険、可能性が高くなる
ずっとそう潜在的に思ってきた。

だから、修士論文が終わったその日から
気を張り続ける毎日だったんだと。
そのタイミングで寝れなくなったんだと。
でも、その気持ちに気がついていないから
根本的原因がわからなかったんだと。


怖かった。
ひたすらに怖かった。

死にたくない
死にたいと思いたくない、叫びたくない
しんどい思いしたくない
病みたくない
パニックになんかなりたくない
あんなふうになりたくない

恐怖が映像となって
頭をよぎった。

こうなってしまうかもしれないという
想像が頭を離れなかった。


病んでいる自分
首を吊っている自分が
時折とても楽しい状況でも
どれだけ忙しくても
パッと頭に浮かぶ。

その度に冷静になっていた。



だから


ここにいたら楽しい
この人たちのように自由に生きたい
この人たちと一緒に暮らせたら幸せだろうな

そう思っても

「この人たちのようにはなれない」

とずーっとどこかで思っていた。
頑張ってその感情を無視して
取り繕っていた。
何かわからないプレッシャーをずっと感じていた。
楽しかったのは事実だし
幸せだと思ったあの感情も事実。

でも

ここにい続けてはいけない
この人たちと自分は違う

誇張ではなく本当にそう思っている自分がいた。
そんな自分がふっと顔を出すことがあった。
あまりにも眩しすぎて
そうなれない自分に幻滅するのがつらかった。


村をつくりたいと言っているけど
自分はその輪からいつか抜ける。
そんな想像をすることもあった。

だから、時折とてもしんどかった。
すごく寂しい気持ちにもなった。
中に入り込むのが怖かった。
距離が縮まるのが怖かった。


取り繕ってる自分を好きでいてくれているだけだ。
こんな自分はいつか離れることになる。

明るく振る舞っても
どれだけ明るく振る舞っても
その感情だけは無くならなかった。

だから、「離れたくなったら離れて」

と、予防線を張っていた。

ほんとは離れたくないのに。
ごめんなさい。


「あなたにはこんなに愛してくれる人がたくさんいる。それだけは忘れたらいけない」


そう言われた言葉も
どこかでモヤモヤしていた。

でも

自分が苦しんでる根本的理由が
わかった今

やっとその言葉の意味を理解できた。

あなたにはこれだけの愛が注がれてる。
だから大丈夫だよってことなんだと思った。
そう思えた。

帰ってもいいんだ。
そこにいていいんだ。
自分も自由に楽しんで生きていいんだ。

つらかったなぁ。
よく頑張ったなぁ。
それでもたくさん成し遂げたなぁ。
えらいなぁ。



もうたくさんだ!
心の底からもうたくさんだ!
こんな自分とはもうおさらばだ!

変えてやる。
絶対に変われる!
そう確信している。
というより、病に気がついて
自分の過去の感情を客観的に見ることができて

もう、自由に生きよう!
となった。

これだけ苦しんだ何年?
わからないけど10年以上で

どれだけのものを学んできた?
どれだけの考え方を吸収してきた?
どれだけ愛されてきた?
どれだけ自分の好きを見つけてきた?
どれだけ発散方法を生み出してきた?

僕は母とは違う。
断じて違う。

自由に自分がやりたいことをして生きる。
生きれる。
生きていい。

起こって欲しい未来を想像できる人になれる。
困難も受け止めて笑って乗り越えられる人であれる。
「今」の「自分」を生きることができる。

俺は病みはしない。
楽しく笑って生きていける。


noteを書き始めたのは
自分を知りたかったから。
12月から書き始めて半年。
自分と見つめあった半年。



最後に絶望的な1週間があり
ようやく、根本的原因に辿り着けた。

自分と周りに感謝。






人が来てホッとする場所をつくりたいと
ずっと思ってきたのは
自分がホッと出来ていなかったからなのかも。

なんでなんやろ。ってずっとわからなかったけど
そうなんだと思う。

「あなたはあなたを生きていいんだよ」
ただ、その言葉が欲しかった。
愛してもらってそう言ってもらって
そう思えたから
今度はどこかの誰かにそう思ってもらいたいな。
自分の夢がまた確固たるものとなった。


あと2つだけどうしても書きたい文章がある。

自分のことについて書くのは
なんとなくそれで終わりになる気がする。

その後は
楽しいこと書きたいなぁ。
くだらないこと書いてたいなぁ。

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