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かつてこどもだった人たちと

こどもの日に実家でバーベキューをした。
急遽だったから呼ぶ人を限って誘ってみて、父から「何人来るんや?」と聞かれ、「4人」と答えると「なんやそれだけか」と笑っていた。
そう言われたら私は本気を出したくなる。冗談半分で東は東京、西は岡山まで声をかけてみた。

急だし連休だしで、結局最初に誘った関西人たちだけが集まったけど、父が「お!そんな来るんか!」と驚いて喜んだくらい集まった。

バーベキューを開催するとなると、準備に本気を出す父と母。コストコに行って買い出しをしていると、あれもこれもとみんなに食べてもらいたいものが浮かぶ母は
「コストコ来たら元気になるねん」
と言ってはしゃいでいる。買うものを書いた紙を握りしめたまま、興奮してリストを見るのを忘れている母だった。

コストコという場所に滅多に行かない私はいつも迫力と活気に圧倒されてしまうため、はしゃぐ余裕もないから母のこどもな一面を垣間見た気がした。

買い出しを終えて、翌日に向けての仕込みをする前にランチで腹ごしらえ。あまりに外がいい天気で気持ちがいいから、バーベキュー前日にタープテントを張って外でラーメンを食べた。

食べ終わっても私はまだ外にいたくて、ずっと観たかったホラー映画を観た。ホラーは苦手だから明るい場所で観たい。映画とギャップがあればあるほど観れる気がするから、気持ちのいい空の下で観たらギャップ作戦大成功だった。

というわけのわからないことを書きながら、今、私は眠気に負けそうになっている。今飲んでいる薬が眠くなる副作用があるため、とにかく眠い。こどもだったら、授業中に居眠りして先生に怒られるパターンだ。でもおとなになったら、自分で眠気と闘って勝っていかなければいけない。

いつでも眠れる状態のため、あのこどもの日のバーベキューが夢のように思えてくる。それくらい楽しかった。しかもみんなそれぞれパートナーを連れてきてくれたから、何も気を遣わない親戚の集まりのようにいろんな家族が大集合した感じ。

その光景を見てるだけで幸せで、食べるのも飲むのも忘れるほどだと思っていたけど、母が当日準備しながら「みんなが辿り着きそうやったらお好み焼きしよう」と言っていたのが、あっさり辿り着いてしまった。
鉄板で焼いてみんなでつつくお好み焼きってなんであんなに楽しくて美味しいんだろう。

この日は親になった人、これから親になる人、様々な環境の人たちが集まった。みんなの共通点は「私の友達」ってだけで、出会った時期も場所も年齢もバラバラ。環境が変わっても変わらず会えることが嬉しかった。

この日、7年ぶりくらいに再会した友人が
「えりかは素敵な人たちに囲まれて、えりからしくブレずにいられるんだなぁって感じた」
って言ってくれた。
ほんまにそうやねん。

周りの人たちの素敵さが私の人生の自慢かもしれない。たくさん失敗もするし、しっかり落ちる時もあるけど、素敵な人たちが周りにいる自分のことは胸を張って信じられる。

最近、改めて感じたこと。
お金がないよりも誠意がない方が私はメンタルを食らう。誠意があると希望が広がっていくことも知った。そうやって周りの誠意ある人たちに教えてもらっている気がする。

こどもの時みたいに教わる姿勢はずっと持ち続けていたいなと年々思う。何かができるようになったり、経験が増えると知ってることが自然と増えて、同時にプライドというものも無意識に身についてしまう。完全になくすこともおとなになるにつれて難しいのかもしれない。

でも、前日にスペアリブのソースの作り方をこっそり復習する父や、ピザの生地を練る際に耳の部分にソーセージを切って入れてみる母から、いくつになっても学ぶ姿勢と探究心を持つ大切さをバーベキューを通じて感じた。

70歳をすぎてもそんな親だからか、親の周りに集まる人たちもみんな笑顔になる。
そしてそんな親と楽しんでくれた友人たちにも感謝だった。夢みたいな楽しい時間をありがとう。

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