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涙のわけは?一人のロービジョン患者さんとお話しできたことについて

最後は気持ちだけでした。

ここでフェイドアウトさせてはいけないという、ただ気持ちだけ。

定期的に通院して下さっているTさん。年齢は60代で男性、以前は大学病院に通院されていた方です。緑内障で右眼は光覚のみ、左眼は(0.03)ですが視野が非常に狭く奥様と一緒じゃなければ通院できません。

先日、私がTさんのカルテをとってお呼びしたとき、Tさんから紙を渡されました。達筆な字で、処方してもらいたい目薬の種類と本数を書いてくれていました。

私はてっきり奥様が書いたと思ってきいてみたら、Tさんが書いてくれていたそうです。

視野も狭いし視力も低下しているのに、とても丁寧に書いているのに驚き

「どうやって書いたのですか?」

と尋ねたら

「明るいところで黒く大きな字なら、なんとか書ける」

とおっしゃっていました。

Tさんと奥様に歩行訓練や支援機器など、何度かご案内はさせていただいていたのですが、反応はイマイチでした。

今回、大きく綺麗な字を書いてきてくれたTさんに

「福祉機器をもってきてくれる業者さんがいるので、よかったら見てみませんか?」

とご案内して、日程が決まったら連絡するとTさんと奥様にお伝えし、そして本日Tさん宅に連絡を入れたのですが…

想像したのと全然違う反応が

私「こんにちは、T様のお電話でよろしかったでしょうか」

Tさん「はい。」

私「〇〇眼科のケン(実際は名字)ですが、先日ご案内した福祉機器の日程について…」

Tさん「私はね、どんどん見えんことなっとるんよ。機器ってお金かかるんやろ。見えるようになるわけでもないのに」

私は瞬間的に、これはマズイ。もう行かないと決めているかのように感じる。

まるで高額な商品を売りつけてくるセールスマンに対し、絶対買わないぞという意思を強い言葉で表現する。

そんな口調でした。

すんなり日程調整を決められる、そんな風に思っていた私は焦りながらも、先日のことを思い出してTさんに話し始めました。

私「先日Tさん、綺麗な字で処方してもらいたい目薬を書いてきてくれましたよね。私、正直申し上げてとてもびっくりしたんです。」

Tさん「…」

私「きっと見えずらい、書き辛いなか、私達にわかるように書いてきて下さったのですよね」

Tさん「そうやけど」

「Tさんのおっしゃるとおり、福祉機器は目を治すことはできません。でも、もしかしたら今よりも少し字が書きやすくなったり、読みやすくなったりする可能性があるのです。」

Tさん「…」

私「だまされたと思って一度だけでも見てみませんか?」

Tさん「だまされたと思って?」

かすかに、Tさんが笑ってくれていたのを私は見逃しませんでした。

今なら少し聞いてもらえる。そう思った私は

私「だまされたと思ってはだめですね。すいません。」(笑顔の口調で)

Tさん「機器ってやっぱり高額なんやろ」

私「はい。ものによっては20万円、それ以上する機器もあります。ですが手帳をもっている方なら1割負担の2万円程度で買えるものもあるのです。もちろんそれでも高額ですが、一度だけご覧になってみませんか」

そして最後は

私「決して押し売りのようなことはしません。私を信じて下さい。」

と言ったような気がします。

10秒くらい沈黙があったでしょうか…

「…とう」

「ありがとう」

Tさんから、涙声にも聞こえるような声で。

そこからはTさんが、今まで眼科に行ってそんな風に声をかけてもらったことや、教えてもらったことは一度もなかった。

自分の気持ちを少しずつ話してくれました。

そして最後に

「先生、本当にありがとう」

私は先生ではないのですが、という気にもならず、そのままの言葉をいただき電話を切りました。

そして気がつきました。

自分自身がを流していたことを…。

その涙は安堵の涙?

涙を流している自分に驚き、ちょっと冷静になってなぜ泣いているのか考えてみました。

Tさんに機器を見てもらえるからほっとした?

確かにその気持ちはあります。

だけど、それ以上に悔しかったんだと。

Tさんがどんな思いで眼科へ通っていたのか。

どの眼科でもTさんの助けとなる情報提供がなされていなかったのかと。

自分なりに治る方法を探ったり、もしかしたら高額な健康食品なんかも買っていたのかもしれません。

最初の否定の感情は、「何をいまさら」。

そんな風にも聞こえました。


私は他の視能訓練士さんよりも、全盲の方やロービジョンの方の知り合いが少しだけ多いかもしれません。

当事者団体の役員をやっているし、友人もいるので。

その方達が私が眼科で勤務していると知った上でよく言われます。

「眼科にはできることなら行きたくない」

いやいや、病院なんて誰だって行きたくないだろ。

そういう意見もあるかもしれませんが、話を聞いていくと

・もう少し私のことをわかって欲しかった
・見えないのはわかっているけど、言い方や接し方で辛い思いをすることが多い

私の知り合いは、こう言ってはなんですが「治ることを期待せずに眼科に行っている人達」が多いです。(iPSとかそういう話ではないです、今回は)

書類を書いてもらうため、見えないけど眼圧を下げる薬をもらうため、などなど。

ちょっと質問です。

皆さんは、白杖をついてこられた患者さんや、誘導が必要な患者さんがきたらどう思いますか。ちょっと誘導大変そうで嫌だな、そんな感情が沸いてきたりしませんか?

はい、以前私も思っていました。

見えづらい方は、我々の何倍、いや何十倍も大変で嫌な思いをして眼科にきているのです。

そこだけは理解しておきましょう。

(ロービジョンを)学ぶことって?


話しを戻します。

私は、Tさんに何をしてあげられたでしょうか?

しいて言うなら

「情報を提供してあげることができた」

私は周りの方に恵まれているおかげで、ロービジョンに関する多くの情報を得ることができ、それを患者さんに提供することができました。はっきりいって私は情報提供くらいしかできません。

単眼鏡の倍率?→いっぱい見てもらって、一番見えるのを探しているだけです。
遮光眼鏡?→上記と同じ
拡大読書器?→ガンジーさんにお任せ
困ったら?→M先生、歩行訓練士Tさん、当事者団体の会長他、仲良し視能訓練士、助けてもらう

人脈だけは誇れます。

唯一自分自身の行動で褒めることがあるとすれば、

✅「自分から行動したこと。学ぼうとしたこと」

私の知り合いの視能訓練士には、すっごい知識が豊富な方がいますが、彼らも最初から凄かったんじゃないですよね。

きっと悔しい思いをして行動して、学んでいったんだと思います。

私は以前のnoteでも書いたように、ロービジョンの第一歩は情報提供だと思っています。

少しだけでもいい、困ってる患者さんがいたら自分には何ができるか、自分に出来なかったら誰に繋げてあげたらよいか考えてみて下さい。

その結果、患者さんが喜ぶ顔が見れたら、それが最高の瞬間ですよ。

私が手助けできることならなんなりと相談して下さいね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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