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「ターコイズグリーンの鏡」

いちINFJの私が、拙い言葉で小説を書きました。もし良かったら、お読み頂けますと幸いです。では。


 長い戦争がようやく終わり、俺は晴れて退役軍人となった。だが俺達は英雄扱いされないどころか、使い古された悪しき時代の産物として、残りの寿命を潰さなきゃならないらしい。お陰で今じゃ殆どの同胞が、路上での生活を余儀なくされている。俺はというとなんとか清掃の仕事を見つけ、生活のために必死で食らいついている所だった。
 俺が掃除を任せられるのは主に個人のちょっとした屋敷が多い。仕事は昼夜問わず忙しく、休暇を得られることは殆ど無い激務だ。だが、先日次の屋敷の持ち主が病に倒れ伏し、たまたま依頼がなくなった。そして俺は突如、ちょっとした休暇を言い渡されたのである。
(さて……何をすべきか)
 次の依頼までの給料は、会社がなんとか保証してくれるらしい。やるべき事がなくなり、生活の保証もされているとなると、人間はとたんに欲が出てくる。おもむろに財布を開くと、コインの群れが黄金色に煌めいた。すると脳裏には、とある場所のことが浮かび上がるのだった。

 気付けば俺は、かつての国境を超えて、とある森林に来ていた。誰かに咎められる心配はもうないのに、どことなく身を隠しながら進んで行く。林道の脇には淡い桃色のライラックの花が、風に揺れながら優しい甘さを振り撒いている。その香りは、不思議と心の深いところにまで容易に沁み入ってくるようだ。
 不規則な砂利道が途切れたかと思うと、鮮烈な翡翠色の水平線が茂みの合間から現れ、一斉に開けた。それは聞いていた以上に巨大な湖だった。遮るもののないこの場所からは、その壮麗な姿が一望できる。遥か沖ではどこか懐かしさを湛えた光が、ちらちらと静かに揺れていた。
 僅かなせせらぎが耳に入る度、郷愁とも憧憬ともつかない、静かで激しい波紋が体内に満ちてゆく。俺にとっては見たこともない景色のはずなのに、まるで初めから求めていたかのような――いや、湖の方が自分を求めていたのかもしれないが――とにかく、奇妙な感覚があった。
 俺は湖に近付き、ゆっくりとその水面を覗き込んだ。底に横たわる流木の数々がはっきりと見える程、透明度の高い清らかな水だ。湖面のさざ波が鎮まると、自分の顔がはっきりと映し出された。深い皺の刻まれた憂鬱な面持ちが、降り積もった年月の重みを感じさせる。
 その時、俺は耳元に懐かしい声を聞いた。
「……トム」
 在りし日の声色に鼓膜を揺らされ、俺は堪らず狼狽えた。辺りを見回してみるものの、そこには当然他人の姿はない。そうこうしているうちに、再び湖面がさざ波で覆われ、自分の顔貌が歪み出した。すると反射的にと言っても良いほどの速度で、俺の意識は過去へと引き戻されていった。


 数十年前、俺は田舎の村から突然駆り出された、世間知らずでつまらない若造の一人だった。体格があまり良くない上に吶り癖のある俺は、規律に厳しく、何をするにも速度と要領が求められる軍での生活に苦労を余儀なくされていた。その辛さが自分に特有のものだとは思わなかったが、同僚たちが羨ましいと感じることはあった。週に一度だけ許される電話の時間に、家族へ愚痴をこぼすことができたからだ。
 ある日俺は訓練でバツをつけられ、夕飯を抜かれたまま眠る羽目になった。こうして飯を抜かれること自体は何度も経験していたが、なかなか慣れることが出来ないものだ。俺は糖分不足で疲れ切った頭を無理やり固い枕に埋めた。枕の下に隠していた電話用のコインたちが、虚しくジャラリと音を立てた。
 空腹で眠りに就く事ができず、月明かりの満ちた青い部屋でじっと掛け時計の針を見つめているだけの、空白にも近い時間だった。敵兵に殺された家族の顔が過ぎらないだけ、まだマシだったのかもしれない。しかし腹を好かせたまま夜明けまでの時を過ごすとなると、時計の針というものは途端に憎くなる。
 その時だった。
「……起きてるんだろ」
 苦しい沈黙は、傍らから響く声によってかき消された。
 寝返りを打つと、サム・アドール――声の主の姿が目に入った。サムはベッドに腰掛けて腕を組み、切れ長な目の端に光るグレイッシュグリーンの双眸でじっと俺を見つめていた。俺よりも遥かに逞しい二の腕が、教科書で見た神話の彫刻のように深い陰影を作り出している。一方で、この辺りでは珍しい赤毛の先が、月光を反射してか細く輝いていた。
 サムは俺のすぐ隣だったにも関わらず、俺は奴を意識したことがなかった。奴は俺と違って、常にたくさんの友人に囲まれていたからだ。友達から離れてベッドに戻ると、サムはすぐに眠ってしまう。だから今まで話しかけるタイミングというものがなかった。
 サムは懐から何かを取り出したかと思うと、俺に向かっていきなり差し出した。
「やるよ」
 サムが手のひらほどの大きさをした布の包みを解くと、食堂で見慣れたパンが現れた。だが食料の持ち出しは厳しく禁止されている。俺は冷や汗をかきながら、疑うような目つきでサムを見つめた。だがそんな俺を前にして、サムは笑いながら言った。
「安心しろよ、皆眠ってる。それに同じ経験をしてる奴なんかごまんといるさ。真夜中のパン一つ、誰も攻めやしない」
 その言葉に、俺は肩の緊張が少し解けるのを感じた。空腹が限界を迎えていた俺は、震える指でパンを受け取ると、急いで懐に仕舞い込んだ。見つかれば連帯責任を問われるのは確かなのに、なぜこんなことをするのだろう? 理由を尋ねる言葉を出せずにいると、サムの方が先に口を開いた。
「……ほら」
「え……?」
 サムは俺の枕の方に目をやってから、自分の枕をどけて見せた。するとそこには俺と同じように、電話用のコインが溜まっていた。
 俺は驚愕した。自分と同じだ、と思った。それだけではない――ずっと自分は見られていた。彼方に遠く漂う光のような存在だと思っていた奴が、俺のような陰に潜むしかないような人間を気に掛けていたのだ。その事実はまるで、世界の法則がひっくり返ったようにすら感じられた。
 目を皿にして絶句する俺を前に、サムは苦笑した。
「俺も電話の相手がいないんだ。だから……」
 サムは突然真顔に戻って俯くと、独り言のように呟いた。
「……いや、俺の勝手だ。済まなかった」
 その声があまりに悲しそうで、俺は思わず動揺してしまった。いつもの人懐こい笑みは完全に影を潜め、まるで違う人間を見ているかのようだ。
すると不思議なことに、自分でも驚くほどするりと言葉が出てきた。
「……謝らないでくれ。それより、ありがとう」
 俺は懐からパンを取り出して齧り始めた。無味乾燥なはずのありふれたパンが、一段と甘く感じられた。柔らかな月明かりが、それぞれのコインの山を星々のように輝かせている。その黄金色の煌めきは、後にも先にも俺達だけの秘密だった。

 それからというもの、俺とサムは暇を見つけてはしばしば時間を共にするようになった。道端のライラックの花が目に入ると、サムはその度近付いてじっと眺めていた。実のところ俺も花が好きだったが、軍の人間で花に興味を持つのは自分くらいだった。だから皆のエースであるような奴が、落ちこぼれの自分と似た感性を持っていることは不思議で仕方なかった。
(ライラックか……花言葉は確か……)
 俺はそんなことを考えてみたりもした。だがその先を口に出すのは、なんだか恥ずかしくて出来なかった。サムと自分の共通点を発見するたび、まるで呼応するかのように心の何処かが温かくなる。その温もりは俺の孤独を、何よりも深く慰めてくれた。

 ある日の自由時間、寮の裏で二人パンをかじっていると、サムは俺に故郷の話をしてくれた。
「俺の故郷には、亡くなった人の姿を見られるという湖があるらしいんだ」
「え……!?」
 それを聞いて、俺はつい殺された家族のことを思い浮かべた。一目でもいいから、また会いたいと思い続けてきた存在だ。あまりにも俺が驚いていたからか、サムは俺から一度視線を外して続けた。
「透き通った翡翠色が、訪れた旅人の心を鏡のように映し出す。その湖畔に立てば、大切な人にまた会えるそうだ。その場所の名は……」
 だが言いかけて、サムは俯いた。
「いや……こんなこと、考えている場合じゃないか」
 サムが口を噤むと、グレイッシュグリーンの瞳が暗く沈んだ。いつもの彼に宿る輝きがそこから去っているのが、手に取るようにわかった。俺はつい、
「……わかるよ」
 そう溢した。するとサムははっと俺に目を向け、ほんの少しだけ唇の端に微笑を浮かべた。

 それから半年ほどして、俺たちは野営訓練に駆り出されることとなった。足場の悪い狭い山道を延々と練り歩き、時間内に次の基地まで辿り着くというものだ。非常に大掛かりな訓練となるため、失敗は許されなかった。だが予想だにしない雷雨が襲い、あっという間に辺りが水浸しになってしまった。
 雨の弾幕は視界や聴覚を遮り、前列との距離がどんどん開けていく。俺は焦り出し、急勾配の斜面をいつもよりひと回り大きな歩幅で歩み出した。しかし前列の姿が、一向に見えてくる気配がない。
と、ふいに俺は泥濘に足を滑らせ、道を踏み外した。
(まずい……!)
 細かい枝が体で潰される音がして、自分という肉体が転げ落ちていくのがわかった。崖下には尖った大きな岩が待ち受けている。当たれば体を裂かれて一貫の終わりだ。俺はさすがに死んだと思った。
 だがその時、俺の手を握った奴がいた。
「おい! とにかく……離すなよ!」
紛れもなく、サムだった。落ちれば二人とも命の助からない崖だ。なのにサムは躊躇いもなく俺の手を取り、元いた道まで俺を引きずり上げた。
 安定した足場に降りた時、俺はサムに向かって叫んだ。
「ど、どうして……!?」
「シッ! 森林の中では物音を立てるなと教わっただろう!」
「でも……」 
 俺はサムの右手が負傷している事に気付いていた。二人分の体重を支えるために、地面から飛び出た岩や木を握りしめていたのだろう。大きく切り裂かれた手のひらからは次々と血が溢れ出し、絶えずポタポタと地面に落ちている。
 見るだけで辛かった。だが俺は、サムの言う通り黙るしかなかった。ここが森である以上、騒げば潜伏している敵兵に気付かれるということで、大きく減点を食らうからだ。そんなことをすれば俺たちは全員飯を抜かれるどころか、除隊されて農場に送られてしまう。それはきっと、サムが一番望んでいないだろう。
 泣きそうな俺に一瞥くれながら、サムが言った。
「……行こう」
 そう言うとサムは右手に自分で包帯を巻き、颯爽と歩き出した。巻いたばかりの包帯が、あっという間に真っ赤な血に染まった。それは燃え盛る炎となって、俺の虹彩を抉るように焼いた。
(いつか必ず、この借りを返そう)
 この夜、俺たちはしっかり次の基地まで辿り着いた。

 ある日、軍に情報が入った。
≪軍のどこかに、敵国のスパイが潜り込んでいる模様≫
 この情報は暗号によって伝えられ、全員に届いたのかどうかはわからなかった。俺は敵国への恐怖や憎しみよりも、強い驚愕を感じていた。そして軍で辛い日々を過ごした同胞たちの中に、裏切り者が潜んでいるという事実が悲しくて、しばらく信じることができなかった。
 だがこの伝達から数日後、俺はサムの不思議な寝言を聞いた。
「ターコイズ・グリーンの鏡……」
 後で知ったことだが、それはこの国で育った人間からは決して出ない言葉だった。「ターコイズ・グリーンの鏡」は、当時の敵国に位置する湖の名前だったのだ。
 そしてある日、突如サムは姿を消した。あれほど注目を集めていたはずのサムなのに、奴の安否を心配する者は誰もいなかった。俺の隣のベッドには新しい同僚が寝ることになり、訓練もいつも通り行われた。まるで「サム・アドール」という人間が、元からこの世界にいなかったかのように。
 それから更に何日か経つと、基地から数キロメートル離れた場所で、不自然な焼死体が見つかったという話を聞いた。その人間の情報を抹消するためか、出来る限り焼き尽くされていたらしい。だが第一発見者によると、その右の手のひらにはやたらと深い傷があったという。
(サムだ……)
 信じられなかった。つい先日まで隣りにいた存在が、まさかこのような形で消し去られてしまうとは。死体を焼いたのはきっと、情報を持ち去られることを恐れた軍だろう。俺は頭が真っ白になった。
 こんなに運命を呪ったことは、後にも先にもないだろう。奴は俺を気にかけてくれた唯一の友人で、共通点を持つ唯一の理解者で……
そして俺の家族を殺した、敵国の兵士だったのだ。


「……はっ」
 瞼を開けると湖の鮮烈な翡翠色が目に飛び込み、虹彩を焼いた。気付けば俺は湖畔に座り込んでいたらしい。
 俺は再び遥かなる水平線を見つめた。懐かしさを湛えた光は、なおも遠のき、沖で静かに揺れている。暫くして視線を足許に手繰り寄せると、俺は湖面に自分ではない誰かの姿が映り込んでいるのを見た。それは幼少の頃に離別したきりの家族と――
 人生のうちで、唯一友と思えた男の姿だった。
 俺は水面の向こう側にいる幻に語りかけた。
「俺はお前を憎まなくちゃいけないはずだ。でも……」
 俺は足許にあった薄い岩を拾い上げると、その横にあった尖った砂利で友の名を刻み、土の上に置いた。石の下にはもちろん本人は居ないし、墓と言うには粗末すぎるかもしれない。だが確かに、それは奴が存在したという、唯一無二の証だった。

 俺は踵を返し、故郷への道を歩みだした。明日でもう、ちょっとした休暇は終わりを告げるだろう。道端のライラックの花は、変わらず優しい甘さを振り撒いている。と、春の青い風が、俺を置いて彼方に過ぎ去っていった。


Fin




【あとがき】

この作品は、自分の実体験をもとに私が作ったものです。かつて自分を大切にしてくれていた知人が(犯罪行為とまでは行きませんが)とある罪を犯してしまい、周囲に責められていた時の気持ちを思い出しながら書きました。もちろん全くのフィクションであり、実際の人物とは関係ない上、かなり大袈裟に脚色されているのですが、この物語の主人公トムがかつての友人サムに対して感じた気持ちは、今の私に流れているものと相似しています。要は「自分に対して悪い事をした人であっても、その全てを憎むことが出来ない」といったことです。

これは現実の話になりますが、もちろん私も、その人の行いによって大きな損害を受けました。ですが私は周囲の人々のように、手のひらを返して完全にその人を憎むことができなかったのです。でもこんなことを言えば、周囲はきっと私に呆れ、責め立てることでしょう。それでも私は、この感情を殺してしまいたくなかった。これが自分のエゴだとはわかっていてもなお、どうにかして残しておきたいと思ったのです。そこで私は事実をもとに、小説といった形で自分の感情を保存するという方法を取りました。そうすれば、直接的な事実を言わずとも、誰かと感情の共有をすることができると思ったからです。

この小説を読んで下さった皆様には、感謝の気持ちしかございません。この度は私のためにお時間を割いてくださり、本当にありがとうございました。

ちなみに、この小説のテーマソングは、KOKIAの「孤島」です。

もし良かったら、お聴きください。

https://www.youtube.com/watch?v=XnggDBOZVe4







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