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死ぬまで1600日を切っていた話。

こんばんは。苗代研磨です。

突然ですが、私が死ぬまで1600日をきりました。正確にはこれを書いている時点で残り1571日らしいです。

今日から1571日後は私の28歳の誕生日で、私は28歳に誕生日に死ぬつもりでした。

「でした」という言葉で過去形にしたのは、「今は死のうなんて思ってないよ」という一応の弁明ではありますが、そもそも本気で死のうとなんて最初から思っていなかったとは思います。

 これをスマホのカレンダーに設定したのはおよそ5年前で、高校2年生か3年生の頃。青春真っ盛りで、将来が不安でどうしようもなく心が繊細な時期でした。

 子供だから世間を知らず、学校と家庭、そしてインターネットの狭い世界だけで生きていたからこそ、自分の抱えている不安や辛い感情を発露する方法を知らず、また言語化することが出来なかった。

 だから、ネガティブな感情を安直かつ、たった4文字で済んでしまう言葉にしてしまう。

 「死にたい」なんてみんな毎日思って過ごしてたと思います。

 それが本当は「将来が不安」とか「教室の人間関係が苦手」とか具体化できる感情だったと気が付いたのは成人を迎えて少しした後でした。

 とはいっても、当時抱えていたネガティブな感情は決してちっぽけなものではなかったとは思います。あの頃感じていた辛さや不安は本物だったし、「死にたい」という言葉に値しました。

 当時の私は家庭の事情だったり受験のことだったりお金のことだったりで、心の許容量を超えたネガティブな感情を抱えていて、それはいつか気持ちの整理が来たらこんなふうに文章にできたらいいなと思います。

 話は少し変わりますが、私はメディアワークス文庫を読み漁っていて、特に佐野徹夜とか、三秋縋が好きでした。(あとはメディアワークス文庫とは関係ないですが新海誠も好きです) いわゆる青春小説というやつです。

 青春小説はもちろん青春の話なのですが、青春時代の多感な時期の悩みや不安定な精神性を青春小説は代弁して、言葉にしてくれます。だからこそ夢中になりました。

 でも、青春小説はたいてい登場人物の青春という時間だけで物語は完結します。青春時代のその先で、登場人物はどうやって大人になって、どんな大人になるのかまでは書かれない。

 青春小説は青春を生きる子供達の言葉を代弁するけど、青春の先をどう生きればいいかは教えてくれませんでした。

 青春小説は僕に共感してくれるけど、解決してくれない。特に将来の不安にどう向き合えばいいのかを教えてくれなかった。

 青春時代の悩みなんて、ほとんど将来の不安ばかりなのに。

 青春小説の終幕みたいに、桜が散る卒業式で人生も終わりならいいのに、と思っていました。

 将来が不安すぎて10年後生きているイメージが沸かなくて、何もわからない10年後のことを考えて生きるなら、10年後死ぬことにして生きたらいい。

 そんなバカみたいな思考と、当時のネガティブな感情に溢れていた心が28歳の誕生日の日を命日に設定するに至ったのだと思います。

 それ以来私のスマホの画面には「死ぬまで」と書かれたリマインダーが常に表示されています。

 23歳になり、ありがたいことにまだ新卒だけどとりあえず安定した職に就けた私にとっては今や28歳に死のうという感情は薄れているので、これはもはやその役割を失っていると言えるでしょう。

 でも、5年以上私のスマホに居座り続けた存在を今更消すのはどこか忍びないし、寂しい気がします。それに、いつかまた28歳になったら死のうと思う日が来るかもしれない。

 その時また役割を取り戻すかもしれないと思うので、おそらく私が28歳になるまで、彼には私のスマホに居座り続けてもらおうと思います。


おやすみ。





苗代研磨

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