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はじめての妊娠・出産ログ👶💐

2023年10月某日、女の子を出産した。そこから早いもので3ヶ月が経った。

思い返せば、なかなかハードな妊婦生活だった。たくさん泣いたし、死ぬんじゃないかと心底思ったのは人生で初めてだった。「このとんでもない経験は、記事にでもして供養しないと気がすまない!」と出産前は息巻いていた。

なのに、我が子に会えたことで、それまでのことは全てどうでも良くなってしまった。結果オーライ。今が良ければ全て良し。女性とはたいそう不思議で寛大な生き物であると思う。

とはいえ、このまま記憶が薄れてしまうのはもったいない。人生で一度あるかないかの、命を懸けた貴重な経験だ。残しておけばいつか何かの役に立つこともあるかもしれない。

娘が寝息を立てる横で、遠い昔のような1年前に思いを馳せてみる。

つわり

妊娠発覚後、わりとすぐに気持ち悪さを覚えた。これが噂に聞く「つわり」なのか。本当に妊婦さんになったんだ!と心躍ったのもつかの間、そこから先は大変だった。

つわりはどんどんひどくなった。食べ物を見たり、匂いを嗅いだりするのがダメになり、徐々に食べられるものが減っていった。昨日食べられたものも翌日には食べられず、もう自分でも何なら食べられるのか分からなかった。

口の中が常に気持ち悪いのも辛かった。歯を磨いても磨いても不快感は続いて、徐々に気力が削られていった。

ついには水も受け付けなくなり、色々試してギリギリ喉を通ったトマト、フルーツ、ビタミンウォーターをひたすら摂取した。1ヶ月で5キロ体重が落ちた(ダイエット中は全く落ちなかったのに、なんということだろう!)。

仕事はフルタイムでやっていたが、集中力が削がれているのを感じていた。仕事以外の時間はほとんどベッドで横になり、ただただ早く時が過ぎることを祈った。暗くて長いトンネルの中を一人彷徨っているような気分だった。

自分の体が自分でコントロールできない。食べたいのに食べられない。仕事に集中したいのにできない。お出かけしたいのにできない。何もうまくいかない。こんなことは初めてで、布団に包まって何度も泣いた。

命を授かることは奇跡だ。望んで授かることができたのだから、笑顔でいて然るべきだ。それなのに、私はどうしてこんなにも泣いているのか。私たちを選んで来てくれたこの子に申し訳ない。自分が情けなくて不甲斐ない。そのことにまた泣けてくる。メンタルが相当やられていたのだと思う。

ちょうどこの頃、一時的な出血があって病院に駆け込んだ結果、子宮頸管ポリープ(子宮の入り口にできるポリープ)が見つかった。泣きっ面に蜂とはまさにこのことである。ポリープは良性であることが多く、切除するとしても胎盤がしっかりしてからでないとできないとのことで、このときは一旦放置となった。←これが後に別の事態を引き起こすことになるとは、このときはまだ知る由もない。

状況がようやく落ち着いてきたのは、つわり開始から2ヶ月が経ち、安定期に差し掛かった頃だった。

夫が作ってくれたお品書き(私がちょっとでも食べられたもの一覧)

安定期

地獄のようなつわりを経験した後の安定期は、控えめに言って天国だった!

ご飯が美味しく食べられる。仕事に集中できる。車を自分で運転できる。「明日カフェに行こう」と思ってその通り行ける。以前は当たり前だったことが、どれも幸せに思えた。

お腹の中の命も順調に育ち、やっと妊娠の喜びを噛み締めることができた。夫と一緒にお腹に向かって話しかけたり、胎動を感じたり。おそらく人生で一番、幸福感に満ちた期間だった。

体調を見ながらではあったが、それまで動けなかった分を取り戻すように活動的に過ごした。安産祈願に行ったり、推しのライブに参戦したり、観光地へとドライブしたり。仕事ではイベントで登壇させてもらったりもした。

ベビーグッズを準備する中で、これまで知らなかった世界を知っていくのも楽しかった。肌着にあんなにたくさん種類があるなんて知らなかったし、「ハイローチェア」や「バウンサー」なんて言葉も初めて聞いた。これまで見向きもしなかったアカチャンホンポや西松屋、ドラッグストアのオムツ売り場が急に気になりだし、世界を見る目がどんどん変わっていくのも興味深かった。

このままハッピーエンドかと思いきや、残念ながらそうはいかなかった。産休を目前に控えた妊娠8ヶ月、急に暗雲が立ち込める。

安産祈願!

切迫早産

「切迫早産の兆候があるね」

妊婦健診で先生は言った。セッパクソウザン...?本やネットで目にしたことはあったが、正直自分とは無縁の話だと思っていた。

先生の話によると、切迫早産とは早産になりかけている状態のこと。一般的に、赤ちゃんが十分育ち、産まれても大丈夫な時期が妊娠37週0日〜41週6日とされているが、それより前に産まれてしまいそうな状況を切迫早産というらしい。

このとき私は妊娠30週、お腹の中の子はまだ1,300グラムほど。今産まれてしまうのはマズイ。後日再検査をおこなうこととなったが、不安でいっぱいだった。

2度の再検査の結果、NICU(新生児集中治療室)のある大きな病院への転院が決まった。名前も知らない遠い病院だ。やはり切迫早産であることに間違いはなく、もし何かあったときに大きな病院の方が安全だから、とのことだった。次の病院には念のため入院グッズを持っていくようにと勧められた。

受付時間を過ぎたからか、夕暮れ時の待合室には誰もいなかった。ふーっとソファに腰掛けると、楽しかった安定期が嘘だったように思えた。まるで別の世界線に来てしまったみたいだった。何がいけなかったのか。私が動きすぎたのか。仕事をしすぎたのか。この子は大丈夫なのか。色々考えていたら泣けてきた。転院手続きをしに来た看護師さんが「あなたのせいじゃない」と言いながら背中をさすってくれた。

転院

転院先の病院は小高い丘の上にあり、どこか厳かな雰囲気を醸し出していた。昔何かの本で読んだ療養施設がまさしくこんな感じで、なんとなく、しばらく家には帰れないような予感がした。

診察を終えた先生は驚いた様子だった。想定していたよりも症状が深刻だったらしい。待合室にいた夫も呼ばれ、子宮の入り口の長さが標準よりも短くなっていること、お腹が頻繁に張っていること、そして、その原因は子宮頸管ポリープかもしれないことを説明してくれた。

子宮頸管ポリープ!!つわり期に見つかって以来、健診でも何度か話に出てはいたのだが、結局そのままになっていた。まさかお前が切迫早産の黒幕だったなんて!伏線回収も甚だしい!

先生によれば、妊娠中のポリープは炎症を起こして絨毛膜羊膜炎(胎盤や羊水をつつんでいる膜に起こる炎症)の原因になりやすく、それがお腹の張りを引き起こして切迫早産につながっている可能性が高いとのことだった。あいにくポリープはそこそこ大きく、かつ根っこが子宮の奥の方にあるため、破水や陣痛を誘発するリスクを考えると簡単には切除できない。

「いつ産まれてしまってもおかしくない状況です。初めて来た病院で不安かもしれませんが、このまま入院したほうがいいと思います。どうしますか?」と問われた。もちろん帰れるのならすぐにでも家に帰りたかったが、お腹の子にとって一番良い選択肢が入院ならば受け入れる他ない。この子が無事に産まれてくること以上に大事なことなんて何一つないのだ。すでに覚悟はできている。

先生はすぐに病棟と連携をとって、緊急受け入れの体制を整えてくれた。こうして私の人生初となる入院生活がスタートした!

入院

そこから1時間もしないうちに、私は重症患者のような様相でベッドに横たえられていた。左手にはお腹の張りを抑えるためのリトドリン点滴、右手には万が一早産になった場合に備えて、赤ちゃんの肺成熟を促すステロイド注射が打たれた。

その間も入院手続きや諸説明のために看護師さんがひっきりなしに部屋を出入りし、私は両親や職場に連絡を入れ、夫は入院グッズを運び込み...と目が回るほど忙しかった。

やっと落ち着いたのは昼食時。「美味しいね!」なんて夫に話してはいたが、点滴の副作用でスプーンを持つ手は小刻みに震えていた。大丈夫と口では言いつつも、実のところ脳内はキャパオーバーで全然大丈夫ではなく、堰を切ったように声を出して泣いた。頭の中が色んな感情でぐちゃぐちゃだった。

入院生活で一番煩わしかったのは点滴だ。24時間ぶっ通しでしていたため、トイレに行くのも一苦労で、着替えも看護師さんの手を借りないとできなかった。針の刺し直しも頻繁におこなわれ、すぐに両腕がアザだらけになった。私の血管が細くて刺しづらいらしく、何度も入れるのに失敗されたときは、痛くて発狂しそうだった。夜間も続く1時間に1回の点滴チェックも地味に堪えた(とはいえ一番大変なのは看護師さんなので、本当に頭が下がる)。

過度な安静は血栓塞栓症(エコノミークラス症候群とも言われる)の危険性が高まるとして、絶対安静は言い渡されていなかった。でも少しでも動くと産まれてしまうんじゃないかと怖くて、診察(これが痛い!)とご飯以外のほとんどの時間をベッドで横になって過ごした。

夫が仕事の合間を縫って毎日会いに来てくれたのと、お腹の中の子がすこぶる元気だったのが救いだった。「もう少しだけお腹の中にいてね」と毎日祈るような気持ちで話しかけた。

32週、33週、34週とベッドの上で指折り数え、入院から23日が経った妊娠34週2日目、ついに退院許可が出た。一般的に赤ちゃんは34週になると肺が成熟し自分で呼吸ができるようになるので、幾らか安心できる週数になったということだ。幸い、点滴無しでもお腹の張りは落ち着いており、子も2,000グラムまで成長していた。

家に戻ってからも経過は問題なく、臨月を迎えた妊娠36週目には、もといた病院に戻ることができた。顔なじみの先生の「おかえりなさい!お母さんも、赤ちゃんも、ここまで本当によく耐えてくれましたね!」という言葉が心から嬉しく、少しだけ誇らしかった。

人生初の点滴

誕生

破水したのは22時半、寝室で歯磨きをしているときだった。

じわっと生温かい何かが下から出たのを感じてトイレに駆け込むと、薄ピンクっぽい液体だった。これは破水だなとすぐに確信し、夫に車を回してもらうよう頼みながら、病院に電話をかけた。思ったよりも落ち着いていた。病院に着いて診察を受けるとやはり破水しており、即入院となった。翌日には産むことになるだろうとのことだった。

怖いとは思わなかった。それよりも「ついに来たか」という高揚感と、「明日やっとこの子に会えるんだ」という期待感、「ここまで色々あったなぁ」と感慨深い気持ちが勝っていた。病院まで無事にたどり着き、もうあとは産むだけ!という状態になったことで安心し、意外と普通に眠ることができた。切迫早産の入院を経て、だいぶ図太くなったと思う。

翌日、出産は希望通り無痛分娩でおこなわれた。驚くべきことに、麻酔を入れてからは全く痛くなかった!上半身は動くが下半身の感覚はなく、何をされても痛くない。麻酔科医の先生によると、ここまでしっかり無痛になるのは珍しいことなのだそうだ。おかげで「今陣痛来てるのわかる?(助産師さん)」「わかりません!(自分)」という不毛なラリーを何度となくすることとなった。

メモを取る余裕もあり、時系列を記録していたので貼っておく。

6:30 検温、血圧測定
7:30 内診、バルーン入れる
8:30 陣痛促進剤の点滴入れ始める
9:00 無痛分娩のための麻酔処置完了
9:30 夫が合流
11:10 内診で子宮口5-6センチ、バルーン抜ける
13:00 分娩台へ移動。内診で子宮口7センチ。 陣痛の度に赤ちゃんが苦しそうで、帝王切開になる可能性があることを説明される
13:30 帝王切開になったとき備えて採血
14:30 赤ちゃんが下がってきてくれて、経膣で産めそうとの判断
14:47 子宮口全開、いきむ!先生が台に乗ってお腹を押す!
15:01 誕生!👶💐

途中で赤ちゃんの心拍が低下してしまい、帝王切開になるかもということで緊張が走ったが、無事、2,532グラムの元気な女の子を産むことができた。誕生の瞬間は感動して号泣だった。赤ちゃん、夫、先生、助産師さん、関わってくれた全ての人に「ありがとう」という気持ちだった。

分娩時間は約6時間。初産婦の平均10〜12時間と比べて短かったのは、切迫早産で子宮口が開きやすくなっていたからかもしれない。妊娠37週3日での出産だった。

Hello World!

さいごに

こうして振り返ってみると、ジェットコースターのような妊娠期間だった。想定外の連続で、我ながらよく頑張ったと思う。

子供を授かること。お腹の中でしっかり育つこと。出てきて良いタイミングで無事に産まれること。その一つ一つが奇跡で、本当に凄いことなんだということを身をもって実感した。

一番近くで見ていた夫も相当辛かったようだが(「俺は代わってあげられないし、何もできない」と言って泣いてくれたこともあった)、最初から最後まで支えてくれて本当に感謝している。

周りのママさん達は特にトラブルなくスルッと産んでいる方が多かったので、「なんで私はこんなにハードモードなんだ!」とやるせない気持ちになることもあった。でもトラブルを一つ一つ乗り越える中で、人として、母として、家族としても、成長させてもらったのは間違いない。そして何より冒頭にも書いた通り、可愛い我が子を抱くことができたので全ては結果オーライなのである。

いつか娘が大きくなって、一緒にこの記事を読むことがあったりするのだろうか。そんな日を楽しみにしながら、引き続きゆったりと育児をしていこうと思う。

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