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今になってわかる「無理しない」ということ

-できないことををどうにかやろうとすることが「無理すること」だと思います。

携帯の写真のデータを整理しているとLINEのスクショが出てきた。このメッセージを見ると大学時代の青さを思い出し胸が締め付けられ、苦虫を噛んだような気持になる。

  ◇          ◆       ◇

大学時代、ある団体スポーツの部活のキャプテンを務めていた時のコーチからのLINEだった。ただその時はその考え方への理解を示すことが難しかったのを覚えている。

果たして無理しないとはどういうことだろう。

私にはリーダーシップがまるで皆無だった。話すのが苦手で、みんなの前で話すときになかなかまとまらない、練習進行が下手で同期から助け船をだしてもらうことも少なくなかった。

そして当時の自分は足にけがを負っていて、半年実際に練習ができない時期が続いていた。外から指示を出しても、自分はみんなと同じ苦しみを背負ってはいない。

自分がキャプテンなのに、どうしてうまくできないんだろうと自分を責めてばかりいた。

そんな自分に悩んで、ある日練習中に落ちこんだ様子を見せてしまったことがある。そこで悩みに気づいてくれてLINEを頂いたのが経緯だ。

-「無理しないで」って言葉があるけど、もう一度どういう人間で何ならできる(できるようになる)のか、できない(向いていない)のか考えてごらん。

そのLINEを読んで当時の私がどう思っていたのかを思い出す。「私だって、みんなの前で堂々と話して、誰もが付いてくる理想のキャプテンになりたい。それをあきらめろというのか。」確かそんな感じだったと思う。感謝こそしていたがくやしさを感じていた。

-

-いや、もしかするとチームの勝利、メンバー一人ひとりよりのことよりも「自分がキャプテンらしくありたい」という浅はかな考えが見透かされたような気恥ずかさ、を一番感じていたのかもしれない。

     ◇      ◆        ◇

今更4年ぶりに発見してしまったスクリーンショットをみて、黒歴史を掘り起こしてしまったような気分になりながらもう一度読んでみる。

-「自分の理想」と「今の自分に」にギャップはあっても、「今の自分」と「他者が思うあなたの理想(ほかの人があなたにしてほしいこと)」にはギャップはそんなにないと思うんだ。

そして周りと話してごらん。できることでもガンガンやっていくのはちっとも「無理すること」ではないので頑張って。

今考えるとべつに自分が思うキャプテンらしいことはできなくてもよかったのかもしれない。

引退の寄せ書きには「やめようと相談したとき相談にのってくれたから辞めずにすんだ」「練習がつらい時声をかけてくれた」「足が使えなくてもできる練習に取り組む姿勢をみて、自分もやる気が出た」という言葉。

そして「織田さんのために勝ちたいと思いました。」

本当はそれで十分だったのだ。
今になってようやく腑におちた。

「理想のキャプテン」は堂々とみんなの前で話して、精神面でもプレー面でもグイグイ力強く引っ張るキャプテン。だけど、「メンバーが不安な時に寄り添える、あなたの為に頑張りたいと思えるキャプテン」として自分の役割をこなしていたのだ。 

わたしにはそれが向いていた。
そしてそれを周りも求めていたのだ。

自分にとって理想のキャプテンになるには向いていない人間であることを認めたとしても、でもできることをがんがんやってけばいいキャプテンになることはできる。

たとえ「理想のキャプテンのカリスマ要素」が勝利に必要だったとしても、それは他の人に頼ればいくらでも補える。一人で全部やる必要なんてない。そこを周りと話してごらん、とおっしゃってるわけだ。

だから無理して、理想のキャプテンになりたいなんて自分のエゴで落ち込んで練習に支障が出るなんてことがあってはいけなかったのだ。本当は。 


LINEの画面をスクリーンショットにし、いまだに保存していた。きっと青春時代の私はそれをいつか理解したかったのだろう。4年越しに宿題が解けた気分だった。

これを戒めとして、お守りとして永久保存のスクリーンショットにしよう。「理想の自分」が「今の自分」を苦しめるときにもう一度読もう、とそっと言い聞かせた。虚しい無理をしないために。




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