夫婦の価値観と、足りない言葉
ここのところ、ずっと心が晴れなくて、薄暗い霧のなかにいる。
先月、県外に住む義祖母が亡くなった。
夫はおばあちゃん子だったと聞いていたし、わたしも本当の孫のように可愛がってもらった。だから夫とふたりで葬儀に参列するものだと思っていた。
けれど、わたしは参列しなかった。というより、できなかったと言った方がいいかもしれない。
◇
夫の気難しい性格をよく知っている義祖母(以下おばあさん)は、わたしたちの結婚を誰よりも喜んでくれた。
「あの子はおじいさんに似て、わがままだからね、おりちゃさんは大変だろうよ〜。面倒をかけて本当に悪いねえ。」と、自分のことはそっちのけで、会うたびにわたしの手をさすってくれた。
コロナが流行りはじめてからは、施設での面会が出来なくなってしまったけれど、いつもわたしの味方で、心強い存在だった。
「何があっても、事務所は開けておくべき」というのが夫の方針。
もともとわたしの両親も自営業なので、慶弔休暇というものはなくて、仕事の都合をやりくりするものだと頭ではわかっていた。ただ、わたしの実家は親族がみな近くに住んでいたので「葬儀は参列するもの」と、小さなころから思っていた。
夫の実家は新幹線で約2時間半かかる。急な案件が入ってもすぐに対応できるように、わたしが事務所で待機すればいい。
そうして、事務所のスケジュールをギリギリまで調整し、夫だけが通夜当日に帰省することになった。
◇
しかしながら、母の言葉に気持ちが揺れた。
「いくら仕事が大事だと言っても、おばあさんのお葬式は一回しかないよ。それに準備で忙しいだろうから、お義母さんは手伝ってほしいと思ってるかもしれないよ。」
…やっぱりそうだよなあ。母は、わたしと同じ考えだった。
でも、夫はとにかく仕事が大優先のひと。わたしが何か意見を言ったら、きっと目を吊り上げてものすごい剣幕になるだろう。案の定「おまえは仕事をなめてる」と怒鳴られた。
翌日、義父母に手伝いできないことを詫びたうえ、参列しなくていいのか聞いた。すると「ありがとう。でも町内の人が手伝いにくるから大丈夫。仕事が大事だし、そちらを優先してもらっていいからね。」。
いいと言われても、ご近所さんから変に思われたり、義父母が嫌な思いをしないだろうか。
◇
結局のところ、夫が留守の間、事務所は特に急ぎの案件もなく、むしろいつもより静かだった。
夫は翌日の告別式も参列し、昼過ぎに慌てて戻ってきた。
「ご苦労さま。何か報告事項は?」「〇〇さんと、△△さんから連絡がありました。」
そしてわたしは「おばあさんを見送ってあげられてよかったね。」と伝えた。けして嫌味ではなく、本心だ。昨年、お互いの祖父母が亡くなったときは、どちらの葬儀にも参列できなかったから、よけいに。
事務所的にも、夫的にも、なんら問題はない。
だけど、わたしにはもやっとしたものが残ったわけで。ちなみに、夫の弟家族は全員出席したと、あとで知った。
◇
このご時世、大切なひととの別れの際に駆けつけたくても、できないひとがたくさんいるだろう。
なのにわたしは、通夜だけでも参列できたはずのに、しなかった。
わたしがもう少し上手く立ち回れれば、しっかりしてたら。
ひとりでは何もできなくて、いつまでも子どもの自分が情けなくなる。
夫とは付き合いも長く、食べ物の好みや趣味、笑いのツボも同じ。お互いにくだらない冗談もする。
ただ、大事な話がどうしてもできない。
今回のような冠婚葬祭や、それぞれの実家のこと、将来のことになると、夫はとたんに神経質になる。
そして先日、15年間一緒に暮らしたわたしの祖母が100歳で亡くなった。
夕べ夫と葬儀の参列の話になったけれど、わたしの言葉が足りなくて、夫の気持ちを汲み取れなくて、またけんかしてしまった。
夫婦。家。ことなる価値観。寄り添えぬまま、もやもやが積み重なってゆく。
ただ、祖母のことを静かに祈り、見送りたいだけ。なのに、どうして重い気持ちになるんだろう。
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