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公園のベンチで嬉し涙が止まらなくなった

 何度か書いているが、私の息子には重度知的障害がある。就学前の相談では支援学校の判定が出ず、地域の小学校の支援級に在籍している。
 我が家から歩いて3分のところに大きな公園がある。遊具はブランコと滑り台のみだが、広場が大きいここで毎日たくさんの子どもがサッカーや野球、鬼ごっこをしたり、その間を縫うように自転車に乗っている。この公園で遊んでいるのは最寄りの小学校・中学校に通う子どもがほとんどだ。

 私の息子は、超がつくほど多動なので、家には居られず、ほとんど毎日この公園で遊んでいる。放課後等デイサービスから帰ってきても遊びに行く息子の大好きな場所だ。19時過ぎまで遊ぶことも珍しくない。もちろん息子が1人で公園に行けるはずがないので、私も付き添う。 
 息子と同じ支援級の子が多く遊んでいて、支援級の子たちは公園で会う度に息子に元気な挨拶をしてくれる。なんて優しいのだろう。一緒に遊ぶことは出来ないが、挨拶をしてくれるだけで心底嬉しい。
 ある日、支援級の子の1人が息子をラジコン遊びに入れてくれた。そのことが余程嬉しかったのだろう。息子はその日以来、家にあるラジコンを毎日公園に持って行っている。
 友だちと遊んでいる時に私が近づくと、息子は怒りながらこう言う。
 「おかあさん こない!」
 私だって家に居たいのに……。
 子どもの世界に大人が干渉し過ぎるのも良くないので、公園では適度な距離で息子を見守っている。ベンチでスマホを見たり、読書をしたりしながら息子を監督している。そういえば私が高校1年生の時、テスト監督に来た2つ隣のクラスの先生が試験中に東野圭吾の『白夜行』を読んでいた。私が息子を見守る姿は、生徒を監督しつつ本に目を落とすあの時の先生に似ている。

 つい先日も公園で息子を見守っていたら、支援級の子5~6人が集まって遊んでいた。その輪になんとなく近づく息子と歓迎も排除もしない子どもたち。排除されないことがこんなに嬉しいことだったとは……。
 息子と子どもたちの様子を見ていたら、昨年度小学校の支援級を卒業し、中学生になった子が友だちと2人でバレーボールをやりに来た。すぐさま息子がその子に近寄ると、中学生2人と息子の合計3人で輪になってボールを投げ始めた。ボールの受け止め方を息子に教え、優しくボールを投げてくれる中学生2人と楽しそうな息子。その姿をベンチに座って見ていたら、涙がこぼれ出し、全く止まってくれなかった。
 本当に、本当に、本当にありがとう。

 息子は重度知的障害がある上に多動なので、煙たがられることが多い。外でパニックを起こしていたところに知らない人から怒鳴られたこともあるし、知らない子から嫌な言葉を投げつけられたことだって何度も何度もある。
 しかし、こうやって息子を受け入れてくれる子がいる。その事実に心から救われる。
 人から傷つけられても、やっぱり助けてくれるのは人だ。人との直接的な関わりだ。
 そう考えていると、涙は全く止まらず、泣き過ぎて疲れてしまったので、私はベンチで寝ころんでしまった。寝ころべるベンチ。誰も排除しないベンチ。悪意のない優しいベンチ。しまいにはベンチにまで思いを馳せてしまい、やはり涙は流れ続けた。

 毎日公園で遊んでいると、名前も知らないお母さんと顔見知りになることがある。1人のお母さんと雑談する中で息子の障害について話した時、多くの質問を投げかけられたことがあった。もしかしたら子どもの発達に不安を感じているのだろうか。平日の夕方に3キロ先の自宅からバスに乗って公園まで来ていると語ったその人は何か私に打ち明けたい思いを抱えているのかもしれない。しょちゅう会うので、タイミングを見計らって失礼にならないように聞いてみようかな。名前も知らない同士だからこそ話せることもあるかもしれないし。
 息子を受け入れてくれた子どもたちのように、私も誰かと心をつなぎたい。大好きなこの公園で。

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