ああ、終わったのね。
ほぼ日の塾、最後の課題が公開されました。何を隠そう、わたしはほぼ日の塾の塾生だったのです。80人クラスに残り、40人クラスの椅子を勝ち取り、3つの課題に取り組んできました。またこの話はどこかで書こうと思います。受けようと思った経緯とか、塾の人々のこととか。
最初の課題は、「清水ミチコさんと糸井重里さんの対談を編集する」というものでした。言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、この当時はうつ状態が特にひどく、東京に行って説明を受けるのがやっとでした。家に帰って、時間がない中、横たわりながら、寝込みながら。自分との戦いでした。また、自分が取材に赴いていない対談記事の編集ははじめてで、とても苦労しました。今、改めて読み返すこともできません。あらが目立ちすぎて、直視できないのです。うう。
二つ目の課題は、「自分の好きなものをエッセイ、記名原稿として書く」でした。この課題の時は、休職してしばらくたち、比較的精神も安定していて、重い重い15インチのMacBook Proを背負い、カフェで作業をするまでに回復していました。自分の好きなものに対して、正直に書ききった、と思います。
最後の課題は「フリー」でした。いわゆるなんでも書いていいよ、です。ずっと、何を書けばいいのかわかりませんでした。昔から「なんでもいいよ」と言われると困るたちで、最後の課題も、これだ!と決めてから取り掛かるまでが遅かった。でも、後悔していないし、協力してくださった方々、助言をしてくださった方々には、ほんとうに感謝しています。
最後は、「詩で勝負しよう」。勝負というのもなんだかおこがましいですが、わたしは詩が好きです。詩人です。なので、最後は詩について書きたいなあと思ったのです。そして、自分で楽しく書こう、と決めました。そう考えて書くと、すごく楽に文章を書くことができたんです。
原稿を書く前に、アマゾンで映画「パターソン」を借りて観ました。詩を書く主人公、そして彼を取り巻く様々な人々の七日間を綴った、ちいさくてささやかで、大好きな作品です。最後のシーンでは(ごめんなさいネタバレになります)、主人公のパターソンが長年書きためた詩のノートを愛犬に噛みちぎられ、バラバラになってしまいます。その時、パターソンは妻に対して「いいんだ、ただの言葉さ。いつかは消える」と言いながら、うつむく。失望したパターソンは、いつも詩を書く公園で一人の日本人に出会い、一冊のノートをもらいます。そして、また詩を書き始める。なんてことのない日常のようで非日常を語るこの作品が、わたしは大好きです。
さあ、いよいよなんの記事かよくわからなくなってきました。とりあえず、塾の課題が終わった、いまの率直な感想としては「ああ、終わったのね」です。長いようで短かった3ヶ月。たくさんの出会いと経験に恵まれました。結果的にわたしの記事が不甲斐ないものだったとしても、お粗末な文章だったとしても、「ほぼ日の塾5期生」であることに変わりはないし、今はそれを誇りに思っています。なんだか、この課題に追われる生活が終わるのも、東京に月一で通うことがなくなるのも、なんだか変な感じです。
同じように走り抜けた同期の塾生の方々、まずはおつかれさまでした。わたしはあなたたちのこと、ほんとに尊敬しています。みんなすてきでかっこいいです。また、今週会いましょうね。
よーし、今日も生きよう。
サポートの意味があまりわかっていませんが、もしサポートしていただいたら、詩集をだすためにつかったり、写真のフィルム代にとんでゆきます。