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落語で感じる地域色~遠征の際は是非寄席に~

早いものでもう10月。コロナ禍での自粛生活が始まってもう1年半が経つ。ワクチン接種の広がりなどによって、医療提供体制等の状況はだいぶ改善しつつあるが、冬には必ず第6波がやってくる。再びの感染拡大が懸念されており、まだまだコロナ前の日常を取り戻すまでには時間がかかることだろう。

コロナ禍においては様々なイベントが制限を受けている。われわれの愛するサッカーも入場可能人数に制限が設けられ、声を出しての応援はすることができない。ああ、そろそろチャントが歌いたい。

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(酒類提供が解禁されたのは嬉しい)

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(ちゃんぽんしてたら試合前から酔ってしまった)
(コロナで飲み会が無くなってお酒に弱くなっている)

サッカー以外のスポーツも同様の状況だ。またスポーツ以外の音楽、映画、演劇などといった娯楽も、まだ完全な状態では公演を行うことはできていない。これも来たる第6波のことを考えればやむを得ないだろう。

一方でこの第6波を小さく抑えることができれば、そのまま終息に向かっていくのではないかというのが多くの専門家の見立てだ。つまりこの冬さえ我慢すれば、来春にはいよいよコロナ前の日常が戻ってくる。もう少しの辛抱だ!

落語とJリーグは似ている

突然だが、僕の数ある趣味の一つに落語鑑賞がある。落語の世界もご多分に漏れずコロナの影響を大いに受けている。東京都内には寄席を開いている演芸場がいくつかあるがどこも休業や入場制限を余儀なくされ、売り上げはコロナ前と比較して平均で7割ほど減少したそうだ。

落語はわれわれ日本人が世界に誇る伝統文化の一つ。コロナ前は寄席で外国人観光客の姿をよく見かけた。この伝統を紡いでいるのが噺家の方々であり、その噺家の方々が日ごろから芸を磨いているのが寄席である。単に噺家に金銭的な支援をするだけでは、落語文化を高い水準で次の世代に受け継いでいくことはできない。寄席が存続できないということは、すなわち落語という文化が実質的に途絶えてしまうことを意味する。

それは絶対にあってはならないことだ。落語という素晴らしい文化を守るためには、われわれ日本人ひとりひとりが寄席に足を運ぶしかない。寄席の収入の大部分は入場料。入場制限中であったとしても、毎公演チケットが完売するくらい多くの人が足を運べば、売り上げの減少幅は少なくて済む。またなによりも、盛況の中で落語を披露することによって噺家の腕は磨かれていく。師匠の前でやって見せたり一人で練習したりする時間ももちろん重要なのだが、客前でやらなければなかなか力は身につかない。落語マニアのような人だけでなく、演目についての知識がない客をも笑わせてこそ一人前の噺家なのだ。

客前で演目を披露し、その反応を見て修正を加える。この繰り返しで上達していくのだ。サッカーもいくら練習ばかりしていたって、対外試合をやらなければ自分たちの立ち位置は分からない。寄席が無くなるということは、サッカーにおいては試合をやらずにずっと練習ばかりするようなもの。これではなかなか水準を保つのが難しくなってしまう。

寄席と聞くと敷居が高く足を踏み入れづらいと感じる方もいらっしゃるかもしれないが、決してそのようなことはない。なぜ「旅とサッカーを紡ぐ」と謳っているOWL magazineに演芸場の写真が載った記事があるのかと疑問に思った方もいらっしゃるかもしれないが、寄席とスタジアムには様々な共通点がある。サッカーや旅が大好きなOWL magazineの読者の皆様なら、きっと寄席巡りにもハマるに違いないだろう。今回はそんな話をしていきたいと思う。

寄席に行こう!

寄席では落語だけが行われているわけではない。講談、漫才、手品など非常にバラエティに富んだ演目が組まれている。スタジアムで単にサッカーだけが行われているわけではないのと同様だ。ハーフタイムのイベント、マスコット、グルメ。人によってスタジアムで楽しみにしていることは様々だ。

寄席も全く同じ。前座の落語から始まり、漫才や手品などといった「色物」や二ツ目の落語を経て、最後に真打ちが登場するというのが一般的な流れだ。もちろん落語を聴きに来ている方がマジョリティではあるが、必ず周囲を見渡すと合間に登場する漫才師や手品師のファンと思しき客も見つけることができる。

同じ落語家でも前座、二ツ目、真打ちと様々な階級がある。前座はJ3、二ツ目はJ2、真打ちはJ1といったところだろうか。春風亭昇太、三遊亭小遊三、林家木久扇。サッカーに関心のない方でもJ1の有名クラブや日本代表選手の名前くらいは知っているように、落語に興味がない方でも知っているような名前は皆真打ちだ。とはいえ、基本的に昇格する一方で降格がないのが落語の世界。この点はサッカーとは異なる部分だ。

落語は厳しい階級の世界

落語家になるためには、まず第一に真打ちの弟子にならなければならない。知人などのツテで師匠を紹介してもらう場合もあるそうだが、基本的には寄席の楽屋口で出待ちをしてコンタクトを取るケースが多いようだ。落語の場合はサッカーにおける学生リーグや地域リーグのようなアピールの場がない。アピールの場がないので当然スカウトもいない。同じお笑いでも漫才やコントのように芸能事務所による養成所が開かれているわけでもない。自らアクションを起こして入門を直談判する以外に方法はないのだ。

師匠に入門を認められると「前座見習い」となる。弟子になったからといってすぐに前座を任せてもらえるわけではない。前座見習いの主な仕事は、師匠や兄弟子のかばん持ち、師匠の家の雑用、そして前座を務めるための修行だ。見習いの身分では寄席に足を踏み入れることすら許されない。真打ちはおろか二ツ目と比べても天と地ほどの差がある。

最近はJ2でも設備の整ったスタジアムが増えてきてはいるものの、J1からJ2に落ちると様々な面でなかなかのカルチャーショックがある。J3ともなればなおさらだ。この期間はいわばJ3昇格のためのJFL、過酷さで言えばJFLに上がるための地域決勝かもしれない。(J3とJFLに上下関係はないものの、Jリーグ入りを目指すクラブにとっては、実質的に4部リーグとなる)。ここを乗り越えた者だけが次のステップに進むことができる。

見習いの業務がある程度できるようになると、いよいよ「前座」に昇進となる。前座の役割は単にトップバッターとして落語を披露するだけではない。楽屋の準備、先輩芸人の世話、高座返し、鳴り物等その仕事範囲は多岐にわたる。サッカーで言えばマネージャーと選手を兼務しているようなものだ。極めて激務と言っていい。

寄席は一般的に開演の30分前から入場できるところが多い。入場の際に鳴らされるのが一番太鼓。そして開演5分前に合図の意味を込めて鳴らされるのが二番太鼓。この太鼓の音を聴くと寄席に来たなあと感じることができるので、僕はあの音が大好きだ。サポーターによるチャントやスタジアムDJの声などを聴くとスタジアムに来たという高揚感が湧いてくるのと同じだ。一番太鼓、二番太鼓を打つのも、観客を温める前座の大事な役割なのだ。

前座は基本的に毎日寄席に来る。寄席は上席(毎月1日~10日)、中席(毎月11日~20日)、下席(毎月21日~30日)と10日ごとに演目を変えて毎日行われるので、前座の休みは余一の日、つまり大の月の31日しかない。ちなみに演芸場は基本的に年中無休で、余一の日は「余一会」と銘打って特別興行が行われることが多い。余一会では一門の駆け出しから真打ちまで様々な階級の落語家を一度に見ることができるため、落語ファンの中には年に7回しかない余一会を楽しみにしているという人も多い。

前座を4年ほど務めると二ツ目に昇進する。二ツ目になると師匠の家や楽屋での雑用もなくなり、着物も着流しではなく紋付、羽織、袴を身につけられるようになる。いわゆる一人前の落語家だ。そして二ツ目を10年ほど務めるといよいよ真打ち昇進となる。寄席のトリを務めることが許された唯一の階級で、真打ちになると弟子を取ることもできるようになる。

落語が好きだった僕の祖父は、名だたる噺家を前座の時代から見てきたという話をしていた。僕は落語を鑑賞するようになってまだ日が浅いのでその経験はないが、思い返せば僕がスタジアムに行きはじめたころのアルディージャはまだJ2。スタジアムも荒川の河川敷のような雰囲気だった。そこからJ1無敗記録を樹立するほど強いチームになり、大宮公園サッカー場もNACK5スタジアムと名を変え設備もどんどん立派になっていった。我が子のようなクラブの成長。落語家の成長を見守るのも同じような感覚なんだろう。

街中に突然現れる非日常感

立ち見まであふれ返った客席からの絶えない笑い声、常連と思しき年配男性の威勢の良い掛け声、そして時に女性客の黄色い歓声。町中にありながら一歩足を踏み入れるとどことなく非日常的な空間が味わえるのが寄席の一番の特徴だ。外の世界がどんな状況であろうとも、寄席の中はいつも江戸時代にタイムスリップしたかのような時間が流れている。

まさにスタジアムと同じだ。単に落語を聴くだけなら座布団を一枚用意してその周囲に椅子でも並べておけばいい。しかしそれでは多くの人に聴いてもらうことが叶わないし、話し手と聞き手の双方にとって環境が劣悪だ。外の音声や風景が入ってしまっては、落語の世界に没頭することはなかなか難しい。人間は欲にまみれた生き物で、落語を楽しみたければ演芸場を作るし、サッカーを楽しみたければスタジアムを建てるのだ。こうした人間の欲が社会を豊かにしてきたのだ。

寄席は二部構成で行われることが多い。昼の部は正午ごろ、夜の部は17時ごろから始まる。昼の部を見てからナイターのスタジアムに移動、あるいは試合終わりに夜の部に足を運ぶ、はたまた試合前日か翌日に一日じっくり落語に浸る。様々なスケジュールでサッカー旅に組み込むことが可能だ。

僕は落語の一番の面白さは地域色だと思っている。全国津々浦々行くたびにその土地のラーメンを食べたり、お城を見たりした経験のある人は多いだろう。僕もそんな一人だが、なぜそれが楽しいのか。それは地域によって特色があるからだ。札幌に行けば味噌ラーメンがあり沖縄に行けばソーキそばがあるから、僕らは全国を巡るのだ。もし日本が稚内でも与那国島でも醤油ラーメンしか食べられないような食文化が乏しい国なら、Jリーグはここまで発展していなかっただろう。地域によってそれぞれの色があり、その土地に行かないと本当の意味で味わうことができないから、僕らはサッカーにかこつけてあちらこちらを旅するのだ。有料部分では、そうした話をしていきたいと思う。

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