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決算数値から見る清水エスパルスの足取り(その4) -2011~2015年度-

1 2011~2015年度の出来事

クラブは、タイトルを狙うべく大きく舵を切り、ゴトビ監督に命運を託しました。
2010年オフで主力が一斉退団し、若い選手で構成されたチームでしたが、2012年度ではカップ戦準優勝という結果を残し、初期はリーグの中位に付け、このまま上向くだろうと期待を抱かせました。
しかし、2014年に急失速。2015年度には横浜Fマリノスの元社長の経歴を持つ左伴繁雄氏が社長に就任しするも遂にJ2降格となってしまいました。
クラブの思惑とは真逆の「悲劇」が待っていたのでした。

2011~2015年度 成績推移

2 決算数値から見えてくるもの

(1)伸びない営業収益

この期間の営業収益も以前と変わらず約30億円レベルで推移しています。
2012年度だけ約34億円と上振れしたのは、カップ戦での準優勝での賞金や入場料収入の若干の伸びがあったことが要因かと思われます。

2011~2015年度 営業収益推移 (2010年度を参考として付加)

入場料収入はその2012年度を除いては、長谷川監督時代から比べると下降線を辿っています。これもチーム成績の低迷に起因しているのでしょう

2011_2015年度 スポンサー・入場料収入推移 (2010年度を参考として付加)

大黒柱のスポンサー料収入も以前と変わらず約12億円レベル(2010年度を参考として付加)でしたが、2014年度で約15億円、15年度で約14億円と急な伸長があります。
2014年度では大型の新規スポンサー契約は見当たりません。ということは、鈴与からの支援が入った可能性があります。
2015年度は新規スポンサー契約が相次いだので左伴改革の効果なのでしょうが、この2年間で鈴与からの支援が増強されていた可能性を感じます。

しかしながら、スポンサー収入の増があったにしても、営業収益が約30億円レベルということは、やはり大きな営業努力がなかったと考えられます。

(2)その他収入に隠されたもの

リーグの公表様式が途中で変更されており、従前では「その他収入」に含まれていたと思われる「アカデミー関連収入」「物販収入」が項目立てされて分離されています。
そのため、従前と数値比較ができるように、これら3つの項目を合算した項目を独自に追加しています。

その項目を見ると、2012年度が1,366百万円とやや多い額が現れています。実は「その他収入」に含まれるものに「移籍金収入」があります。

2011~2015年度 その他収入・当期純利益等推移 (2010年度を参考として付加)

このシーズンの半ばで移籍した主力選手がいます。アレックス、小野伸二です。オフには大前がドイツへ完全移籍しまたし。彼らの移籍金がここに積み上げられています。
2013年度では、バレーがその年に加入したはがりなのにシーズン途中で移籍してしまいます。
これらの移籍金が、相変わらず伸びていなかった営業収入を影で支えていたということなのです。しかし、それでも繰越利益剰余金はマイナスの状態でした。

これらの主力選手の流失は、只でさえ経験値の浅いチームにとっては大きな損失です。選手が入れ替わり、連携面なども熟成できない。
これがチームの弱体化を加速させた大きな要因であり、J2降格へのトリガーだったと思います。

(3)トップチーム人件費

営業収入が伸びない中では、トップチームの人件費も伸びることは当然ありません。2014年度のでは約12~13億円で推移しています。
リーグ平均値からも引き離されているようでは、他クラブに勝ることは難しくなります。

2011~2015年度 トップチーム人件費推移 (2010年度を参考として付加)

2015年度は突如として約15億円の数値が出ていますが、これは降格危機を察して鄭大世、角田などを追加補強した結果だと思われます。しかし、この補強も降格阻止には直結しないのでした。

3  相対的な戦闘力の低下

エスパルスはこのゴトビ監督時期の初期ではリーグ中位でしたので、若手主体であったものの、戦闘力はあったとは言えます。
しかし、エスパルスが戦闘力を現状維持したとしても、他クラブの戦闘力が向上すれば、相対的には低下となります。この時期はそんな時期だったものと思います。

顕著な例が川崎フロンターレです。この時期に風間監督の下で地道に戦闘力を向上させ、エスパルスが容易に勝てるチームではなくなっていました。
うさぎが亀に次々と抜かされて行ったということなのでしょう。

2015年度 J1クラブ数値比較

4 まとめ

▶タイトルを狙うべくゴトビ監督に託したクラブだったが、従前と変わらず営業努力を怠り、十分な軍資金を供給できなかった。
▶主力選手を身売りで切り盛りする財政状態とも言え、選手の引き抜きでチームの弱体化が加速した。
▶他クラブの戦闘力が次第に備わり、相対的な戦闘力も低下して行った。
▶結果として、クラブ史上初のJ2降格という悲劇が待っていた。

次回は、左伴社長時代の2016年度から2019年度をフォーカスします。

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