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【超短編小説】糸遊の季節

 今日、私はこの学び舎を去る。式の途中で私たちの中から鼻をすするような音が聞こえたり、教員の中にもハンカチを顔から離さない方が数名いた。

 式が終わって、一旦1階にある私たちの教室に戻ると、クラスメイトは記念写真を撮ったり、実はカツラを被っていて、地毛は染めていたというカミングアウトをする人もいた。目立ちたがり屋だったなという人は、相も変わらずで、卒業アルバムの最後のページに寄せ書きしてほしいとクラス中を回っていた。

 かく言う私は、どちらかと言われれば目立たない側の人間だ。クラスで話せる友人も少なく、2年の頃にあった修学旅行ではグループを組めず、一人枠が空いていたグループに入れてもらったが、別にそこのメンバーと仲が良かったわけではなかった。だから正直、修学旅行でいい思い出づくりはできなかったと思う。

 そんな自分ももう卒業。慣れ(親しんだ?)た学校ともお別れだ。そして私は来月から県外の大学へと進学する予定で、多分この学校での思い出はより薄れていくだろう。でも、そうだとしても、こんな私だがひとつだけ、やり残したことがある。

 今年度の初春、新任の先生がこの学校に着任した。担当教科は現代文。まだ2年目という若手で、見た目だけで言えば、理系科目を担当していそうな雰囲気だった。私はそのギャップに驚いたことを今でも覚えている。

 はっきり言えば、一目惚れだった。そして今、私は告白という心残りを抱えている。みんながガヤガヤと最後の時間を楽しむ中、私はただ卒業アルバムを机に置いたまま、最前列の自分の席で黙って俯いていた。

 ガラガラガラ……

教室の扉が開く。

「みんなー! 最後と言っても、まだ学校の中なんだから、他のクラスもそろそろ帰りのHRはじまるから、ちょっと静かにね!」

そう言いながら私たちの教室に入ってきたのは、新任の現代文担当の、私の一目惚れ相手の、何より担任である長月先生だった。長月先生の通る声のおかげで、幾分か教室の騒がしさが和らいだ気がした。

「じゃあ、うちのクラスも最後のHRやるよー。盛り上がってるところ悪いけど、一旦席ついて。」

「えー!」と落胆の声が上がったものの、みんな大人しくゾロゾロと席に戻り始めた。もちろん、私はそのまま着席していた。

 全員が席に着いたと同時に、長月先生が最後の挨拶を始めた。

「えーと、まずはみんな、卒業おめでとう!」

パチパチと先生が拍手をすると、みんなも呼応するように拍手が伝播していく。

「よしよし。まぁひとつ、ちょっとクサイことを言うけど、こう全員揃って最後の日を迎えられたのは奇跡です!」

先生は自慢げに言い切り、また拍手をした。私たちも再び同じように拍手をする。

「先生、話はもういいから! 俺らこの後打ち上げするんで!」

先生の最後の話を遮ったのは、先ほど卒業アルバムの寄せ書き行脚をしていた目立つ男子だ。しゃがれた男子の声で、先生の大人で透明な声が一時絶たれ、私は不快感を覚えた。

「まぁまぁ……あと少しだからさ、お願いね。」

何で先生がへりくだる必要があるのか。私はさらにモヤモヤする。

「とにかく、今日の日を迎えられて本当に良かった! 親御さんにもちゃんと感謝の一言を言うように! じゃあ最後、みんな起立!」

その掛け声の直後、ノソノソと全員立ち上がる。

「何か……先生として卒業の日を初めて経験しているんだけど、うんうん……感慨深いね。」
「おいおい! 先生泣いてんじゃん!」

声の指摘の通り、先生は私の目の前で感極まって涙を流していた。

「うるさい! 先生も泣く時は泣く! ……じゃあみんな、元気でね! 卒業おめでとう! さようならー!」
「「さようならーー!」」

 最後の挨拶が終わって、これから打ち上げと盛り上がっていたクラスの中心グループは一目散に教室から出ていった。他にも教室に残って再び記念撮影をする者や、さっき書けていなかったのだろうか、寄せ書きをする者もいた。しかし私は相変わらず、座ったままでいた。

「どうしたの、ずっと座ったままじゃん。みんなとちゃんと寄せ書き交換した? 写真も一生の思い出だよ?」

私は先生の声に思わずガバッと勢いよく顔をあげて、その反動で若干クラクラした。

「おぉ……大丈夫?」
「は、はい……大丈夫です。寄せ書きとかもしたので。」
「そっかそっか。ならいっか! でもさっきから席も立ってないから、誰か待ってるの?」

当てられてしまった。まして、私が待っているその相手から。

 次の瞬間、少しだけ空いていた教室の窓から強い風がヒューと音を立てて吹き込んだ。同時に、学校の校庭に植えてある桜の花弁が窓際の席にヒラヒラと舞い落ちていた。

「すごい風。プリントとかなくてよかったー」
「……そうですね」
「本当に大丈夫? なんか元気少ないよ?」
「あの、先生……最後にちょっといいですか?」

言うぞ。私は心の中でそうはっきりと宣言して、先生を誘った。

「いいよ。先生からの寄せ書きがほしいとか? ……いや、それはないか」
「寄せ書きもですけど……」
「……寄せ書きも、と? 他に何かあるの?」
「教室、人いるので……」
「あー……言いづらい感じの悩みね。じゃあ隣の教室、もう誰もいないみたいだから、そっち行こうか」

 そうして、私たちは隣の教室へと移動した。ここはすっかり空虚で、最初から誰もいなかったかのような寂しさを感じる。先生はリラックスした様子で、教室入ってすぐの、廊下側先頭の生徒用の椅子にゆっくり腰掛けていた。

「いいよ、話してごらんよ。」
「はい……」

先生と目を合わせることができない。脈が速くなる。呼吸が乱れる。声を出すのが怖い。でも、後悔もしたくない。

「あの、先生、い!」
「おぉ、びっくりした。そんな大きな声、初めて聞いたよ」
「最後に伝えておきたいことがあります……」
「ほう……」

大きく、ゆっくり、確実に、春の空気を肺に溜める。

「すきです」

 この季節になると、外の徒桜であの日を思い出す。そして今でも反芻する。先生との最後の会話。

「うーん……そっか……ごめんなさい。気持ちは嬉しいの。本当だよ。でもね……先生には、大切な相手、彼がいるの。だから、ね、ごめんね。ありがとう、四遠さん」

昨日降った春雨でできた水溜まり。その上には打ち落とされたであろう臼桃色の破片たちがユラユラと、映る青空の中を揺蕩っていた。

「先生にとっては私の告白も、あったかどうかも覚えていないほど微かな出来事だったのかな。」

その水溜まりに、私の顔は上手く映っていないように感じた。


【あとがき的な】

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