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「スクランブル古楽」 柴田のカンペ

(以下の文章は、2023年1月14日に梅若能楽学院会館で行われた「スクランブル古楽」の冒頭にアナウンスしたもののカンペです。)


今回の演奏会のテーマは「旅立ち」です。「スクランブル」は飛行機が急発進する時に使う言葉です。今回の演奏会は我々若い古楽器奏者が集まって、新しい団体の出発を祝うだけでなく、「古楽」が狭くてニッチな世界から飛び出して、いろいろな人に楽しんでもらうことを願って使っています。ちょうど今日の会場はとても素敵な能楽堂、普段のコンサートホールから飛び出すことに成功しました。

1曲目のカンタータは、バッハには珍しくイタリア語の歌詞、これはヘンデルのイタリア語カンタータをかなり意識して書かれています。他の作品から借用したシンフォニアと、最後の楽章のロンバード・リズム(逆付点のリズム)から見て、バッハがライプツィヒに移ってから、おそらく1730年以降の楽曲であると考えられます。ヘンデルのイタリア語カンタータだけでなく、ハンブルグやドレスデンのオペラへの憧れも意識するような書法は、彼の従来のスタイルから飛び出した存在です。一説として、バッハの通ったトーマス大学の先生(アンスバッハ Ansbach出身)を送り出すための曲と言われています。中部ドイツ、フランケン地方の町アンスバッハとイタリアは文化的に強い繋がりがあったので、イタリア語の歌詞が使われたのかもしれません。一方で、故 礒山雅先生はアンスバッハに帰郷するバッハの知り合いのために書かれたものであると書いていますが、断定はできません。不確定な中に喜びを見つける──音楽づくりとは、まさに人生ですね。

ロ短調という調性には、メランコリーなイメージを持たれるかと思いますが、冒頭のシンフォニアでは、時おり不安を感じさせるような半音階が現れるものの、どちらかというと旅立ちへのワクワク感、希望を感じる、活発な曲です。3曲目のアリアでは見送る者の悲しみを表現、修辞学的にも「痛みを伴う」ような音型である冒頭の6度上行は、「音楽の捧げ物」のトリオソナタのテーマを思い出させます。1713年、マッテゾン「昔は禁止だったが、最近よく用いられる」と本に書いているように、新しい作曲法への旅立ちを感じさせる曲だと私は感じました。

こうした6度上行は、トリプル・コンチェルト BWV1044のフーガ冒頭にも登場します。この協奏曲は本当に不思議な曲です。ブランデンブルグの第5番と同じ編成なので、さぞかしライトに楽しめる曲かと思うとそうではありません。スコアを眺めていると、数にまつわる秘密(数秘術)がたくさん現れます。まずは三位一体の「3」を象徴するものとして、ソリストが3人、テーマに出てくる3連符、3の倍数ごとに区切られる各セクション。バッハ、なかなかキメています。また、3楽章にバッハが数合わせ(ハ長調の始まりを120小節目にするために)のために無理やり2小節拡張させたところがあります。その時に気がつきました。この曲は数を使って先にロードマップを書いておいて、後でパズルのようにはめ込みをして構築されている作品なのだと。

ちなみに、3楽章の最後、245小節目にはヴァイオリンとヴィオラで違う音、それぞれドとド#がアグリコラによる手稿譜には書かれています。。なので、イ短調にもイ長調にもなりうる可能性があるのです。「どうしようかな〜」と思ってさまざまな録音を参考にしましたが、どっちもある。そんなある日、実家の仏間で気がついたのです。2+4+5=11。これは、裏切りのユダを除いた弟子たちの人数=11人、今回のメンバーの数と同じです。どんなエンディングになるかは聴いてみてのお楽しみです。

後半の隠れテーマは「ロックからロックへ - Locke to Rock」。マシュー・ロックからビートルズ、17世紀から現代までのイギリス音楽をパスティッチョし、ひとつの組曲としてまとめました。全体のテーマは「愛するものからの旅立ち」。マシュー・ロックのカーテン・チューンで文字通り幕開けし、ビートルズの Michelle では英語圏とフランス語圏の2人の間で繰り広げられる愛しい人への想い(こちらは、おそらく叶わない恋)。中野の商店街に「お酒は恋の痛み止め」と看板がありました。続く Yesterday では自分の元を黙って離れていった恋人について嘆き悲しみ、ヘンデルの歌劇「リナルド」の中の名曲“Lascia ch’io pianga”では、敵に囚われたアルミレーナが恋人を想って自分の悲劇の人生を嘆く。そして、パーセルの歌劇「ディドとエネアス」では、恋人との別れの後、自ら命を断つことを決心したディドが歌う「わたしが地中に横たえられた時」、ディドは最後に奏でられるWater Musicによって浄化され、別世界へ旅立つ、そういう物語です。

お能は人間の哀しみや怒り、懐かしさやラブストーリーなどを描きます。このような人間の感情の起伏を表す音楽を能楽堂で演奏することは、ジャンルも時代も違えども、納得がいくものではないでしょうか?

このようにパスティッチョという手法を使い、古楽を一種のメロドラマとして皆さんにお届けすることは、古楽をエンターテインメントとして扱っているように批判を受けるかもしれません。ただ私にとっては、この行為自体は、エンターテイメントへの挑戦であり、実験です。マーラーなどのロマン派の音楽とは違って、バロック音楽は同じテーマの音楽を集め、「スクランブル」して一緒にアウトプットすることが比較的容易であり、そしてそのように制作をしてもそれぞれの音楽の芸術性が壊れないだけの十分な強度を持っています。その路線を意識しながらイギリスの作曲家をテーマに、時空を超えたメロドラマを作りあげました。

個人的には現代音楽の紛れもない巨匠ルチアーノ・ベリオが当時の奥さんのリクエストにより編曲した「ビートルズ・ソング」は、楽譜を見る限り、かなりバロック音楽(の形式、楽器編成、特に装飾)を意識しており、発掘した当初から古楽器のスペシャリストたちならどのような演奏ができるのか、とイメージを膨らませていました。ビートルズの古楽的解釈というのは世界初かもしれません。そちらの結果もお楽しみに。


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