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翻訳語の世界

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翻訳が人間社会に対して与える影響について示唆に富む記事を集めます
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記事一覧

美しい徒労-英訳版「雪国」再翻訳を通した言語考察

大学4年生の頃、友達とアメリカ旅行に行った際に、ポートランドの本屋で「雪国」の英訳版(E.G.Seidensticker訳)を買った。それ以降約5年ほどずっと積まれていたのだが、ようやく読もうという気になり、そしてそこから2週間ほどかかって先日ようやく読み終えた。さすがに英訳版のみでは心許なく、日本語版、つまり原文「雪国」(新潮文庫)とも照らし合わせながら読むことにした。当初は英語だけでは理解できなかった文を確認する、程度の使い方を想定していたが、いつしか読んだ英語を自分なり

翻訳書ができるまで② 翻訳出版の契約と編集、そして読者のもとに届くまで

さて、前回にひきつづき、翻訳書ができるまでにどういう仕事を出版社の編集者が行っているのかを、ご紹介します。翻訳書以外の本(主に人文書)ができるまでは、先日ご紹介しました。 また、前提知識として「版権エージェント」「出版エージェント」という仕事があることを、前回ご紹介したので、未読の方はまずこちらをお読み下さい。 翻訳書ができるまでのおおまかな流れは、翻訳以外の本と大きく変わるわけではありません。ただし、版権(翻訳権)の取得という手続きが含まれることに大きな違いがあり、その

デザイナーではない人間から見たデザインについての私見

デザインはdesign、英語からきています。日本語になっていなくて、そのまま音をとって「デザイン」として使っています。ぴったりハマる言葉がなかったからでしょうか。 では日本語でいうところのデザインと、英語のdesignは同じことを指しているのか。なんとなくのイメージでいうと、日本語の「デザイン」は、図案とか図柄、意匠といった見た目の形や色、模様を主に指しているような感じがします。 わたしは日本語で使われる「デザイン」という言葉の意味の範囲が、狭いのでは?と感じることがよく

テクノがアメリカでウケない理由

「テクノがアメリカでウケない理由」は裏返すと、なぜヨーロッパでテクノは人気があるのか?という疑問となります。 これは非常に単純明瞭で、欧州だと言語がありすぎるんですね。象徴的なのが欧州議会です。 欧州議会において発言者は欧州連合の公用23言語のいずれの言語でも発言することができる。すべての本会議においては同時通訳が提供されており、また法令の最終文書もこの23の言語に翻訳される。 23言語でやり取りしてるんです。フランス語で歌ってもドイツ語で歌っても、イタリア語で歌っても

crazyをどう訳す? これは差別語?

英日の翻訳をしていて、日本語にするのに困ることは結構あります。一つはその英語の言葉にあたる日本語(考え方、ものの見方)が存在しない場合。たとえばトランスジェンダー(英語圏では1965年ごろに造語された)とか。まあこれはもう、カタカナ表記で広まっているから、訳す必要はないとして。 title image : Insane graffiti, East London by duncan c(CC BY-NC 2.0) あるいは該当する言葉は一応あっても、=で結べない場合がありま

ヴェルレーヌ「月の光」(フランス詩を訳してみる 4)

ドイツの作曲家に一番愛された詩人がアイヒェンドルフだとすると、フランスの作曲家に一番愛されたのはヴェルレーヌではないでしょうか。象徴主義(サンボリスム)というとなにやら難しそうですが、日本でも上田敏訳の「秋の日の/ヸオロンの…」や堀口大學訳の「巷に雨の降るごとく」などで親しまれてきたように、難しいことは抜きにして気持ちよく口ずさめる詩を書いた詩人ともいえるかもしれません。  * 詩の翻訳のリクエストを受けつけてみたら、一番最初のリクエストとして、そんなヴェルレーヌの詩「月

演奏と翻訳は似てる?......再創造とは

「再創造」って英語だとなんて言うのかな、と。recreation?でもこれだとリクレーション=気晴らし、娯楽、保養と同じになってしまう。でも二つ目の意味として、再構築、再現、作り直しの意味もあるようです。(英辞郎) Oxfordの辞書で確認してみたら、こちらでも二つの意味があって、ほぼ同じ。 1. [名詞] Activity done for enjoyment when one is not working.    (仕事以外の楽しみの活動)  2. [名詞] The a

鷗外とその家族② 鷗外の言葉選び

明治の文豪として知られる森鷗外は、素晴らしい翻訳を数多く残しているが、その業績は著述の影にかくれているのか、小説ほどは広く知られていないように思う。高校の教科書で「舞姫」を読んだとき、出世や家族との関係と、エリスへの愛情との間で板挟みにあうのです、とせっかく明治になったのに前時代の世話物のような解説を教師から聞いたのをはじめ、安楽死を扱った「高瀬舟」、性の目覚め(中年の女教師がカッと目を見開き、ものすごく甲高い声で言ったのがすごく嫌だった)を描いた「ヰタ・セクスアリス」、「渋

消えてしまったことばの世界を覗く 山口仲美『日本語の歴史』

 山口仲美『日本語の歴史』は、タイトルの通り、奈良時代から明治時代、そして現代までの日本語がどのような変化をしつづけてきたのか、その歴史を紹介する本だ。  ことばの変化、と聞いて思い浮かぶのは「死語」ではないだろうか。ちょっと前まで使っていたことばで、もう使われなくなったことば。たとえば、昔、ほんの冗談で「Aさんは、お花を摘みに行ったよ」と言ったら、職場の後輩にきょとんとされたことがある。その顔を見て、これが死語か、と思った。しかし、ここでいう死語は、あくまで単語のレベルに

「主語」も「文」もなかった 柳父章『近代日本語の思想』

日本語には「主語」がなかった。柳父章『近代日本語の思想』はそう語る。いや、「主語」どころか、「文末語」も、「文」という考え方さえも、日本語には存在せず、これらは明治時代の翻訳を通してつくられたものだったという。本書は平易な文章で、その過程を明らかにする。 著者はまず大日本帝国憲法を引用する。 このあとも「~ハ……」という構文が続く。この構文は、近代までにはなかった文体であった。しかし、この文体は、やがて明治時代を経て、一般的なことばになっていく。 それでは、大日本帝国憲法

重訳論ふたたび。周縁国、小国の文芸翻訳。

いまアウグス・ガイリというエストニアの作家の『トーマス・ニペルナーティ』という長編小説を読んでいます。Googleで作家の名前(カタカナで)を検索しても何も出てこないので、ほとんど(というか全く)日本では知られていない人だと思います。(August Gailit: 1891年〜1960年) 写真: ガイリ(女性の右隣)とエストニアの文学グループSiuruのメンバー この本の原著はエストニア語で書かれていますが、わたしが読んでいるのは英語版。アマゾンで探しても、英語版以外のも

ロシアと日本をつなぐもの、文学とか

日本とロシア、地理的にヨーロッパやアメリカよりずっと近いわけですけど(日本にとって)、文学においてもそれが反映されていたのでしょうか、両国がとても近い関係にあったことを最近発見しました。 *上の画像は「大江健三郎の本から、10の引用を」と題したロシアの出版社Ekcmoの記事(2017.1.31)から きっかけは以前にnoteに書いた重訳についての論考にありました。 これを読んだとき、英語はわかるとして、なんでロシア語を介して日本文学が紹介されたのだろうか、と思いました。で