出来事は捉え方次第で「善」にも「悪」にもなる
昨日、子どもたちを連れていった室内遊び場でのこと。
息子が突然、ズボンとオムツを脱ぎ捨てて、下半身を露出したまま館内を走り出してしまった。
驚愕する私を振り切って、出口に出ようと走っていく息子。
その表情には「怒り」が現れている。
私の言葉が届かないくらい感情的になっている。
そのまま出入口付近に寝転がって、帰らないと抵抗。
私のメガネを掴み、投げ捨てる。
下半身が丸見えのまま、私を蹴り続ける。
うまく言葉で気持ちを伝えられない代わりに、やってはいけないことを意図的に実行している。ある意味、自虐的に。
早く事態を収束したかったけど、母だからといってそんなにうまくいかない。
結局、遊び場に併設されたお土産屋さんでトミカを買う約束をすると、しゅるしゅると怒りが収まっていった。
そのすきに息子を抱きかかえ、トイレに駆け込んだ。
18kgの重みを感じながら。
***
そもそも、なぜ息子がヒートアップしたかというと、ボールプールでの出来事にある。
ボールプ―ルが大好きな息子はボール内で泳いだり、ボールを上に放り投げて喜びを表現していた。
その中で、放り投げたボールが他のお友達にあたってしまったのだ。相手の子の年は3歳だろうか。
すると、お友達は息子に向かってボールを投げつけきた。
1回ではなく、何度も何度も。
最初は私も静観していた。
子どものトラブルは、子どもで収束してほしいと願っているから。なんでもかんでも親が介入するより、子どもの世界を尊重したいから。
しかし、一向にやめないお友達。
息子も肘を曲げ腕で顔を隠して防御しているが、執拗にぶつけられている。
周りに彼の保護者はいないようだ。
すると、息子もぶつけ返そうと、ボールを握っていたのを確認した。
仕方なくお友達に伝えると、投げる手が止まった。
その隙に、息子のすぐ隣にいた娘が息子の大切なネコの人形を手に取り、出口の方に歩かせた。
ごっこ遊びのように、「〇〇くん、こっちにおいで~」と話しかける。
息子も大切な相棒を捕まえるために、出口に戻ってきた。
息子を抱きしめようとしたら、息子の感情が爆発。
足をジタバタさせ、ボールプールの出口で通せんぼして他の子の通行を妨害をしている。
出入りできない子どもたちが群がってしまったので、出口から引き離すと相棒の人形をボールプールの上部にある網に放り投げた。
「取れなくなるから、やめようね」
と伝えるが、何度も試みる。
すると、裸足のまま入り口に逆行してしまった。
入り口には遊び場の人形たちが並んでいた。大小さまざまな人形に向かって、相棒のネコの人形を放り投げる。
自分の手の届かないところに、何度も何度も。
そのどうしようもないネガティブな感情を放出するため、相棒の人形に八つ当たりをしていた。制止をすると、今度はズボンを脱ぎだした。息子なりの抵抗だったと、今なら思える。
彼なりの悲しさの表れだったのだろう。
しかし、私はそんな冷静には思えず悲しいやら、恥ずかしいやら。どうしたらいいか分からなかった。息子には悪いが、とにかく力でねじ伏せようとした。
周りの視線が気になったから……
その後出入り口で一悶着していたが、トミカを1台買うことを提案したら、ピタッと動きが止まったわけだ。
着衣を整えて、お店に入ると満面の笑みのいつもの息子が戻ってきた。
「これがいい!」
と、銀色の配達車を選んだのだった。
私は母としてどんな行動をしてあげたらよかったのだろう。
帰り道、ずいぶん凹んだ。
そして、この経過を夫に伝えた。
すると、
と言われて、目から鱗だった。
私は、息子の行動を「悪」として判断していた。(もちろん息子なりの理由があるけど)
でも夫は違った。きちんと「善」を切り取っている。夫はいつだってそうだ。
私は息子の奇怪な行動に振り回されるけど、夫は淡々と寄り添う。夫もたまに強引に出るけど、いつも気持ちがフラットだ。
と、一度聞いたことがある。
夫は達観していて、飄々としている。感情の起伏が乏しいので振り回されない。たまに羨ましくなるけど、心の奥底ではいつも息子の味方であるのを知っている。そして、息子の可能性を切り取るのがうまい。
誰とも比較しない。
きちんと息子を見ている。
私も出来事の解釈を、前向きに捉えたい。
自分の子どもだもん。
誰よりも信じたい。
noteを継続して発信するため、サポートいただけると嬉しいです!いただいたサポートは、自分の気づきや発見をするための活動に使わせていただきます!