本来無一物、何れの処にか塵埃あらん。文字の読めない慧能禅師はこの偈で五祖弘忍禅師の法嗣となり六祖となりました。人が生まれつきもっている仏性というもの聖性、神性の純度の高さを見事に表現したものとして歴史に残つています。文字や言葉よりも生活修行が大事だとされる一例となっています。

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