鴻鵠(おおとり)@私学受験の先生

私学受験(中学・高校・大学)に携わって30年以上 進学塾→家庭教師として受験指導をして…

鴻鵠(おおとり)@私学受験の先生

私学受験(中学・高校・大学)に携わって30年以上 進学塾→家庭教師として受験指導をしています。 趣味は読書(古書集め含む)

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中学受験の意味と意義

4月になると、どの小学校でも新学年が始まります。 この春6年生になった小学生は、今気分も新たになっていることでしょう。しかし今年の中学受験は、もう既に始まっているのです。 どこの塾でも、2月が新学年スタートの時です。 2月1日から、東京の御三家を始めとする中学受験が始まるからです。 その受験が一段落した2月10日頃から、新6年生としての授業が始まっているのです。 算数では「整数論」「規則性」「場合の数」といった分野から、カリキュラムを始める塾が多いでしょう。 4月には

    • 若い頃の徳山禅師は金剛経の学僧でした。南方の経文にないことを語る禅宗という邪宗を退治してやろうと山のような注釈書を抱えて洞庭湖の辺の町までやって来ました。ところが茶店のお婆さんに金剛経のことを聞かれても答えられない己れを恥じて山のような書を焼き捨てたそうです。書に真実はないのです

      • 本来の面目は、即ち吾が聖門の所謂良知なり。伝習録では禅語を用いて良知を説明することがよくあります。陽明学の理解に禅の理解は必要不可欠なものです。良知を致すとは本来の面目を発揮させることでしょう。この点からしても知行合一が単なる知識の実行ではなく良知の仏性を実行することだと言えます

        • 香嚴撃竹。香嚴禅師は学問を好み学識深い秀才でしたが知識でない処の生まれる前の一句を言え!と師の潙山禅師に問われ茫然としていました。遂に絶望した香嚴は師の下を去り慧忠国師の墓守りで生きる決意をしたのです。庭掃除をしていた時、小石が竹に当たった瞬間大悟し師に深く感謝したそうです。

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        • 若い頃の徳山禅師は金剛経の学僧でした。南方の経文にないことを語る禅宗という邪宗を退治してやろうと山のような注釈書を抱えて洞庭湖の辺の町までやって来ました。ところが茶店のお婆さんに金剛経のことを聞かれても答えられない己れを恥じて山のような書を焼き捨てたそうです。書に真実はないのです

        • 本来の面目は、即ち吾が聖門の所謂良知なり。伝習録では禅語を用いて良知を説明することがよくあります。陽明学の理解に禅の理解は必要不可欠なものです。良知を致すとは本来の面目を発揮させることでしょう。この点からしても知行合一が単なる知識の実行ではなく良知の仏性を実行することだと言えます

        • 香嚴撃竹。香嚴禅師は学問を好み学識深い秀才でしたが知識でない処の生まれる前の一句を言え!と師の潙山禅師に問われ茫然としていました。遂に絶望した香嚴は師の下を去り慧忠国師の墓守りで生きる決意をしたのです。庭掃除をしていた時、小石が竹に当たった瞬間大悟し師に深く感謝したそうです。

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        • 中学受験について
          27本
        • 早稲田の古文・夏季集中講座
          35本
        • 渋谷教育学園幕張中学校 受験対策
          9本
        • 慶應義塾中等部対策講座 俳句編
          10本

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          本来無一物、何れの処にか塵埃あらん。文字の読めない慧能禅師はこの偈で五祖弘忍禅師の法嗣となり六祖となりました。人が生まれつきもっている仏性というもの聖性、神性の純度の高さを見事に表現したものとして歴史に残つています。文字や言葉よりも生活修行が大事だとされる一例となっています。

          本来無一物、何れの処にか塵埃あらん。文字の読めない慧能禅師はこの偈で五祖弘忍禅師の法嗣となり六祖となりました。人が生まれつきもっている仏性というもの聖性、神性の純度の高さを見事に表現したものとして歴史に残つています。文字や言葉よりも生活修行が大事だとされる一例となっています。

          生まれたばかりの赤ん坊に六識はあるか?こう問われた趙州禅師は急流の上で鞠をつくようなものさ、と言ったそうです。般若心経では無色声香味触法と言いますがそんなことは百も承知です。そんな理論仏教は急流で鞠をつくぐらいありえないことだ、何の役にも立たないと言いたいのでしょう。実相無相です

          生まれたばかりの赤ん坊に六識はあるか?こう問われた趙州禅師は急流の上で鞠をつくようなものさ、と言ったそうです。般若心経では無色声香味触法と言いますがそんなことは百も承知です。そんな理論仏教は急流で鞠をつくぐらいありえないことだ、何の役にも立たないと言いたいのでしょう。実相無相です

          一株の大樹、天下の陰涼となる。若き臨済禅師の大器を見抜いた睦州禅師の言葉です。随処に主となれば立処皆な真なり、赤肉団上に一無位の真人有って常に汝ら諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ。自性仏性の自立性、主体性を宣言する言葉が大樹となって人人に一服の陰涼材を与えています

          一株の大樹、天下の陰涼となる。若き臨済禅師の大器を見抜いた睦州禅師の言葉です。随処に主となれば立処皆な真なり、赤肉団上に一無位の真人有って常に汝ら諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は看よ看よ。自性仏性の自立性、主体性を宣言する言葉が大樹となって人人に一服の陰涼材を与えています

          無功徳。梁の武帝は、寺を造営したり、僧に供養し、斎会を開催し、布施を施すことが自慢のようでした。達磨太子にどれほどの功徳があるかと尋ねました。そんなものは何の功徳にもならない、と。武帝は嘆き恨んで、達磨太子を国外追放にしたと六祖壇経に記されています。自性仏性の悟りは無形のものです

          無功徳。梁の武帝は、寺を造営したり、僧に供養し、斎会を開催し、布施を施すことが自慢のようでした。達磨太子にどれほどの功徳があるかと尋ねました。そんなものは何の功徳にもならない、と。武帝は嘆き恨んで、達磨太子を国外追放にしたと六祖壇経に記されています。自性仏性の悟りは無形のものです

          聖学晦くして邪説ほしいままなり。伝習録によれば権力欲に満ちた覇道政治が横行することで聖人の道が衰退したとあります。邪説とは記誦の学、訓詁の学、詞章の学などのことです。文字の形式にこだわり、人間性の内実を疎かにする学問です。口先だけの覇術で世を支配する覇道政治が世を惑わすのです。

          聖学晦くして邪説ほしいままなり。伝習録によれば権力欲に満ちた覇道政治が横行することで聖人の道が衰退したとあります。邪説とは記誦の学、訓詁の学、詞章の学などのことです。文字の形式にこだわり、人間性の内実を疎かにする学問です。口先だけの覇術で世を支配する覇道政治が世を惑わすのです。

          格物致知。陽明学に於いては、ものをただして知をいたす、と読みます。ものとは物質では無く心の中の邪心や邪念欲心のことです。そのために良知を致すのです。人の聖性、霊性、神性を発揮して邪心邪念を正すことが格物致知です。山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難しという心即理がこれです。

          格物致知。陽明学に於いては、ものをただして知をいたす、と読みます。ものとは物質では無く心の中の邪心や邪念欲心のことです。そのために良知を致すのです。人の聖性、霊性、神性を発揮して邪心邪念を正すことが格物致知です。山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難しという心即理がこれです。

          庭前の柏樹子。如何なるか祖師西来意という僧の問いに対する趙州禅師の答えです。僧は何か崇高な理念か深遠なる理論でも期待していたのでしょう。人境倶に奪う絶対無、絶対自由の普遍平等の世界を提示したと言われています。音も無く香も無く常に天地は書かざる経を繰り返しつつ、明歴歴露堂堂なのです

          庭前の柏樹子。如何なるか祖師西来意という僧の問いに対する趙州禅師の答えです。僧は何か崇高な理念か深遠なる理論でも期待していたのでしょう。人境倶に奪う絶対無、絶対自由の普遍平等の世界を提示したと言われています。音も無く香も無く常に天地は書かざる経を繰り返しつつ、明歴歴露堂堂なのです

          知行合一。知の真切篤実の処は即ち是れ行にして、行の明覚精察の処は即ち是れ知なり、と伝習録に書いてあります。これを読むだけでも知識を行動に移せばよいといった単純な行動論ではないことが分かります。心の虚霊明覚なる処が良知であり、心の天理を精察して本然の良知を致すことが知行合一なのです

          知行合一。知の真切篤実の処は即ち是れ行にして、行の明覚精察の処は即ち是れ知なり、と伝習録に書いてあります。これを読むだけでも知識を行動に移せばよいといった単純な行動論ではないことが分かります。心の虚霊明覚なる処が良知であり、心の天理を精察して本然の良知を致すことが知行合一なのです

          多聞多見。論語ではこの弊害を戒めています。疑わしいものや危ういものを捨てて残ったものだけを人に言えば人からとがめられることも少なく慎んで行動に移せば後悔も少ないと言っています。知識や情報は疑ってかからなばならないことは2000年以上前から言われているのです。今でも通用する箴言です

          多聞多見。論語ではこの弊害を戒めています。疑わしいものや危ういものを捨てて残ったものだけを人に言えば人からとがめられることも少なく慎んで行動に移せば後悔も少ないと言っています。知識や情報は疑ってかからなばならないことは2000年以上前から言われているのです。今でも通用する箴言です

          品行高尚。人の見識品行はただ聞見の博きのみにて高尚なるべきに非ず、と学問のすすめに書かれています。万巻の書を読み天下の人に交わりなお一己の定見なき者あり、と批判しています。真実の学問は己れの霊性、聖性、神性を磨くものです。聖人になる為の陽明学や仏性顕現の為の禅学が真実の学問です。

          品行高尚。人の見識品行はただ聞見の博きのみにて高尚なるべきに非ず、と学問のすすめに書かれています。万巻の書を読み天下の人に交わりなお一己の定見なき者あり、と批判しています。真実の学問は己れの霊性、聖性、神性を磨くものです。聖人になる為の陽明学や仏性顕現の為の禅学が真実の学問です。

          致良知。良知を致すことこれが陽明学における知行合一です。良知は天理の照明霊覚なる処であり心の虚霊明覚なる本体です。造化の精霊でもあるため草木瓦石も良知であると伝習録に書かれています。風雨露雷、日月星辰、禽獣草木、山川土石は人と一体なる良知の発露です。見性成仏する禅と同じ修行です。

          致良知。良知を致すことこれが陽明学における知行合一です。良知は天理の照明霊覚なる処であり心の虚霊明覚なる本体です。造化の精霊でもあるため草木瓦石も良知であると伝習録に書かれています。風雨露雷、日月星辰、禽獣草木、山川土石は人と一体なる良知の発露です。見性成仏する禅と同じ修行です。

          知・仁・勇。知を好んで学を好まざればその蔽や蕩、仁を好んで学を好まざればその蔽や愚、勇を好んで学 を好まざればその蔽や乱、と論語にあります。知仁勇三色兼備でも学問の心が無ければ全て腐敗するということです。学問の心とは克己復礼です。自分より若い者に頭を下げて学ぶことができるかです。

          知・仁・勇。知を好んで学を好まざればその蔽や蕩、仁を好んで学を好まざればその蔽や愚、勇を好んで学 を好まざればその蔽や乱、と論語にあります。知仁勇三色兼備でも学問の心が無ければ全て腐敗するということです。学問の心とは克己復礼です。自分より若い者に頭を下げて学ぶことができるかです。