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年末を控え改めて触れてみる

FBで繋がる友人の投稿によれば、YOASOBIの『アイドル』は異様なまでに幼稚園児たちを惹きつけて止まないという。

既に説得力のある論考はいくらでもあるが、案外オトナは知らないんだなーと気づかされたので、少しわかりやすくコメントで説明してみたものを加筆修正して転載してみます。

併せてリアルでも知る知人がコメントを繋いでくれたので、その返答も同じく転載しておきました。

以下

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『アイドル』はTikTokでバズるための要素を詰め込んでいます。

それは今の楽曲の基本的なトレンドですが、まずは完成度がK-ポップ並みに高い。

イクラのボーカルは難曲を完璧に歌いこなしており、ウケの良いサウンドと共に異様な高揚感を更に高めます。

スマホの小さな画面で見ているだけでも、強化ガラス越しに突き抜けて伝わってくる高揚感は、このライブ映像を観たなら納得でしょう。

去年は映画『ワンピースRED』で歌を担当したadoの独壇場でしたが、イクラとadoとの最大の違いは、何回聴いてもウザい感じがしないという点で、adoがめちゃくちゃ上手いんですが一本調子でクドいのに比べると、イクラは声質が心地よいからそのまま曲の世界にどれだけでも浸れてしまう。

この違いは大きいとすべきでしょうね。

そもそもですが、この曲は音をつくっているアヤセが多分にK-ポップを意識しながら、世界に発信するという明確な意識を持って創り上げた最初の曲であり、そうした意欲的な初期衝動が楽曲に特別のパワーをもたらしてもいます。

これでもかと言うほど多くの要素を盛り込んで、極めて高い完成度で出来上がり発表されたのですから、ウケない方がむしろ不思議とすべきだと僕は感じてます。

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次に…、

以前にも投稿したような気もするが、ボカロ曲という最旬の音楽カルチャーは、純然たる日本発のもので、ロッキンオンの関係者がコンビニ弁当みたいなものと評したのなら、もう批評家人生を辞めるべき暴言と僕は怒っている。

以下、その件に関しコメントしたものを少し加筆修正して貼り付けておきます。

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◯◯さん、ロッキンオンはだからだめという逸話だなぁと感じました。

以前にお話したかと思いますが、ボカロが初音ミクというアニメアイコンと共にオタク層にバカウケして、ロッキンオンの人たちがどーでもいいやとすっかり忘れている間に、ニコニコで内輪で盛り上がり続けてきたのが、作り手や聞き手が大人や年頃の若者に成長して本格的に音楽業界に登場し、そのまま更に多くの若い人たちに受け入れられて定着した、このことを忘れちゃいけないと思います。

無論ボカロPの音楽家としての成長も大きいですが、コンピュータのソフトに歌わせるから人間では歌うことすら到底無理筋の無茶な作曲技法から始まり、狭いニコニコの中でわっせわっせと競う中で曲構成もどんどん複雑化していきました。

adoは子どもの頃からニコニコでボカロ曲に親しんできた世代ですが、そういう難曲を完璧になぞるように歌いこなし、イクラも同様で、ボカロ曲を完璧に歌いこなせる(主に女性)シンガーの登場でボカロ曲がメジャー化する最後のピースが埋まった、そんな感じを強く押し出しているのも『アイドル』の特徴的なところかと感じています。

あらゆる意味で今の時代のアンセムなんですよね。

(あの方面をずっとバカにしてきたものの、元漫画家の彼女が年甲斐もなくコスプレにハマったのは『冬ソナ』の頃。その後コスプレ界隈が一般的に受け入れていくことを考えると、その感性にはさすがと唸らされるものがありましたが、以降そちら方面にもある程度目配りしてきました。

グラビアでもえなこさんを筆頭にコスプレ界隈から出てきたとんでもなく可愛い女の子たちが当たり前のようになり、グラビアアイドルの重要な供給先となって随分経ちます。

僕は桃月なし子さんのファンですが、両者とも愛知県出身のレイヤーというあたり、名古屋のコスプレ文化の最初の頃やウラの話をちょっと知っているだけに面白く見ています。

更に言えば、カラダつくりのメソッドがあることがお腹の腹筋を見れば一目瞭然とはいえ、中でも現役JKグラビアアイドルとして((今年からJD))大人気の菊地姫奈さんがアイコン的存在として人気ですが、巨乳なのにウエストはキュッと括れたアニメ絵特有の現実ではあり得なかったボディを現代のグラビアアイドルたちは生身の肉体で再現してます。


adoやイクラと通じるものを感じますねー

付け加えるとTikTokもグラビアアイドルの発掘先として定着しましたね。)

ニコニコで熟成された純日本産の音楽ということでは、当時は極東の島国の中だけでやっていたに過ぎなかったシティポップとも近しい構造がそこにはあって、フカセが海外に打って出る気持ちになったのもそれを感じ取ってのことと僕は想定してます。

彼がそこまで言語化しているかはわかりませんけどね。

更にいうとボカロ界隈の作り手や歌い手がメインとなった今の日本のポピュラー音楽はとても複雑化しています。

キングヌーは難しいことを敢えてJ-ポップとして演る(売れなきゃ正義じゃないという感覚かなと思いますが)というテーマを掲げて登場して、それを曲げることなく大成功を遂げました。

本来ならエルトン・ジョンやビリー・ジョエル等のピアノロックの系譜にいたヒゲダンも、『プリテンダー』の頃の代表的な楽曲たちに感じられたきれいなメロディと共感を集めやすい歌詞をかなぐり捨てて、『ミックスナッツ』で難曲化する本邦の音楽界に追随し、その完成度も極めて高くて、インディーズの頃にaikoさんに認められた才能は本物だったことをまたまた証明しちゃっています。

そしてこうなってくると、日本のロックという観点から見ると、「J-ポップをロックで演るというイノベーション」を起こしたミスチルの時代は終わったということにもなるわけです。

ミスチルがしたことは、日本のロックにおけるイノベーションとしてはサザンオールスターズ以来とも言える大きなもので、それを敏感に感じ取ったからこそ桑田佳祐はブレイクして間もなかった桜井和寿とコラボレーションしたのだと僕は考えます。

わかりやすくて共感を集めやすい歌詞が彼らの特徴でしたが、セカオワのメンバーが30を超えて以降、その明確な後継者は遂にいなくなりました。

もちろんすべて消え去ったわけでもなく、バックナンバーや、80年代の英国の若者たちが好んで演っていたネオアコを少し思い出させてくれるバンプオブチキンのように、ミスチルの系譜を継いで人気を集めている人もいますが、既にメインからは少しズレているかなぁと感じます。

女子人気が高いから相変わらず根強いですけどね。

スピッツはミスチルとは異なり、ロックのままプロデューサーの意見に従ってメロディアスな曲を発表して人気となりましたが、その曲は僕のような「洋楽」好きからしてもどこかで聴いたような感覚のあるもので、俺たちはあくまでロックでJ-ポップじゃないぜという主張をしているようにずっと感じてきました。

『スターゲイザー』のような曲にチャレンジしたりするのは、とてもロック的なアティテュードですよね。

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