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プロレスリング・ノア 丸藤選手

デビューして25周年になるね。怪我が多かった25年だった。ジュニアで最初デビューしていたのに会社の都合でヘビーに変わってしまった。全日本の頃は知らなかった。G+の昔の全日本の試合があって、ジャイアント馬場とタッグをしていて、丸藤の動きを見て馬場がびっくりした表情を見せていたことを覚えている。三沢選手が全日本からプロレスリング・ノアを作ったので、殆どの全日本からの選手がプロレスリング・ノアに移動した。当時のノアのジュニアは小川選手と金丸選手が強かった。1年、2年経って丸藤選手が出てきた。丸藤選手は三沢選手の2代目のような感じでした。新日本のジュニアのチャンピオンになってこともあります。
ライガーや金本にも勝ったことがあります。当時の新日本のジュニアの殆ど選手に勝っていました。
全日本のチャンピオンカーニバルに優勝したこともあり、三冠にも挑戦したこともありました。

私はKENTAとの試合が印象に残っています。命を削る試合でした。YouTubeで見てください。凄い試合です。それはそれで凄い試合ですが、三沢選手と丸藤選手の試合も心に残る試合でした。まだ丸藤選手は三沢選手に勝ってないのです。他の選手は1回か、2回か勝っているのに。塩崎選手は三沢選手越をしているのに。KENTAも三沢選手に勝っていないのです。
鈴木鼓太郎も三沢超えをしていません。
それだけ三沢光晴は凄いプロレスラーだと言えるでしょう。
アントニオ猪木が作った新日本がいつも話題になりますが、それもプロレスですが本物を追求すれば派手な試合をしなくても良いのです。
それをするのが、全日本プロレスであったり、プロレスリング・ノアかもしれません。

丸藤選手はプロレスリング・ノアの副社長で選手です。
あまり練習が出来ないし、休みがないだろうね。
それで試合に出ているから凄いですね。
丸藤選手は勝敗にはこだわってないと思う。アントニオ猪木と三沢光晴は勝敗にこだわっていたと思う。その二人はプロレスファンの神のような存在でした。アントニオ猪木は勝ったなければならないのです。三沢光晴も勝ったなければいけなかったのです。小橋建太との試合は生死をかけた試合でした。それから三沢選手と川田選手の試合は決闘のようで危ない試合でした。
今の選手は本気で戦っているようで、試合が終わればマイクアピールをするのです。試合をして大きい声が出せるだろうか?
丸藤選手は試合が終わってもマイクアピールをあまりしないのです。
塩崎選手・杉浦選手・小川選手・その他。プロレスリング・ノアは三沢選手が作った団体だから三沢選手の面影が残っているのです。それで面影を残したまま団体を継続する時、丸藤選手が一番の適任なんだろう。
まだまだ40代だからね。


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