夕星に代えて

 少ないライ麦を挽いた粉に、お世辞にも衛生的とは言えないような水を足して、しかしほんの少しの安穏の味を作るには、塩が足りない。この暑さなら手汗が辛うじて塩分となってくれるだろうか。小さな手が懸命に捏ねた生地を石窯に平たく押し付け、薪をくべる。

 揺らめく火を見ていると心が安らぐと言う人がいるらしい。自分たちには心底信じられないような思考。

 この火は命だ。すぐ先の生活すら危ういこの刻を、火が映している。そういった思考は、意識は滲み、身体の外へ溶け出していく。まるで何処か遠くを見つめているようなその目が、ふと隣を見る。二人で身を寄せ合うようにして座り込んでいるうち、一方の女性は膝に影を落とし俯いている。そんな彼女を見たところで、表情なんて見えやしない。

 「ねえ、」

 どんな声だったかも分からない。

 「生きてね」

 今にも消えてしまいそうなのはその仕草だったか、それとも火だったのか、私は短く返事をして、傍の乾いた薪を杖代わりに立ち上がった。

 「置いていくわよ、カ・ベリル」
 「待ってくださいって!ちょっとくらい何か腹に入れましょうよ〜!」

 すれ違う人々の足元を縫って先頭を歩くのはササヨ・サヨ、ララフェル族の女性だ。小振りな体型に似つかわしくない大股で、目的地まで真っ直ぐに突き進んでいく。
 視線を左右どちらに滑らせても露店が立ち並ぶサファイアアベニュー国際市場。ウルダハでショッピングといえばこの大通りだろうか、一本内側へと入ればパールレーンと呼ばれる裏路地もあるが、ササヨはそんな場所に用はないとばかり、賑わいを見せる大通りの中心から外れずに歩く。
 綺麗に磨かれたレンズを通して見る人々は挙って露店を品定めしている。あるいはそんな主人の荷物を任され、愛想笑いを浮かべているリテイナーか。
 この世を生きる人は二種類しかいない。

 そんなササヨを追うのはカ・ベリルと呼ばれたミコッテ族の男性。誰がどう見ても彼がリテイナーだと分かるのは赤と青を基調とした制服を纏っているからに他ならない。

 早朝4時、まだ日も昇り切らないような時間に叩き起こされたカ・ベリルは、朝食をとり損ねたせいで腹の虫を盛大に鳴らしながら、時に他人と肩をぶつけ、時に彼女より長い足を絡ませ転びかけたりしながら、ササヨの後ろを必死に着いていく。

 いや逆だろうと、すれ違った視線が物語っていたが、2人の知ったところではない。

 リテイナーとしてササヨと契約してまだ数日ほどしか経っていないカ・ベリルは、ササヨの堂々とした歩き振りにも、此方の話にまるで聞く耳を持たないその自己中心的な態度にも、驚いてばかりだ。一見お淑やかにも思えるこの小さな女性が、まさかここまで無愛想だとは夢にも思わなかった。雇われたその日に素朴なハチェットとチップを渡され、「シャードを採れるだけ採ってきて」と言われたあと、それっきり一度も顔を合わせていなかったからだ。

 「朝メシも食わずに仕事なんてできないですよ~!」
 「……あんたってうるさいのね」

 子供のように喚くカ・ベリルは実際確かに若い。育ち盛りだろうとササヨも理解している。だから本来は朝食もきちんと摂らせるべきなのだと。
 しかし此処はウルダハだ。そんな悠長な事を言っていられない。貧困層が日々を生き抜くにはそれなりの努力が必要だ。その事実を彼も理解しているからリテイナー業に就いたのだろうに。

 「だってササヨ様ってば、俺、何時に起こされたと思います?」
 「うるさいわね、分かってるわよ」
 「4時ですよ!」
 「だから謝ったじゃない」
 「しかも朝の!」

 怒涛の抗議の声にササヨは溜め息を吐くものの、結局その場凌ぎの掠れた音だけ。だからこそカ・ベリルには不信がられる。青くて綺麗な瞳を覆うレンズも、主人との距離を感じてしまうなと彼も溜め息を重ねる。それを合図に二人は黙りこくり、雑音としか思えなくなった周囲のにぎやかな声にかき消されてしまいそうになりながら、歩いていくしかなかった。

 忙しなく歩くつまさきの向こう側、焦げたフラットブレッドのような色が几帳面に結ばれたその毛先を、緑の猫目がジッと見つめたまま追いかける。足音と共に揺れる束はきつく編まれているから真っ直ぐのまま右へ左へと揺れているが、頭頂部を見るにどうも柔らかな毛質らしい。碌に手入れもしていない切りっぱなしの髪にはない柔らかさがあるのだろう。本来は。

 「ちょっと、聞いてる?」

 はっと瞬きすれば焦げたフラットブレッドが立ち止まってカ・ベリルを見上げていた。ララフェル族にはありがちな話だが、カ・ベリルを含む異種族とは背丈の差がありすぎて、こういった賑やかな場所では互いに声が聞き取り辛い。ミコッテ族なんかは耳の位置が高いから余計に。噂によると、ヴィエラ族というのもミコッテ族と同じく耳の位置が高いらしい。実際には見たことがないし、冒険者の中にはそういった人たちもいるのだろうけど、ササヨやカ・ベリルにとっては星外人と言ってもいい程、未知の種族だ。

 カ・ベリルは慌てて腰を屈めてササヨと目線の高さを合わせた。ララフェル族の中でも一際小柄と言えるだろう体に大きな青い目。レンズ越しに見ても決して歪んでは見えないその輪郭と、緑色の丸い目、視線が交わった、その時。
 徐に子供のような手がカ・ベリルの頬を包む。直接触れて気付くのは、子供のようなのは見かけだけで、実際は労働者のような固く乾いた手だった。カ・ベリルは驚いたように尻尾を跳ねさせたが、ササヨは全くの無表情だ。ただジッと見つめ合うだけ。

 突然の沈黙の触れ合いに戸惑いを隠せずにいれば、ササヨは眉根を寄せようやく口を開いた。

 「朝食の材料を調達しに行くって言ってんのよ。あんたの分もね。だから黙って着いてきて」
 「あ……、え!そうなんですか!?じゃあそうって言ってくださいよ!俺てっきり、」
 「ねえ、聞いてた?黙りなさいって言ったの」

 言葉の割に頬を包んだ手は優しく撫でて去っていく。ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いたその顔は未だ何を考えているのか分からなかったが、一先ずの目的は理解した。「え、じゃあ、朝メシ作れってことですか⁉」と今度は機嫌の良さそうな声ではしゃぐ。尻尾も揺れれば耳も揺れて、ようやく得た納得と、“採れるだけシャードを採ってきて”なんていう孤独との戦いから離れ、やっと主人のために働くことが出来るのだと、意気込みを隠せない。

 もちろんリテイナーは召使や奴隷ではなく、主人の荷物管理をしたり、売り子をしたり、時には町の外をうろつくモンスターの討伐で戦利品の調達を担うだけのはずなのだが。

 「朝メシ作るくらい朝飯前ですよ!」
 「面白くない」

 バッサリと切り捨てられたジョークに肩を落としていれば、目的の場所に着いたのか今度こそササヨが立ち止まった。視線の先には素材屋があって、カ・ベリルが何を買うのかと聞く前に彼女が店主の元へと駆けていく。

 「おはよう、フリードウリッヒ」
 「いらっしゃい。今日も早いね、ササヨの嬢ちゃん」
 「嬢ちゃんなんて歳じゃないわよ。水と塩、それから……何にしようかな」
 「良いワインが入ってるよ、ラノシア産のブドウ酒さ」
 「ああ、じゃあワインも。包んでくれる?彼に持たせるから」

 フリードウリッヒと呼ばれた店主とやり取りするササヨの声はなんだか楽しげに笑っているようだ。しかし背後で突っ立っているカ・ベリルには彼女の後頭部しか見えていない。初めての一面を見てみたくて落ち着かずにいれば、店主は彼女の後ろにぴったり寄り添うリテイナーに「まいどあり」と荷物をまとめて渡すのだった。

 その後もササヨとフリードウリッヒの談笑は続き、荷物を抱えたまま意識をそちらに向けてこっそりと聞き耳を立ててみれば、やれ良い魚が入っただの、二つ隣の料理屋の収入が右肩上がりだの、家政婦の井戸端会議のような話ばかり。それでも彼女は興味深そうに相槌を打ち、口元を手で隠しながら笑うのだ。

 カ・ベリルにとっては見たことのない表情を浮かべるササヨのすぐ側に腰を落とした。
 くつろぐクァールと何ら変わりない座り方で、彼女の声に耳を傾けておく。どうせ雇って間もないリテイナーの顔なんて気にも留めないのだろうと思いきや、ササヨは店主からカ・ベリルへと視線を移し、その顔を真っ直ぐ見つめる。
 先ほどまで浮かべていただろう笑顔の面影残るその顔に、カ・ベリルは驚いたように目を丸くした。

 「フリードウリッヒ、もう行くわね。子猫ちゃんが待てないみたい」
 「こ、子猫ちゃん……」
 「次。行くわよ」

 店主に別れを告げたササヨは、カ・ベリルの腕をとんと叩いて立つよう促す。そのまま二つ隣の料理屋へ向かう主人を追う前に、フリードウリッヒに慌てて頭を下げた。

 「坊ちゃん、ササヨの嬢ちゃんに可愛がってもらいなよ」
 「あ、えっと……はい」

 フリードウリッヒは腕を組み、愛想のいい笑顔で頷く。カ・ベリルはまさか彼女がただの一リテイナーを可愛がるとは到底思えなかったが、そんな言葉を返す余裕もなくササヨの元へと歩み寄るしかなかった。

 フリードウリッヒの素材屋とカテリーヌの料理屋の間では薬屋の店主と薬品を品定めする冒険者らしき集団が話し込んでいる。それを横目に追い抜いて、既にカテリーヌと話し込んでいたササヨの隣へと立ち止まれば、売り子が試飲の小さなカップを差し出してくれた。ササヨもカ・ベリルも揃ってそれを受け取り、中身を覗き込む。透き通ったオレンジ色に、少しの果肉が底に沈んでいる。オレンジジュースだ。カ・ベリルはあっという間に飲み干して、「身に染みるっす!」なんて大袈裟に喜んでみせる。本人にとっては今日初めて口にする飲み物だったものだから、大袈裟でもなんでもないのだが、それを見たササヨは肩を竦めてからジュースを飲み、「ありがとう」とカップを返した。

 「カテリーヌ、さっきフリードウリッヒから良い魚が入ったって聞いたんだけど」
 「もちろん入荷していますよ!いつものタイガーコッドも、それから今日はアッシュトゥーナも!いかがです?」
 「今朝はアッシュトゥーナにしようかな」

 主人と店主のやり取りへの興味よりも、そろそろ空腹の方が勝ってしまう時間になってきた。何せここは料理屋、露店の目の前にも大きな麻袋に詰められた果実や調味料がたくさんあって、腹を空かせたカ・ベリルにとっては何よりも食欲を刺激される場だ。そんな中“アッシュトゥーナ”と聞こえてくれば目を輝かせるばかり。ミコッテ族なら誰もが好んで食べるであろう、あの魚だ。
 ササヨはざっくりと捌かれたアッシュトゥーナやミッドランドバジル、他にも果実をいくつかと、フィンガーシュリンプ、要は具材ばかりを買い揃え、包んでもらったものをカ・ベリルに持たせた。

 アッシュトゥーナといえばラノシアの海を回遊する大型魚だ。この辺りでは釣れないはずだから、きっと冷凍されたものをカテリーヌが買い付けてきたのだろう。それにしてもウルダハに身を寄せていると中々食べる機会にも恵まれないものだからということもあり、カ・ベリルは今日一番の腹の音をササヨとカテリーヌに聞かせることになったのだった。

 ササヨにとっては大荷物のはずの荷物も、カ・ベリルにとっては然程重くもない、朝食の材料がぎっしり詰まった袋。それらを抱えて二人は再び大通りの中央を逸れずに歩いて市場の南端にあるザル大門へと向かっていく。重厚なメインゲートをくぐればすぐに拓けたし刺抜盆地へと抜けられる。ササヨは私用のチョコボキャリッジに駆け寄ると、繫がれた薄茶色いチョコボのくちばしを撫でる。きゅい、きゅい、と鳴くチョコボは彼女にとてもよく懐いているようだった。

 カ・ベリルはササヨに指示されるがままキャリッジに荷物と共に乗り込む。主人がどこへ向かおうとしているのか教えてくれないものだから、大人しく従うしかなかった。それにチョコボが彼女に懐いているのなら、移動は彼女たちに任せてしまった方が賢明だろう。

 ササヨは足台に飛び乗り、チョコボの手綱を引く。特に会話があるわけでもなく、ただ静かに、小石が蹴られていく音と、車輪が砂を踏んでいく音、木製のキャリッジが軋む音や、吹き抜ける風にヒュージ・ホーネットの羽音などを子守歌に、カ・ベリルは呑気に瞼を下ろした。

 気が付けば背後からは寝息が聞こえる。カ・ベリルは寝てしまったのかと、ササヨは一瞬後ろを覗き見た。口を開けた間抜けな顔で眠りこけているリテイナーに呆れ、ふっと笑いながらまた前を向く。早い時間にリンクパールで呼びつけて、そのまま連れまわしてしまったのだから、もちろん疲れてもいるだろう。それにしても朝食をとってから眠れば良かったものを、なんて誰に言うでもなく思考の片隅に押し込む。

 整備されていない荒野の段差にキャリッジが揺れてもカ・ベリルは起きない。随分と図太い神経をしているようだ。今朝顔を合わせてから何度も聞いた空腹を訴える声も、その図太さからきているのだろうか。
ガタン、とキャリッジを一際大きく揺らしてチョコボが立ち止まる。流石に驚いたらしいカ・ベリルの目覚めに、「降りて」とだけ言い放ったササヨもまた足台から身軽そうに飛び降りた。

 「ここって……」
 「ササガン大王樹よ。立派でしょう?見晴らしもいいし、ここで朝食にしましょう」
 「やっと朝メシだー!やった!何作りますか!?」
 「あんたは荷物を降ろして、じっとしてて」
 「……」

 大人しく食材を地面に降ろしたカ・ベリルは、ササヨがそこから必要なものを順番に取り出して調理の準備を始めたのを、指を咥えて待つことにした。この様子だと調理はさせてもらえなさそうだ。であれば、とキャリッジの隅に押し込まれてあった薄っぺらい絨毯を広げて、彼女が座れる場所を作っておく。ササヨは「ありがとう」と淡々とした物言いで礼をするだけだった。

 キャリッジの中にはその他にもさまざまなものが乗せられている。薪や調理道具、寒い夜を過ごさなくていいように毛布も畳んである。ササヨは大樹から離れた位置で薪を組み、マッチで火をつけた。
 火の粉がパチパチと弾ける音を聞きながら、露店で買ったアッシュトゥーナをさらに小さく切り分け、保存瓶に入れ替えたフィンガーシュリンプと交互に串焼きにする。小瓶に入っているのはミッドランドバジル、サンレモンの果汁、オリーヴオイル。火の通り始めた魚肉にそれらを振りかけ、じっくりと焼けるのを待つ。香ばしく食欲をそそる匂いに、じっとしてと言われたカ・ベリルも溜まらず唾を飲み込む。ササヨに向けられた熱い視線を感じるが、生焼けのままではまだお預けだ。
 同時に作り始めたのはレンティル&チェスナット。大きな保存瓶に残っていたものだが、それを器に移して焚火の傍に置くことで、温かさを取り戻したシチューになる。ササヨはそこにフラットブレッドを浸して、良い色に焼きあがった串焼きと一緒にカ・ベリルに手渡した。

 「おなか空いてたんでしょう。もう食べていいわよ」
 「あ、あの!これ、ミコッテ風海の幸串焼ですよね⁉」
 「そうだけど」
 「俺、これ好物なんです!もうずっと食えてなくて、」
 「いいから。食べて」

 不愛想さの変わらない顔であしらわれるが、カ・ベリルはこみ上げてくる嬉しさに、やはり腹を鳴らす。「いただきます!」大きな声を出すものだから、ササヨにはまた「うるさい」と言われるのだが。
 串から魚肉を一欠け引き抜き、レンティル&チェスナットに浸したフラットブレッドを夢中になって頬張る。焼いたアッシュトゥーナは余計な脂が落とされ、燻された香りや、酸味とほのかな甘みのあるたれの味が、より旨味を引き立てているようだった。レンティル&チェスナットにも必死になって口をつける。大振りのレンズ豆と山栗の甘さが身に染みる。

 冒険者になるのだと集落を出てからというもの、カ・ベリルは小麦と山羊乳の粥や、それこそフラットブレッドしか食べていなかった。しなやかだった体はササヨと出会う頃には痩せ細っていて、不健康にもほどがある体型だったのだ。やっとの思いで大都市に辿り着いてからは、日雇いの冒険者を断念し、リテイナーとして収入を得ようとギルドに籍を置いたのが最近の話だ。
 運悪く人使いの荒い冒険者に目を付けられる前に偶々ササヨと出会い、彼女の風貌に大人しそうだからと心を決めたのが契約のきっかけだった。

 調理するためだけに組まれた小さな焚火は徐々に小さくなっていく。ササヨはそれを眺めながら、フラットブレッドをちぎった。一口、二口、態度の割に小さな口で噛み占める味はいつの時代も変わらない素朴さだ。
 時折、勢いよく朝食を腹に収めていくカ・ベリルを気にしながらも、ササヨはどこか遠くを見ている心地のままレンティル&チェスナットを喉に流し込む。

 あたたかい。今、彼と安穏の味を共有している。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、串焼きにも齧り付く。カ・ベリルの言う通り、この串焼きはミコッテ族の伝統料理らしい。以前、市場で偶然手に取った書物にそう記されていたのを思い出したものだから、彼にもそういった懐かしい味があるのかもしれないと、振る舞うつもりでいたのだ。
 ササヨにとってはフラットブレッドが唯一の故郷の味だった。レンティル&チェスナットやツリートードレッグズ、タイガーコッドを塩漬けにしたものもよく食べたが、どんな日でもこれさえあれば生きていけると思ったのがフラットブレッドだった。素材も手間も少なく、簡単に作れる平焼きのパンは、露店でも手に入れやすい安価なものだが、ササヨにしてみれば店売りのそれは贅沢品の類と同じ扱いだ。今でこそ難なく買えるような身分にのし上がったが、幼い頃はそうもいかなかった。

 そんな昔話を思い出しているうちに、カ・ベリルはあっという間に串も器も空にして、両手を合わせて「ごちそうさまでした」と行儀のいいことを言っている。食欲が満たされたのだろう、機嫌良く口元を拭う。

 「腹いっぱいです!」
 「それはよかった」
 「今日はピクニックの日か何かだったんですか?ササヨ様自らの手料理を食えるなんて」
 「……そうね、ピクニックって言ってもいいのかも」
 「最初から言ってくれりゃ騒がなかったんですけどね~」

 減らず口が調子に乗ってよく喋る様子に、ササヨはまたふっと笑う。カ・ベリルはよくやく彼女の笑顔を目にして、やっと胸があたたかくなるような心地を覚えた。この人、俺の前では絶対笑わないわけじゃないんだ。そう思うだけで安心できた。

 「カ・ベリル」
 「はい?」
 「あんたに、今日、私と一緒に食事をしてほしかったの」

 ササヨは燃え尽きた焚火を真っ直ぐに見る。

 「今日は私が、生きるって、決めた日だから」

 薪は黒ずみ、脆くなり、崩れて。

 「あんたにも生きてほしいんだ」

 手元の小さなパンくずを口に放り込む。ほんのり塩味が利いた、安穏の味。彼はあっという間に平らげてしまったが、食べる速さは然程問題視しない。字彼の腹を満たせて、血となり肉となればそれでいい。

 「ササヨ様……」
 「ごめんね。ちゃんと言わないと伝わらないと思ったから」
 「ササヨ様、それ、」
 「これからよろしくね、カ・ベリル」
 「プロポーズですか?」
 「……は?」

 ササヨが素っ頓狂な顔をするのももちろん初めて見た。案外表情豊かなのかもしれない。しかしカ・ベリルは冗談を言っているわけでもなく、真剣に戸惑っている顔でササヨを見るものだから、彼女も彼女で困ってしまう。

 「違うわよ、なんでそうなるのよ」
 「えっ!だって、それって“一緒に生きてほしい”ってことでしょ!?」
 「ちょっと語弊があるわよね」
 「プロポーズじゃないですか!」

 呆れきったササヨの溜め息は深い。バーニングウォールよりもずっと深い。伝え方を誤ったか、それとも単に彼の頭が悪いのか。どちらにせよ訂正しようにもプロポーズだと言い張るカ・ベリルを止めるのが面倒になってしまって、それでいてなんだか面白可笑しくなってきて、最終的には噴き出して笑い始めた。カ・ベリルはというと「からかってるんですか!?」と尻尾の毛を逆立ててしまっているが、笑い疲れたササヨの表情が穏やかなものだったから、思わず力が入ってしまった体を落ち着かせる。

 「……ササヨ様って、すっごく不愛想で、リテイナーなんてこき使うためにいるんだ~!って言うタイプなのかと思ってました」
 「なにそれ。そんなに人の心がない人に仕えたかったの?」
 「違いますよ!でも……だって……」
 「仕方のない子ね。あんたみたいな若造、放っておいたら誘拐されて奴隷にされるのがオチだもの。そうなったらあっという間に野垂れ死ぬんだわ。……若い芽が早々に摘まれてしまわないように、きちんと可愛がってあげないとねってことよ」
 「俺、むずかしいことは分からないですけど、ササヨ様そんなにいっぱい喋れたんですね!」
 「あんた本当にうるさいわね」

 小さな手がカ・ベリルの器を取り上げる。水で湿らせたボロ布で器を拭き、「宿に戻ったらきちんと洗いましょう」とキャリッジに戻した。

 日差しが暖かく、爽やかな風が頬を撫でる、ピクニックと呼ぶには丁度いい天気だ。
 薄い絨毯は土の感触を和らげ、衣服を汚さずにのびのびと寝転がることができる。空を見上げたササヨに、カ・ベリルは「食べてすぐ寝たらバッファローになっちゃいますよ」と冗談を言うのだった。


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