コロナ禍備忘録

 今回はイベントと全く関係ない投稿。忘れぬよう何かに書き記しておきたいとずっと思っていたコロナ禍の出来事や所感をこの場を借りて失礼します。
あまり興味のない方はここで終わってもダイジョブです。長文注意。


 2020年2月末。コロナという感染症が世界で流行り出しているというニュースは伝わっていたものの、それは海の向こうの出来事でリアリティもなくライブハウスではキュウソ・セイヤくんが「オマエら!これが濃厚接触じゃあ〜!!」とお客さんの上にまたがっているのを見て「アホやなぁ」とまだ笑ってられた。
しかし翌3月に入ると状況は一変。全く笑えなくなってしまった。

 月が変わり職種的に自分達から一番遠い存在であろう「お上(かみ)」から予想だにしない「イベント自粛」を要請された。
 以降直近3月のライブを4月から5月以降に「延期調整→告知→払い戻しor再販」という作業が始まる。
先行きの不安となんだか凹む気持ちを少しでも抑えようと
「延期ロックフェスティバル始まったで!」
と宣(のたま)ってたら数ヶ月後「中止&払い戻しフェス」になろうとは…ますます笑えない。

 3月の後半だったか大阪のライブハウス数カ所から感染者が出たことも報道され、いきなりライブハウス、エンタメ産業がやり玉にあげられ我々の業界は肩身の狭い思いをする。
 4月に入ると「緊急事態宣言」という誰が付けたのかとても怖いネーミングの行政判断に従い、普段の生活は「外出禁止」という更に予想だにしない世界線がひかれることになったことは皆さんもご経験通り。

 ほぼ自宅待機しながら前述した延期や払い戻し、はたまた中止という生産性のない、先の見えない対応に追われた。
 「三密」という言葉も生まれ「三密ビジネス」のど真ん中である我らは更に追いやられる風潮に持っていかれた。
当時ある病気を患って病院に行くと「海外旅行、ライブハウスに行かれた方は申告ください」と書かれていた。ライブハウスは何も悪く無いだろうに。


 この状況はとてもまずい。
東京の業界団体も集まり国へ。大阪の音楽関係者も集まり今後の展望や対応を協議し、何らかの助けを求めて自治体に支援を求める。
 前述の望まない仕事と並行して慌ただしい毎日を送っていたが、先行きが全くもって見えない不安を誤魔化す為にわざと忙しくしていた気もする。
家に居ると要らぬことを考えてしまうので無駄に車で出社もしていた。
 私的に何よりキツかったのは30年以上続いたライブのある生活がパッタリ無くなってしまったこと。日々のライブに自分達も如何に救われていたかを思い知らされる。
 できた時間で手を出してなかったYouTubeの沼にハマり、ひたすらロックレジェンドとプロレス名勝負と犬猫の動画を見あさった。精神的に参っていたかもしれない。(汗)

 ライブが全く無くなってからその穴を埋めてくれたのはラジオとアーティスト達が発信してくれるSNS、YouTube配信などがメインになった。
 震災の時もそうであったがラジオメディアはこんな時とても心強い。地元の情報、気を紛らわしてくれたり前を向かせてくれる音楽、DJ皆さんの喋りに誰かと繋がっている安心感を感じた。放送従事者の皆さんの心意気でしかない力の籠った番組作りもあって本当に助けられた。
 アーティストネットを駆使しお客さんが居ない中、誰もが「自分でできることは何か?」を模索し届けてくれていた。
 どれも「なんとかやり抜いて行こう」という気概が伝わって勇気づけられたのは、こんな駄文テキストを読んでくださっている音楽好きの皆さんも同様かと察します。


 初めての経験となる外出自粛。現場が無いので人とも会う機会が激減。打合せもリモート。
 そんななんとも言えない時期が数ヶ月続いたあと「業種別ガイドライン」というルールが我々の場合は管轄の経産省、ライブハウスは飲食店登録なので文科省から発令された。
「この規則を守ればライブ、コンサートやっていいですよ」
という内容だ。
 なんらかのルールを決めないといけないのは分かるし、指針が出来るたことはある意味助かる。
しかしあまりに細かく、煩雑なルールに現場は疲弊していった。
 もう思い出したくもないが、お客さん同士の席は一席空け、ライブハウスは2m間隔。検温、マスク着用、手指消毒、声出し禁止、楽屋ケータリングの出し方や館内の消毒、催しごと自治体への事前申請〜認可作業 etc、、、その建て付けは多岐に渡りライブ一本あたりいつもの何倍も手間がかかる。
 それらに則らないと開催できないので従ったものの当時の言葉を使うと所謂「化学的根拠」が示されない中「集客50%以内」に疑問を感じ「検温36.5度以上で入場不可」なんて夏場の野外であれば表面体温で超える人も多いし冬場の小さいライブハウスでは体温低すぎて測定できないお客さん続出であった。
そんな現場に即してないルールに憤りを感じつつ「ライブができることには変えられない」と悶々、粛々とした日々を送る。

 その前段で憤慨したのはライブハウスにまず行ったことが無いであろう当時の文科大臣(今も統一教会や裏金問題で現在もかなり注目を浴びている)が「小劇場やライブハウスはこの国の文化発展の為にとても重要であり灯を消さないよう云々、、、」と如何にも寄り添ってる『フリ』をしていたこと。
「2m間隔」なんてルール作ったら小規模ライブハウスに対しては
「君達社会にそんな重要じゃないから潰れてええよ」
と言ってるようなものだ。
ライブや映画やお芝居に心動かされたことがない側の人間からの
当事者意識の無い発言に乱暴な大阪弁を使うと
「イテコマシたろか!」と思ったオトナ気ないオトナはワタシです。
更に言わせていただくと
「誰や?こんなんに投票したん!」

 何だか話しがそれたので元に戻そう。
2020年7月。コロナ禍初手でうちが開催したライブが服部緑地での「SLOW DAYS」というイベント。いつもと違うガイドラインルールの諸注意の為、前説に舞台に立った時の感じたことのない緊張感は忘れられない。マスクしたお客さん達が黙ったまま全員こちらを一点に見ている。チケット買ってくださっている以上お客さんも全くそんな気なかったのでしょうが、マスクで表情も見えないし声も出せないので、なんだかこっちが悪いことをして断罪されている気持ちになっていたたまれなく感じた。
しかしいざ始まると数ヶ月ぶりのライブ、そして生音に正に感無量。
出口が見えない中、やっと一歩踏み出せたことに久々に安堵もした。
 その日を境に厳しいルールの中、少しづつライブができるようにはなっていく。配信とは違う「生の音」のどれもにやはり感動した。ライブに助けられる日々が戻ってきたし、日々のことが「当たり前ではない」ことへの感謝も改めて考えさせられた。

 一歩進んでライブは打てるようになったものの、戻ってこない集客には困った。ガイドラインでキャパ制限も半分になったが軒並みどのアーティスト、バンドもそれまでの動員の半分以下に集客が落ちた。
 まだお客さんも怖がっているし様々な事情で足を運べないのも分かる。
とはいえ半分以下の売上では皆んな食っていけない中、一般的な助成制度や業種ごとの補助、協力金等の力を借りてなんとか各々が繋いでいく。
 結果、継続できなかった会社やライブハウスも思ったより少なく済んだのはそれらの助けがあったからだと思う。


 普段から感じていることではありますが、社会全体から見ると音楽関連の優先順位は低い。
あくまで娯楽産業。「音楽が無いと生きていけない」なんてことは実際無いし趣向の一種として捉えてる人の方が絶対数多い。
「お前はどやねん?」と問われれば、自分も勿論無くても生きていける。
しかし音楽、ライブがある生活の方が多幸感、精神的富裕感を得られることは知っている。仕事の「やりがい」もそこには間違いなくある。多くはないが一定数のそういった自分と同じ考えの人は存在するし、それで生業を立てているアーティスト、音響、照明、楽器、舞台スタッフや会場の方達もいるものの、全体から見るとその人口はやはり少ない。有事の際に少数派は黙っていると置き去りにされてしまうことも学んだ。然るべき相手に窮状を伝えないと見向きもしてくれない。音楽業界は一部の影響力ある人達や組織を除くと立場が弱い業種であることも改めて実感した。
 あとこんな時の為に普段の税金はちゃんと払っておかねばとも思った。

 未だ深刻なのはコロナ禍前の集客に多くの場合は戻っていない現実。
例えるなら「行きつけのお店も3年行かなかったら足が向かなくなる」といった感覚だろうか。
 どんなに感動を覚えても、辛かったことも人間忘れてしまうように出来ているらしいのでそれも致し方ないことかもしれない。
ライブが無いあいだに他の楽しみや糧ができて一定数の方が遠のいてしまったのも否めない。
 土から手入れしていながら更地になった畑をイチから耕してる心境というか。しかしこれしか出来ないのでやらねばならない。腹括ってやるしかないと思ってます。


 触れるか迷ったけど敢えて。もう一つ印象深かったのが「同調圧」という事象。
 自分は当事者ではなかったけれど「自粛要請」が出た直後にあるバンドがツアーを敢行しようとした。要請がある中、行われた東京公演が随分非難され、続く大阪公演は主催者や会場にまで苦言、問い合わせがあり結果中止に追い込まれることがあった。
 思うにチケットを買っていない人、当事者で無い人達から避難、中傷を浴びるのにはかなり違和感を感じる。
 演者やスタッフ、会場など纏わる人達はこれで生業を立てている。大袈裟に言うと命かけてるとも言える。
 勿論お客様の意見は真摯に受け止めないといけないし、ルールを決める行政府から要請、指導を受けるのは理解するが、第三者から一部分だけ見られて一方的に揶揄され、またその殆どが匿名であり困ったことにSNS上でアーティスト本人に矛先が向いてしまったりもする。
 ネット社会以前は自分達みたいな周りにいる人間が演者を守ることができたのが、今やそうもいかなくなってしまった。
 矢面に立てない歯痒さとアーティスト本人に対して申し訳ない気持ちもある。
 広くはエンタメ、飲食関係などの大半は例え自分達が生業であると主張しても「なぜやるのか?我慢できないのか?」と唱えられる、顔も見えない、数もわからない、見えない何かとの戦いがコロナ禍であった気がする。


 最後に数少ない良かったこと。
 マスク着用でお客さんの表情が見えない、歓声がないコンサートも当初異様な光景だった。ステージに立つ演者は僕ら(客席側の皆さん含む)が想像するよりも歓声や拍手といったリアクションに左右される。音楽に限らずお笑い、お芝居、スポーツ選手なども同様。よく野球のヒーローインタビューで「お客さんの声援のおかです!」というのは全く謙遜でもない本音であり、誰かの応援が舞台に立つ側の潜在能力を引き出すのは間違いない。
 コロナ禍、ステージに立つミュージシャンは発する音や言葉にリアクションが無い環境にかなり不安があったのは事実。
「この状況でライブをやっていいのか?」「この言葉を発していいのか?」「この曲で良いのか?」「今の演奏はどうだったのか?」不安の中、がむしゃらに自分の出せる音をかき鳴らしていた筈。
 そんな演奏に対して渦中のお客さん達が渾身の拍手をくれた時、ミュージシャンや現場スタッフ誰もが励まされ、助かられました。あの心のこもったお一人お一人の拍手にこの場を借りて感謝します。本当に有難うございました。
 普段のライブで良い演奏やパフォーマンスに出逢ったら、是非声援や拍手を今まで以上にしてくださると嬉しいです。
それがその日、また明日からのモチベーションになり作品やライブに必ず反映されていきます。コロナ禍で更にそう強く思わされました。


 もう二度とあんな消毒液やマスクを買い漁ったり、市場にない体温計をなんとかして手に入れたり、ガイドラインに沿った申請書類いちいちを作る、なんて行為はご勘弁いただきたい。
 有事の際はこんな我々も行政判断の影響を受けることも学んだ。
選挙にはやはり必ず行かねばならない。
 ライブが無い生活がどんなに退屈かも痛感したし、人と繋がってないと生きられないことも再確認できた。
 コロナ禍に感謝なんて気持ちは毛頭ないけれど気づかなかった、忘れていた多くのことに気づけて良かったこともあります。悪いことも全て経験としてプラスにしていかねば。

 50数年生きていると「こんなことあるのか、、、」ってことも降りかかってくる。神戸や東北の震災、NYテロ、私的には野外イベントやろうと思ったら台風で酷い目に遭ったり。それ以外にも天災、人災は至るところで起こってきたし、これからも起こるかもしれない。病気もいつ誰におそいかかってくるか分からない。
そんな様々なことを否定はできないながらも、この先はどうか平穏な生活を皆さんも自分達も送れますよう。
願わくば野外で大きな音出してイベントができる日常がありますよう。
以上書き留めておきます。
大変長々と失礼しました。(音泉番台)