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コンプレックス

何かしらのコンプレックスを持たずして生きてきた日本人は稀だと思う。
国籍問わず、もしかしたらそうなのかもしれないけど、そんなに長いこと海外に住んだ経験がないのでここでは敢えて日本人と括っておこう。

個人的には、社会人になるとこのコンプレックスが側から見ると個性強みエネルギーの源になるケースが多いと思っている。

自分の場合、コンプレックスと言えば細かなことしかない。
一応国公立大学を出てはいるけど学歴コンプはあるし、スポーツにおいても大抵のことはできるが極めたいと思えるものがなかった。
料理に対しても美味しいものを作れるかといえば答えは△である。
顔だって鼻が低いと感じていたり、顎が出てるなあとかね。
仕事面ではやはり収入がそこまで高くないこと。
どうしてコンプレックスをこれほどまでに感じるのかと言うと、やはり周りの環境が大きいのだろう。

どの世界だって、何かのコンペティションで優勝しない限り上には上が必ず存在するし、それを知ることは良いことであるが、反してそれは自分の未熟さを知ることに繋がり、コンプレックスの溝をさらに深くする。
ただ、このコンプレックスの溝の深さというものが何かを成し遂げたいと思える人にとっては大きな原動力となる一面があるのだ。
人は何かと闘ったり、競争しない限りその魅力は外に出ていかないものであると思うし、努力の出来ない人間というのは総じて何に対しても文句を言いがちだ。

モテたいから事業を始めて成功を収める人もいれば、自分が抱えてきたコンプレックスの解消方法が多くの人の役に立つのではないかと事業を興す人だっている。
そう考えると、コンプレックスを抱えることってのは悪くないなって思ってこない?

じゃあ僕のコンプレックスからは何が生まれるのだろう。って、考えてみる。
今まで大したコンプレックスがなかったのかもしれない。
だからこうして、好きなことばかりやって中途半端な生き方をしているのかもなあと、バルセロナのとある公園で1人寂しく考察をしているのだろう。
たくさんの友人や先輩方がどんどん上の世界を見せてくれるおかけで、大分エネルギーが溜まってきた気がする。

北海道の田舎から出ない限り知ることもなかったであろう色んな景色や世界が、自分を大きくする材料になっているのだとしたら、興味本位で得てきた多くの経験も役に立つ日が来るのだろう。
知っていることによるプラスと、知ってしまったことによるマイナスの幅が大きければ大きいほど、自分の夢は大きく、そして遠く感じてしまう。
原点に立ち返ると、そんなに距離はないのにね。

人生を創るって、楽しいよね。

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