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アイツコイツ。

あいつ、こいつ、そいつ、アレ、コレ、ソレ。
日本語で会話をしていると、よく耳にするし、何にでも使える便利な言葉だ。
「アレとって」
「コレやっといて」
「ソイツってアレ?」

もう、文脈と互いの関係性だけで推測するしかない。
こういう点において、日本人はコールドリーディングとかが割と得意な民族だと感じる。
よく言えば、会話をしているだけで相手の感情を汲み取ることが得意だったり、言われなくても何をしたらいいのか察することができるような能力を持っていると思う。
この"察する"という能力は日常会話にかなり現れていて、「アレ」だけで意図が通じたり、「コレやっといて」っていう指示だけで仕事が遂行されたりすることがままある。

もちろん、今羅列したのは"察する"という言葉のいい面だけを掻い摘んでいる。
悪い面はどうかというと、その差はもう紙一重である。
察することが出来なければ、上手くコミュニケーションを取ることができなかったりするし、人によってはイラつきを覚える人なんかも存在する。
文脈を読み取れない人ってのは年代問わず一定数存在するし、SNSが普及した影響で長い文章を読むことができない人たちが増えたり、対人コミュニケーションの希薄なんかも影響してその"察する"という文化自体あまり良くないものとされ始めている。

「ちゃんと言葉にして言ってくれないとわからない!」と。

いつからだろう。
そんなことで夫婦関係が冷めてしまうようになったのは。
ある時代では、男性が女性に好意を伝えるために「月が綺麗ですね。」と、直接言葉にせずに言うことが趣のあることだとされていたのに。
僕はこの、何かに例えたり、文脈を使ってそれとなく、それでも相手が汲み取れるような言葉遊びを楽しめること自体が、日本語という言語が織り成す文化であると思っている。

英語圏で考えてみると、さすがに日本語の文章じゃあ伝わりにくいようだ。
まず、何をしたらいいかハッキリと主語や動詞を使って言わなければならない。
また、感情においてもハッキリ思っていることや考えていることを言葉にして伝えなければ、相手には全く伝わらないのである。
故に、英語圏では自分の意見をしっかりと持ち、発信することが自己表現であり、コミュニケーションであるのだ。
スペイン語はもっと厳しくて、必ず文章に主語述語目的語がないと「ほんとに?!」ってくらい伝わらないことが多い。

そういう文化の違いがあるから、日本人は自分の意見がないとか馬鹿にされたりディベートが弱いというような印象になったりもするのだろう。
ただそれは、日本語にはそういった自己を強く主張する必要がそこまでなく、あれ、これ、それなどの指示語から汲み取ることができる情報量が他言語国家の人たちに比べて多いことにあると思う。

"察する"という文化を大切にしたいとは思うが、言葉にしないと伝わらないと言う人が最近マジョリティになっている。
仕事やプライベートにおける人間環境を円滑にしていくためには、ある程度必要なものではあると思うが。
しかしこういった他文化の流入が、現代を生きる日本人に「考えていることをしっかりと言葉にして伝える難しさ」を示唆しているように感じる。
上司と部下、彼氏彼女、友人同士や家族間のコミュニケーション不足による事件や、わだかまりが周りにある人は少なくないだろう。

情報化やグローバル化によって色んな情報や文化が混じり合う現代において、日本のいいところは継承し新しいことは日本流にして吸収していくスタンスを保てるような教育が、これから更に大切になっていくだろう。
ただ、きっとそれはキツイと思う。
じゃあどうしたらいいかって、コミュニケーション能力を高めたり、自分の考えていることを要約する力や、それを伝える方を伸ばす方に注力するべきだと僕は思う。

"察する能力"ってのは、すげえんだよ。
かなり気を遣うことなんだけど、その気遣いが実質的に接客・サービス・良好な人間関係の構築に繋がってくるんだよね。

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