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エピソード0

こんな僕の人生の始まりは大学時代。

当時センター試験と言われる、今でいうところの共通一次試験で最高レベルのミスをする。
どんなミスかっていうと、点数開示をしてみて発覚したんだが自己採点が大幅にズレていた。
60%の自己採点だったけど、本当の点数は57%だったんだ。
この約30点の差は大きい。
奇跡的に間違えて本来より高い点数で提出したため、国公立をギリギリ志望することができたからだ。
自己採点が合っていたらきっと国公立は諦めた方がいいって、あのときよりも強く言われてただろう。
ただ、60%でも合格の可能性がある国公立大学はほぼなくて、沖縄にいくか旭川に行くかの2択だった。
サーフィンやダイビングもしたかったけど、どうしてもスノーボードがしたかったので旭川にした。

それでも合格率は2%のE判定には変わりはない。
さらに、2次試験はあまり点差の付かないと言われている小論文で、僕の上にいる150人くらいをこの2次試験て倒さないと合格できないときた。
全くもって理解不能な、どこからか湧き上がってくる小論文に対する自信と、文章を書くことや要約することが好きだったことが功を奏して何故かポッと受かってしまう。
まあ、自信の根源としては、学生時代にたくさん書かされた反省文の存在がかなり大きいと思うけど。

そういうわけで何故か小論文を95%の点数で通過した僕は、より一層文を書くことや読むことが好きになる。
大学へ入学してからもたくさん本を読んだし、レポートはたくさん書かされた
でも別に講義課題のレポートを書くのは好きだったし、文章を意味もなく膨らませることは得意だったので興味のない講義を除いては何も苦労しなかった記憶がある。

入学してすぐバスケサークルに入り、そこで出会った先輩にバイト先を紹介してもらった。
自分の小遣いは自分で稼げっていうことだったので、女遊びをするために兎に角お金を稼ぎたかったんだ。
そのとき紹介してもらったのがスポーツ用品店のアルバイト。
大学近くのイオンモールに入っている店舗だ。
どうやら社割でスノーボード用品やスポーツ用品が買えるらしいってのを聞いて入社することを決めた。

初めてのバイト先が、今の僕の仕事に対する考え方やスタンスを作り出してくれたと思っている。
他のスポーツ用品店とは違って、商品を売れば売るほど給料が上がるようなインセンティブ制度や歩合制度みたいなものはなかったけど、それでも商品知識やスポーツ用品の加工知識及び技術が身につくのは相当興奮した。
モノの売り方や接客業のイロハなんかを、当時の先輩や社員の人たちにみっちり仕込まれた。
それに、キャンプ用品やスノーボード、チームスポーツやランニング、登山用品など知的欲求が高まる商品が多かったこともあってモチベーションはそれなりに高かったと思う。

書けば長くなるが、憂鬱になることもありながらもずっと働き続けることができたのはそーゆうモチベーションや上司、パートの姉様方や同僚などの人間関係にかなり恵まれたからだと思っている。
めちゃくちゃいい職場だった。

人生初の給料日前日、先輩に
「最初の給料見てみ。思ってるより入ってっから。」
と言われて期待したが、そのおかげで思ってたより少なかったことを覚えている。
今でも忘れない、24,820円

僕の最初の給料は
確か女の子に奢って2日で消えた。

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