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逃走劇⑥コロナ禍

イベント出店が無事に終わり、
いつも通りスノーボードをしながらトリプルワークに励んでいた。
結構大きめの自信と達成感を手に入れて、あぁ次はピンチョスで出店したいなあ、なんて思いながら。
この時、スペインを自分のワーホリ生活に組み込むことを決心した。
ニュージーランド、オーストラリアと行ってから28歳でスペイン!と言った具合に。

そんな時、ヤツらは急に現れた。
Covid19である。
北海道は2月の最終末に緊急事態宣言が発令された。と、記憶している。

ちょうどその頃、僕はニュージーランドのワーキングホリデーVISAを申請中だった。
でもVISAは下りないっぽいし、もし仮に下りたとしてもロックダウンがかかるだろうから働ける保証もなければ、ましてや生きていけるかどうかも怪しい。
そんな状況の中生活したって、学べるものはせいぜい社会制度くらいか。と思い、ワーホリ生活を2年延期することにした。
おそらく2年後までには終息して、海外へ通常通り行けるようになっているだろうという勝手な予測のもと、人生のプランを変更した。

ワーホリ生活から帰ってきた後に店舗運営や店舗経営の勉強をしていく予定だったのを、先に持ってくることにしたのだ。
つまり、コロナ終息までの2年間はワーホリで行ける国数を2カ国分削り、予定を前倒ししていく計画にした。
この決断が後に大きく自分の考え方を変える原点となった。

ハンバーガー屋以外は休業状態に入ったため、毎月直近3ヶ月の平均給与の70%ずつを各会社から、休業補償としてもらいつつ、バーガーを焼く生活が始まった。
この時、また色んな誘いがあった。
まずは「店をやらないか」という出資の話。
次に、キッチンカーの営業責任者、後に働くことになるMASUYAからのお誘い、バーガー屋系列のイタリアン店舗の社員の話。

選択肢はたくさんあった。
そうなんだけど、自分の中では殆ど決まっていた。
キッチンカーやりたくて先輩とたくさん会議して、仕事終わりに夜中集まったりとか試作したりとかやってみたんだけど全然先が見えなかったんだよね。
しかも当時はオーナーの動きが早過ぎたのもあって、一般の人たちのニーズや道路交通法関連、キッチンカーのイベントコミュニティの式たりだったりがほとんど出来上がっていなかったもんだから、不安が大き過ぎた。
いつ、どこで、どのくらいの規模感で動き出せるか全く想像がつかなかったのである。

ということで、バーガーもイタリアンも好きだったのでイタリアンの副店長という肩書で入社させていただくことにした。
個人店、席数20席前後、オープンして半年が経過したお店の舵を切って動かしていくのは、途轍もなく貴重な経験になるだろうと思って決意した。

僕の25歳の逃走劇は、コロナが流行し始めてようやく終わった。
将来ピンチョスバルをオープンするために、自分のお店に1番近いモデルを選択して実践経験を積ませてもらうことにしたのである。
この約8ヶ月間で僕の人生は大きく飲食業という沼に沈んでいくことになった。
忘れもしない、2019-2020シーズンである。

こうしてまた立ち上がり、
次のストーリーへ歩みを進めることにしたんだ。

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