芥川龍之介 『地獄変』 読書上の注意と良く見られる誤解

『地獄変』の読解において良く読み間違えている人がいるので間違いやすい箇所をいくつかとりあげてみました。ちまたの解説やあらすじには読み間違いをしているものが非常によくみられます。ネタバレになりますのでご注意ください。

読む上での注意点

『地獄変』は、語り手が語る形式の小説です。そして、ミステリー小説でみられる「信頼できない語り手」の手法で書かれた小説にあたります。そのことにより、どんなところに注意しながら読まないといけないのかを以下に並べてみました。

・語り手が過去を思い出しながら語る形式で書かれているため、語り手が見て聞いた範囲のことしか語れず、また語り手の独自の解釈が混じる可能性があります。つまり、語られることの全てを正しいこととして信用することができません。
・「事実」、「語り手の考え」、「人から聞いたこと(噂を含む)」のどれなのか区別しながら読む必要があります。
・語り手の立場では直接知ることができない良秀の言動を語っている場面には特に注意が必要です。それは「人から聞いたこと」にあたるため、語り手へ情報提供した者の個人的な見解が混ざる可能性があるからです。
・語り手が、良秀の気持ちを語っている箇所があります。そこは「語り手の考え」となるため、本当に良秀がそう思っていたかは分かりません。
・男である語り手には、お邸の女社会のすべてが見えている訳ではありません。

どんなに注意深く読んでも、情報が不足しているために謎として残る部分があります。そのためこの小説は様々な解釈が可能であり、いくらでも考察を楽しめます。どうか、他人が書いた解説を鵜呑みにせずに自分の頭で考えて考察してほしい。

良くある間違い・思い違い

正しくない情報が世間にはあふれています。良くある間違い・思い違いをあげてみました。

誤 大殿様に依頼された地獄変の屏風絵が、良秀が初めて描く地獄
正 良秀は、地獄変の屏風絵より前に地獄を描いている。第四章に「たとへばあの男が龍蓋寺りゆうがいじの門へ描きました、五趣生死ごしゆしやうじの絵に致しましても」とあり、この「五趣生死」のなかには地獄も含まれている。つまり、地獄を描くのは初めてではない。

誤 良秀は、焼け死ぬ女を描こうとした
正 良秀は、燃える車のなかで、煙にむせて、もだえ苦しむ女を描こうとした

誤 良秀は、絵のため娘を焼き殺した
正 良秀自身は娘を焼き殺していないし、そのようなことをして欲しいと頼むこともしていない。

誤 良秀は、見たものしか描けない
正 良秀は、文字通りに見たものしか描けない訳ではない。まったくの想像のみで描くことができない、できてもしたくないだけ。描くために十分に参考となるものが見られれば良い。例えば、第四章にて、実際に見ることができない吉祥天や不動明王を描くにあたり、傀儡や放免をモデルにしたことが書かれている。また、第十四章での良秀と大殿様との会話のなかで、大殿様が実際に何々は見たことはないだろうと尋ねると、良秀は実物を見ていなくても同様なものを見たから見たといえるといった内容の返事をしている。

誤 良秀は、女を乗せた車が燃えるところが見たいと大殿様に頼んだ
正 良秀は、車が燃えるところが見たいと大殿様に頼んだ

誤 良秀は、絵のため娘を見殺しにした
正 娘が車に乗っていることに驚いた良秀は車に駆け寄ろうとしたが、侍にはばまれた。そして、すぐ車に火がかけられた。

【補足】『地獄変』の基となったといわれている『宇治拾遺物語』の『絵仏師良秀』では、良秀は妻子を見殺しにしている。

誤 良秀は、燃える車を恍惚の表情で見ていた
正 良秀は、燃える車を恍惚とした法悦の輝きを浮かべて見ていた。原文は「云ひやうのない輝きを、さながら恍惚とした法悦の輝きを、皺だらけな満面に浮べながら」であり、ウットリとしていたのではなく輝いていたと明記されています。輝きはおかしいと疑問に思う人が多いでしょうが、「恍惚」も「法悦」も元々は仏教用語であり、仏教用語としての意味で解釈することで整合します。

誤 良秀は、地獄変の屏風絵の中央に、燃える車のなかで燃えている女を描いた
正 良秀は、地獄変の屏風絵の中央に、燃える車のなかでもだえ苦しむ女を描いた。
語り手は、女が燃えているとは言っていない。原文では、語り手は地獄変の屏風絵を以下のように述べている:

「その車のすだれの中には、女御、更衣にもまがふばかり、綺羅きらびやかに装つた女房が、丈の黒髪を炎の中になびかせて、白いうなじらせながら、悶え苦しんで居りますが、その女房の姿と申し、又燃えしきつてゐる牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦をしのばせないものはございません」

また、良秀は描こうとした絵を大殿様に以下のように説明している:

「その車の中には、一人のあでやかな上臈が、猛火の中に黒髪を乱しながら、悶え苦しんでゐるのでございまする。顔は煙にせびながら、眉をそめて、空ざまに車蓋やかたを仰いで居りませう。手は下簾したすだれを引きちぎつて、降りかゝる火の粉の雨を防がうとしてゐるかも知れませぬ」

一方、大殿様は、車に火をかける直前に良秀に以下のように言っている:

「その内には罪人の女房が一人、いましめた儘、乗せてある。されば車に火をかけたら、必定その女めは肉を焼き骨を焦して、四苦八苦の最期を遂げるであらう。その方が屏風を仕上げるには、又とないよい手本ぢや。雪のやうな肌が燃えたゞれるのを見のがすな。黒髪が火の粉になつて、舞ひ上るさまもよう見て置け。」

つまり、良秀は、大殿様が期待するような絵を描いていない。娘を焼き殺される場面を見た後でも、もともと描きたいと思っていた通りの絵を描いている。