[映画評] Ryuichi Sakamoto : Playing The Piano 2022+ @109シネマズプレミアム新宿

Ryuichi Sakamoto : Playing The Piano 2022+ @109シネマズプレミアム新宿

 一旦は料金が高すぎて断念したけど、浜里君a.k.a.ニッポニア・エレクトロニカの熱い説得に説き伏せられ、見てきました。チケットを浜里君が抑えてくれたので、少し安く済んだ。言うまでもなく、昨年末に配信された坂本龍一最後のスタジオライヴの映画版である。もちろん配信版は見ている。

 結論から言えば凄い体験だった。見て良かったと心から思う。といっても、この体験をうまく言語化するのは難しい。

 まず誰でも感じるであろうことは、音響がとにかく素晴らしい。教授が監修した劇場と言っても実際の音響設計にどれだけ関わってるか不明だが、増田義一a.k.a.Invisible Futureさんが言っていたように、どこかのレコーディングスタジオにいるような圧倒的静けさに息を呑む。といって特にデッドな環境というわけでもなさそうだが、とにかくノイズフロアが極端に低く、ほかの映画の予告編の微細なヒスノイズが気になってしまうほど。しかもこの作品にはピアノの音以外何も入ってないから、無音の空間が広く、例えば他の観客の出すちょっとしたしわぶきや物音がものすごく気になってしまうほどなのだった。教授の弾くピアノの音に吸い込まれそうになる感覚は唯一無二で、特に坂本ファンでなくても、あれは一度体験した方がいいと思う。見る前は、ソフト化された時にじっくり見ればいいやと思っていたが、今回の劇場のような環境を、音響面も大画面という点でも映画に集中できる環境という点でも一般家庭で用意するのはまず不可能。ほかの劇場であっても無理だろう。ほかにもこの劇場ならではの特別なコンテンツもあって、今回の作品は今回の上映環境に最適化しており、見るならこの機会以外にない。なんでもこのライヴを素材とした新たな映画も製作中らしく、この作品単独のソフト化や今後の上映があるかも不透明だし。

 そして演奏。配信ヴァージョンに付け加えられたボーナストラックは1曲。それが何かを言うとかなり重大なネタバレになるので、ここでは書かない。それ以外は映像も演奏そのものも配信ヴァージョンと変わりないと思うが、大画面に演者の表情や弾く指先が映るたびにさまざまな感情が押し寄せてきてめちゃくちゃエモい。私は「MUSICA」の「12」のレビューで、「何かを表現したい、伝えたいという恣意的な行為や、作り手の過剰な自意識から離れたところで生まれた音」と書いたが、ここでの演奏は坂本龍一という音楽家の全人生が込められていると感じた。もちろん教授自身に「万感の思いを込めて」なんて意識があったとは思わないが、これが最後のライヴ、人に聞かせるための最後の演奏という意識はどこかにあったはずで、音楽家として生きてきた彼の人生の総体が、彼自身がそれと意識しなくても自然と湧き出るように表出している、と感じた。ユキヒロさんが「教授ほどエモーショナルなピアニストはいない」と言っていたのはこういうことか、と納得したり。しかもその音楽には一切の言語表現も映像の助けもなく、ただ抽象的な音だけがあって、教授の人生に観客が想いを重ねることを可能にする。私もいろいろ考えましたよ。自分の今までの人生とか、生き方とか、死に方とか。教授みたいにカッコよく人生を締めたいけど、そう簡単にはいかないよなあ、と思いながら。

 もちろんそうしたデリケートな表現を可能にしたのは、エンジニアを勤めたZAKの力も大きいだろう。スタジオには多数のアンビエンスマイクが立てられていたけど、ピアノの音だけでなく彼の息遣いやペダルを踏む音、座った椅子が軋む音、周りのスタッフが最高度の集中力でもって、教授の全表現を余さず捕まえようとする緊張感までもが捉えられていて、凄い臨場感と迫力だった。おそらくは鍵盤を叩くタッチもだいぶ弱っていたはずだが、その弱さも含めすべてが美しいと感じたのは、間違いなく繊細極まりないZAKの仕事ぶりが大きかったと思うし、この劇場だからこそそれは伝わった感はある。

 そんなわけで高すぎると思っていた料金は少しも高くないというか、プライスレスな価値があると感じたわけですが、しかしそれでもやはりこの料金はいかがなものかと思う自分がまだいるわけです。こういう最高度の音響、シートも含めた会場環境の良さはもちろん素晴らしいと言えるし、それがあってこそこの映画の真髄が伝わったと思うが、それにしたってあんな無駄に豪華なラウンジは必要ないし、無料ポップコーンもフリードリンクもいらない。

 教授最後のライヴを納めた映像作品が、教授が青春時代を過ごした新宿で特別公開されたのはドラマチックというか美しい物語の完結と思わせたが、若き日の教授を育んだ60年代の新宿は、今よりはるかに猥雑で混乱しててやかましくて汚くて、でも新しい破天荒なエネルギーに溢れていたはず。大資本のバックアップで作られたこぎれいで立派な劇場の、最高の音響環境と「おもてなし」で見る坂本龍一最後のライヴ作品もいいけど、たとえば場末のひなびた名画座で、酔っ払ってイビキかいてるおっさんがいたり、いちゃついてるカップルがいたり、そんな中で「うるせえな」と思いながら、でもいつの間にか画面に引き寄せられ、食い入るように見入ってしまう、そんな体験こそがこの作品に、そして坂本龍一最後のライヴ作品に相応しいんじゃないか、という思いもある。上のリンクの教授のコメントにもあるように、教授自身、若い頃にそんな感じでいろんな映画や演劇を見ていろんなものを吸収していたに違いないのだ。なにより安い席で4500円と言う価格では、若者だけでなく、熱心なファン以外には手を出しづらい。この演奏はもっとさまざまな人たちに開かれるべきなんじゃないか。たぶん前記したような事情もあり、この作品がこの劇場以外で上映される可能性はそんなに高くないと思うが、しかしこのまま一部のマニアだけのものにするのがいいのか。私にはよくわからない。もちろん、死後も坂本龍一というブランドを高く保っておきたいマネージメントの考えもよくわかるけど。

 見終わった後はラウンジで、二度目の鑑賞だった浜里君とあれこれ感想を述べあい、飽き足らず久々に上海小吃でメシ食ってまた話したら、あっという間に3時間。まだまだ話し足りない感じだ。浜里君から説得を受けなければ、こうして見ることもなかったと思うので感謝。


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