[過去原稿アーカイヴ]Vol.15 ラジカセとハイエンド・オーディオ、どっちの音がいい?(2001)

 ちょっと面白い記事を発掘した。今から約20年前に共同通信社のオーディオ専門誌『オーディオベーシック』(現在は廃刊)に掲載された、私とライター・広瀬陽一の対談。どういう内容かというと、ラジカセ、ボーズのシステムコンポ、デノン+JBLの総額50万ぐらいの中級コンポ、ジェフロウランド+B&Wの総額300万円ぐらいのハイエンド・オーディオという価格帯の異なる4種のオーディオセットで、いろいろなソースを聴き比べるという企画である。編集部員の私物のせいぜい2〜3万のラジカセと300万円のハイエンドコンポの聴き比べ。そんなの聴くまでもなく300万のほうがいいに決まってる……と思いきや意外な結果に。掲載当時はなかなかの反響があったと記憶している。なんせ20年前、いろいろ暴言吐いてますが、他意はないので、見逃してください(苦笑。

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◎ローリング・ストーンズ「ギミー・シェルター」

小野島 この曲はやっぱりある種の切迫感がなきゃ駄目だろうね。元から音が歪んでるんだけど、それは迫力や生々しさの裏返しで、その歪みがただ汚い感じじゃなくて、意図してそうしてることが分かるように再生できないと作り手側の意思は伝わってこないだろうね。
 で、最初のラジカセは……ただ音がそこで鳴っている、というだけ。ヴォリュームを上げるとすぐに音が割れるし。小さい音量で適当に聴くというBGM的用途ならいいかもしれないけど、これはそういう曲じゃない。音楽に正対してちゃんと聴こうと思ったらちょっと話にならないね。

広瀬 ラジカセの次にボーズで聴いたら、流れてる時間からして違う感じがした。イントロのリフがラジカセの後だと、一種スローモーションかと思うくらいタイム感がゆったりしてる。ちまちましたものじゃなくなってね。

小野島 ボーズになると、バンドがいて楽器があって、その周りに空間があってという広がりが感じられる。言葉を変えると、音が鳴ってる以外の無音のニュアンスみたいなものが出てくる。その分音楽としての深みが多少なりとも感じられるようになるし。出てる音自体は、そんなに変わらない気がするんだけど、音以外の空気感みたいなものはまるで違うね。

広瀬 だから“行間”の豊かさってことでしょうね。ラジカセだと、情動みたいなものは立ち上がってはこないもん。

小野島 JBLになると、前の2つとは、生々しさがまったく違う。この組み合わせで初めて、ストーンズが意図してること、やりたかったことが、聴き手に伝わるレベルまで到達したという気がする。

広瀬 やっぱり六十年代から七十年代初頭の音楽って、社会と個人の位相というのが今とまるで違ってて、社会の出来事やどよめきが、そのまま個人の内面に直に繋がってたようなところがあったと思う。そのどよめき感がここでは出てきた。

小野島 最後のB&Wとジェフ・ロゥランドのセットはね……これ総額三百万でしょう。デノン+JBLが五十万円。でも、二百五十万円余計に出してこの程度だったら別にいらないかなと思う(笑)。

広瀬 うん、それは俺もそう思う(笑)。

小野島 特にこの曲って全編音が歪んでるから、ソースの欠点、音の悪さの方がむしろ気になっちゃうんだ。

広瀬 アラまで見せちゃうよね、解剖学的というか分析的というか。

小野島 同じアルバムでも、もっとアコースティックな感じの曲だと,メチャクチャいい雰囲気で聴こえるんだよね。でも、ことこの曲に関しては、むしろデノン+JBLのほうが身の丈にあった感じのシステムだなあという気はする。

(2022年注:試聴に使ったのはリマスター前のアメリカ盤CDだったので、リマスターされた現在のCDでは音質が大きく向上しており、「全編音が歪んでる」なんてことはないはず)

◎ラブ・サイケデリコ「フリー・ワールド」

広瀬 音的には六十年代、七十年代のロック文体を巧妙にトレースしてるけど、以前の日本の音楽だと、もっと憧れとかコンプレックスみたいなものがついてまわったと思うんだ。で、それからどのぐらい離れられてるかというところが彼らの個性になってるんじゃないかな。で、結論から言っちゃうと、ボーズが良かったね。ラジカセじゃやはり物足りない。でも、上位のJBLやB&Wも別にいらないなという感じだった。どのぐらい計算してこういうサウンド・プロダクションをしてるのか分からないけど、あまり高性能な再生装置で、解像度を高くすると、彼らの音の雰囲気が剥げ落ちゃっう気がした。その点、少しおおざっぱなところが残されてるボーズぐらいのフォーカスだと、彼らの音の温度にジャストなんじゃないかな。JBL以降だと、クールすぎて聞こえちゃって。

小野島 俺はちょっと違って、ラジカセでも、それなりにいいなと思ったのね。ボーカルはちゃんと聴こえてるし、メロと歌詞もちゃんと伝わってくるし。で、ボーズになったらラジカセじゃよく分からなかったバックのエレキの音なんかが前に出てきて、バンド的な厚みが増してくる。だから、それぞれの機器のレベルに対応した音作りにしてるところがすごく巧妙だと思った。ところがJBL以降は、ボーズで感じたみたいな新しい発見はなかったのね。むしろ、バンドっぽいロックであるにもかかわらず、全然バンドが演奏してる感じがなくなる。さっきのストーンズなんて音は悪くてもバンドっぽい、そこで演奏してる生々しさはメチャクチャあったじゃない? でも、これはなんかこじんまりとしてて箱庭的っていうか。これはリアルなバンド演奏じゃなく打ち込みを使った宅録が基本だからバンドらしく聞こえないのは当然なんだけど、その構造が露わになったというか。音が鳴ってるところ以外の、さっき出た“行間”みたいものがこのCDにはないと思うんだ。本来は、その“行間”から様々な情感を取り出すために、いいオーディオシステムが必要なんだけど、ここではもう鳴ってるものがすべてだから、それならボーズ・クラスで十分。

広瀬 クオリティーを上げて、“行間”を掘り起こそうとしても、もうこれがすべてだから、出てきようがないと。

小野島 大量販売を前提にしたCDって結局最大公約数的に、誤解されようがないように作ってある。つまり、聴き手の聴取環境によって印象が違うCDとか、あるいは装置のグレードによって聴こえ方が違ってくるような録音はダメなんだろうね。ラジカセやシステムコンポでもアーティストの本質が伝わるように作ってある、というと聞こえはいいけど、要はただのマーケティングの産物。最高の品質のものを聴き手に届けるんじゃなくて、「この聴き手なら、この程度の音でいいだろう」と。そこらへんの姿勢って、一部のJ−POP系に共通のものだよね。この人たちはもちろん、そんなつもりはないだろうけど、そういう聴き手をナメたような考えは大嫌い。

◎ボブ・ディラン「イッツ・オール・オーバー・ナウ、ベイビー・ブルー」(ロイヤル・アルバート・ホールのライヴヴァージョン)

広瀬 ……いや、すごいね、ディランは。ラジカセだと一層痩せこけてる感じが強調されて、戦慄さえ走る。俺、ここは、断然ラジカセ擁護に回る(笑)。吹きっさらしの中、ギターとハーモニカ、そしておのれの声、他に世に頼むものなしって感じじゃん。……「何かをなし遂げるためには三つの条件が要る。若いこと、貧乏なこと、無名であること」なんて言葉を思い出すな。

小野島 毛沢東ね(笑)。

広瀬 そう。「新しくマッチを吸って、新しくはじめよう、すべては終わったのさ、ベイビーブルー」。諸君、この声を聴いたらラジカセを持って家出しよう。私の結論はこれ(笑)。ロックンロールに関わる人間は、常に瀬戸際の人生を歩まねばならないってことだよ。

小野島 (笑)ラジカセからボーズぐらいまでは、明らかに音楽の力の方が圧倒的に強いよね、機器の実力よりも。JBLぐらいになってちょっと見合ってきて、B&Wになると完全にディランの力を受けとめてる感じになる。そういう意味では確かに高くなればなるほどいい音で鳴る。ただ、問題はそういうことではないんだよ。ラジカセが何故こんなによく聴こえたかというと、例えば地方から上京してきた青年が四畳半の汚いアパートでこの曲を聴いて、俺もギターを手にとって弦を張って歌わなきゃっていう、そういう気にさせるパワーがあるわけ。そういう喚起力がラジカセにはある。でも、グレードが上がるにつれ、だんだんディランの音楽を「鑑賞」するという感じになってくる。B&Wで聴くと、ディランが足でリズムをとってるところとか、息がパッとマイクにかかるところとか、生々しいノイズまで全部拾ってて臨場感がすごいんだけど、なにかを喚起されるというより、距離を置いて鑑賞してる感じなんだね。ラジカセだとやっぱり何か行動しなきゃいかんと思わせてくれる。

広瀬 まさに! その通りですね。

小野島 音数としては声、ギター、ハーモニカの三つしかないし、ましてやこんだけニュアンス詰まりまくった音楽だったら、どんな機器で聴いても良いわけだけど、そうなると、あとは音楽に何を求めるかにかかってくるんだね。だからラジカセでこれを聴くのもよし。ただ、ラジカセの場合、聴いてるだけじゃダメで、自分で「行動」しなきゃ。一方、暖かいぬくぬくとした部屋でディランのすばらしいニュアンスに富んだ歌を「鑑賞」したいならB&Wにしなさいと。

◎U2「ビューティフル・デイ」

小野島 これは普通にいい曲だし、演奏も録音もいい。だから、どれだけ喜びに満ちた解放感を味わわせてくれるかということに尽きると思う。で、予想した通り、機器のグレードが上がるごとによくなっていくという感じがあったね。

広瀬 うん、あった。

小野島 ラジカセだと声にアジャストした感じで、ロックというよりは歌というニュアンスが強く出る。それはそれでボノは歌がうまいし、ニュアンスも出せる人だからちゃんと聴いていられる。ただ、いかんせん伝えきれないものが多すぎる。で、ボーズになると、エレキの音が前に出てきて、バンドっぽくなる。解放感もそれなりに出てくるし、空間の広がりも出てた。でも、やっぱりちょっとスケールは小さい。JBLになると、さっきのストーンズと同じように、ようやくこの曲でU2がやろうとしてることが伝えられるようになったという感じ。最後のB&Wは、すべての面でスケールが大きい。ボノが膝で叩くタンバリンの音とか、そういう細かい音まで拾ってる。で、音が歪まないから音量をどんどん上げたくなる。ストーンズだとやっぱり歪みが目立っちゃうから、B&Wであまり音量を上げるとつらいけど、U2はそんなことないから、実に気持ちよく聴けたね。

広瀬 うん。でも、U2の音楽って、どうしても理念先行で、頭でっかちな部分があるでしょう。上位のシテスムで聴くと、作者の意思がいやというほど伝わってくる分、どうもボノの歌が、説教臭くてしょうがなかったんだけどなあ。ボーズぐらいだと、音として聴いてられる面が強いんだけど、最後のB&Wは、同じ説教の繰り返しというか、「言いすぎてる」ような感じしなかった?

小野島 でも、U2がまさにそういうバンドなのは周知の事実でしょ? 饒舌だと感じるのなら、それはアーティストの本質をきちんと伝えているということで、オーディオ表現として優れてるってことだよ。まあ言いたいことは分かるけど、それは君の音楽の好みの問題(笑)。

広瀬 はい、どうもすみません(笑)。じゃ、全体総括にいきましょうか。

小野島 一般論からいえば、録音が新しくて良いものほど、高価なシステムで聴くといい音がする。ただ録音が古くてよくないものや、新しい録音でもラブ・サイケデリコみたいに明確な意図を持ってある層に向けてアジャストした作り方をしてる音楽は、高性能なシステムがいいとは一概に言えないね。

広瀬 じゃ、パーソナル・セレクトとしてはどれを選ぶ?

小野島 普通に考えると、この四つの中ならデノン+JBLの組み合わせだろうね。このレベルで初めて音楽のニュアンスとか、アーティスト側が意図して音に込めたものが再現できるという意味で。その上の三百万円の組み合わせになっちゃうと、サラリーマンが一回のボーナスで買える額じゃなくなる。勿論高くなればなるほどそれなりのメリットはあるけど、五十万から三百万の、その差二百五十万ほどの音の差があるか考えると、無理には勧められないよね。でも、三百万だともう完全に趣味の領域だし、趣味にコスト・パフォーマンスなんて関係ないわけで(笑)。出せる人は出した方がいいとも言える。ただし、ラブ・サイケデリコはそんな変わりませんよと(笑)。ストーンズはかえってアラが目立ってよくないかもしれないですよと(笑)。

広瀬 でも、趣味の領域に入ると、ある種“業”みたいなものも関係してくるからさ。三十畳ぐらいの広さのゴージャスなリビング・ルームで三百万円のシステム鳴らすんじゃなくて、四畳半のアパートにジェフ・ロゥランドとB&Wを置いちゃうようなのが真の趣味の姿だと思うんだけどね。で、普段は、パンの耳かじって、血を売って生活してるとかさ。

小野島 ……それ、君の実生活そのもののような気がしないでもない(笑)。

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