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ミッシェル・ガン・エレファント『“THEE MOVIE”-LAST HEAVEN 031011』

ミッシェルガンエレファントの解散ライヴの映画『“THEE MOVIE”-LAST HEAVEN 031011』を、東京池袋・新文芸坐のスタンディング&発声可能上映で鑑賞。

 公開時に関係者にいろいろ取材して、パンフの原稿も書いた。大画面で見るのはその時の試写以来だ。大きな画面で20年前の彼らの姿を見るのはとても感慨深かったが、映像以上にグッと来たのが音響で、オノセイゲンがこの作品に合わせ会場の音響を入念に調整した結果、臨場感がハンパないことに。あの頃の幕張メッセの広い会場にミッシェルの爆音がワンワン反響してる感じがびっくりするぐらいリアルに再現されてて、すっかり忘れていた当時の記憶や皮膚感覚が克明に蘇ってきて、それと共に付随するいろんな個人的思い出が次々と引き出されて、なんともエモい体験になった。昔、大学のクラス会にウン10年ぶりに出席した時、同級生たちの顔を見てもあまりピンとこなくても声を聞いて昔の記憶ーー教室でみんながガヤガヤしてる時のこととかーーがまざまざと思い出されたことがあって、音はヴィジュアル以上に人の記憶を喚起しイマジネーションを刺激するのかもしれない。今はPA機材や音の調整のノウハウも進化してるだろうから、幕張メッセももっといい音響で聴けるだろうけど、ミッシェルの解散ライヴは、あのモワモワした音と共に記憶されている。

 これが4人が揃った最後のライヴだった。これでおしまいだというのに感傷的なことは一切言わないストイックなライブだけど、そのわずか20年後にメンバーのうち半分がいなくなるなんて、メンバー自身だって想像しなかったろう。でも映画俳優なんかもそうだが、こうして映像が残っていればその肉体が滅んでもいつでも若い頃の彼らに会える。そして重要なのが、ちゃんとフィルムに撮って残していたこと。これがビデオだと画質面で映画館で上映するなんてとても無理なわけで、こだわりをもってフイルムで記録を残そうとしたスタッフにミッシェルは恵まれていたということだ。それを我々は感謝しなきゃいけない。

 アベフトシの目はすわっているというか表情がないというか底なし沼を思わせるような虚無を感じたけど、ミッシェル・ガン・エレファントじゃないアベフトシなんて存在しない、と言い切り、ただ気の合う仲間たちと一緒にギターだけを弾いていられればいい、ほかには何もいらない、といつも言っていた彼は、ミッシェル解散の時にすでに命が尽きていたのかもしれない……などと感じた。

(2009年公開当時、映画宣伝用に書いた文章)

 まるで立ち止まることが即座に死に繋がるとでも言わんばかりに、骨が砕け散り心臓が破裂するそのときまで、全力で走る。切れ味鋭いギター・リフで押して押して押しまくり、性急なビートで突っ走り続ける。激しいギター・カッティングの末、弦から白煙が舞い上がり、あたり一面を覆いつくしていくような混沌とした熱気に包まれる。感傷に浸り込んだり自己憐憫に愛撫されるヒマはない。甘ったるいメロディもヤワなバラードもいらない。うわべだけ取り繕った言葉も必要ない。ダサいのや古臭いのや野暮なのもゴメンだ。あくまでもスマートに、モダンに、しかも出し抜けに往復ビンタを食らわすようなインパクトがなにより重要だ。汗がしたたり落ち、海から上がったように全身がぐっしょりとしても、黒い細身のモッズ・スーツだけは手放さない。

 私はミッシェルの連中と、いつもおそろしく濃密な会話を交わしていた。コトバじゃない。空気を震わせる音を、そこに込められた思いを、私はいつもライヴ会場で感じていた。それは私が今まで彼らと交わしたどのコトバより強く重かった。彼らはコトバで語らない。すべてを音に託していた。ギリギリまで煮詰められ、濃縮された思いは、すべて音楽に集中している。だからこそ、その音は息苦しいほど濃密で重い。百万語を費やして語り明かした他人よりも、私は彼らとのコトバなき会話を信用していたのだ。

 彼らにとって長い長いツアーは、よくあるルーティン・ワークの連続ではなく、生きること、生活することと直結していたはずだ。まるで息をするように、食事をするように、睡眠をとるように、誰かを愛するように、ごく当たり前のように生きる営為のひとつとして、彼らはライヴをやり続けていた。その日々の集大成が2003年10月15日、幕張メッセでのラスト・ライヴだったのだ。いつでもどこでも手抜きすることなく精一杯のライヴをやり続けた彼らは、おそらく生きること、生活することにもいつだって全力投球であったはずだ。一瞬も立ち止まることなく、澱むことなく、つねに動き続け、走り続ける。今日できることを決して明日に延ばさない。宵越しの金は持たない。お釣りのある人生なんてまっぴらだ。いつでもその瞬間その瞬間で燃焼し尽くす。だからこそ、今、ここで命が尽きようとも、世界の終わりが来ようとも悔いはない。ラスト・ライヴ2時間強。私は、この日ほど最強のビート・バンドの最強の演奏に包まれる悦楽と幸福を感じたことはなかった。

 ミッシェル・ガン・エレファントとは、<青春>そのものであった。彼らのたたずまいや生き様には、どことなく青年期的な「青さ」「甘さ」「脆さ」があって、ミッシェルというバンドに永遠に成熟しない、完成しない、、一種のモラトリアム的な弱さと、それゆえのかけがえのない輝きと魅力を与えていたと思う。私もあなたも、その青い時を彼らとともに生きていた。

 だが青春はいつか終わる。終わるからこそ青春なのだ。私の、そしてあなたの青春が完結する瞬間が、ここに克明に焼き付けられている。

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