[追悼 PANTA] PANTA & HAL『1980x』ライナーノート(2004年)
PANTA & HAL 『1980X』2004年再発盤のライナーを再掲する。当時、当然ご本人もチェックのため読んでいるはずだが、それに関する感想はお聞きしたことがない。パンタさんご本人には何度も取材したが、自分の仕事としてはこれが一番印象に残っている。文末に、2018年11月におこなわれた<『マラッカ』『1980x』再現ライヴ「PANTA & HAL EXTENDED」>を見た時にFacebookに書いた感想を転載しておく。この時にバックヤードでご挨拶したのが、パンタさんに直接お会いした最後になった。
パンタ、山口冨士夫の2人が、私がまだ10代の頃に好きになり、心の底から凄いと思った日本のロック・アーティストだった。パンタさんは今でも私にとっては心から尊敬できる、特別な人である。20代以降も素晴らしい音楽家は年上年下を問わずたくさん知ったけど、10代の頃に出会った人は別格。
心からご冥福を、なんて通り一遍の言葉では言い尽くせない。
ありがとうございました。
PANTA & HAL 『1980X』2004年再発盤ライナーノート
パンタには、都市のイメージがある。
雨が降りつづきくすんだように烟る風景。夜明け前のトワイライトに浮かぶ街並み。ビルとビルの合間にうち捨てられた靴。ゴミ捨て場に群がるカラス。路上で眠りこける酔っぱらい。小走りに駆け抜ける鼠。輝きを失ったネオンサイン。いつ果てるともなく続く工事渋滞。地下に通じるさびれたクラブから漏れ聞こえるソウル・ミュージック。
たとえば映画監督の塚本晋也は、都市生活を送ることで自分の肉体や現実や、生や死さえも曖昧な感覚に陥ってしまうことがあって、だからこそに激しい痛みによって生の実感を得ることが必要なのだ、と言う。だがパンタの描く都市は、むしろそうした夢の中にいるような曖昧な感覚の心地よさを感じさせる。アスファルトやコンクリートに囲まれたジャングルを、取り澄ました笑いの止まらないクールな都会の景色を描いても、そこにはロマンティックで美しく、優しく温かいイメージさえ、ある。それは、冷たい機械の固まりであるはずのバイクやクルマやカメラやレコード・プレイヤーに、むしろ安らぎやロマンやエクスタシーを感じる心根に通じるものがあるのではないか。
本作『1980X』はそうしたパンタらしさがもっとも純粋に結晶した作品である。ここに描かれている25年前の都市の風景は、いつまでもその瑞々しい輝きを失わない。
『1980X』はPANTA&HALの2作目であり、パンタにとっては頭脳警察解散後の4作目、頭脳警察以来数えて10枚目にあたるアルバムである。1980年3月、ビクターの社内レーベルであるフライング・ドッグからリリースされている。プロデュースは前作『マラッカ』に続きムーンライダーズの鈴木慶一。HALのメンバーは前作の今剛g、平井光一g、村上元二b、浜田文夫dsから今剛と村上元二が抜け、代わりに長尾行泰g、中谷宏道bが加わっている。ジャケット裏でパンタがまたがっているのは、当時発売されたばかりのドゥカッティの新型「ドゥカッティ500パンタ」である。
アルバムの内容について述べる前に、本作がどのような時代背景のもとに生まれたか記しておこう。
79年1月:国際石油資本が日本に原油供給削減を通告(第2次オイルショック)
5月:英総選挙で保守党圧勝、サッチャー内閣成立(先進国初の女性首相)
10月:朴正煕韓国大統領が射殺される。
12月:アフガニスタンでクーデター、アミン革命評議会議長処刑、ソ連軍が侵攻。
80年5月:韓国全土に戒厳令。金大中ら反体制派大量逮捕。デモ隊占拠の光州市に国軍が突入、死者193人(光州事件)。
6月:内閣不信任案成立で衆院を解散した大平正芳首相が急死、総選挙で自民党圧勝。
7月:モスクワ・オリンピック開催。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して日米中独などがボイコット。
9月:イラン・イラク戦争勃発。
11月:川崎市で浪人中の予備校生が両親を金属バットで殴り殺す。
12月:ジョン・レノンがニューヨークで射殺される。
ソ連のアフガニスタン侵攻、光州事件、イラン・イラク戦争、金属バット殺人事件(犯人はパンタの高校の後輩)、ジョン・レノン射殺……時代が確実にきな臭い方向に向かっていたことが理解できるだろう。
さらに音楽的にも、米英発のパンク/ニュー・ウエイヴ・ムーヴメントがシーンに革命を起こしつつあった時期である。ザ・ポップ・グループ、ジョイ・ディヴィジョン、スペシャルズ、PIL、スロッビング・グリッスル、バウハウスといったバンドが従前のロック的価値観をひっくり返し、さらに日本でもこれを受け東京ロッカーズと言われるストリート発のパンク・ムーヴメントが浮上し、フリクション、リザード、P・モデル、ヒカシュー、プラスティックス、アナーキー、アーント・サリーなどが次々とデビュー、じゃがたら、スターリン、INUなどが活動を開始、RCサクセションやYMOといった人たちがブレイクしつつあった。
これらすべてが79年から80年にかけて起こった。『1980X』は、まさにそんな時代に作られた作品なのである。
中東(ネフード砂漠)→南アジア(マラッカ海峡)→東南アジア(南シナ海〜北回帰線)→東京と連なる日本のオイル・ロードをテーマにした前作『マラッカ』は、前後して第2次オイル・ショックがおこり、四半世紀がたったいまもなお政情不安定な中東の産油国の動向に世界中が翻弄されている現実を考えれば、じつに予言的な作品であったと言える。恋人を追いかけて中東から東南アジアとオイルロードを遡る難民船に乗った主人公は、騒乱の季節を経て裸にされた街にたたずむ。その街「東京」が『1980X』のテーマである。
『マラッカ』発表直後のインタヴューでパンタは、『マラッカ』で一旦外に出たから、次回のアルバムは東京に向かうべきだ、と語っている。だが当初はここで『クリスタル・ナハト』が制作されるはずだった。ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(注1)は、もちろん対岸の火事ではなく、南京・重慶大虐殺という過去を持つわれわれすべてにとっての「鏡」であることは言うまでもない。パンタは「Kristal Nacht」をテーマとすることで日本〜東京の暗部を逆照射しようとしたのである。
『クリスタル・ナハト』のために40曲近くの新曲が作られ、そのなかには『TKO NIGHT LIGHT』に収められた「フローライン」などもあったようだ。これが実現していれば『夜と霧』(注2)日本版のような作品が生まれたかもしれないが、結果的に『クリスタル・ナハト』構想は実現することなく、「東京」というテーマだけが残った。
タイトルの『1980X』とは「X-DAY」つまり昭和天皇崩御の日である。天皇制問題は先の日本の暗部に繋がる重要な案件だ。当初はそのものずばりの「X-DAY」という曲もあり、アルバム・タイトルにもしようという案もあったらしいが、パンタには天皇制やXデイについて踏み込んで取り扱うつもりはなかったようだ(注3)。結果、Xデイも天皇もあくまでも東京という街の一断面を描くトピックとして扱われることになった。「臨時ニュース」がそれである。
「『1980X』については、メインはあくまで<東京>だよ。天皇制も大きく関わってるけど。東京の<裏>だね。大きく俯瞰で捉えたものではない。ビルの路地裏の、ほんの一瞬をスライスしたものだね。インターナショナルな国家としての東京、その裏の一断面。その辺を、やりたかったんだ」(PANTA『歴史からとびだせ』より)
ここで描かれているのは前述の通り、パンタの見た都市=東京である。なにげない街角の風景から都市の孤独を描き出す「トゥ・シューズ」、ストーカーとかパパラッチという言葉が一般化した今こそリアルな「モータードライヴ」(モータードライヴ音はジャケットを撮影した鋤田正義氏によるもの。ちなみに頭脳警察初期に作られた曲らしい)。「臨時ニュース」と、続く「Audi 80」はともに、『クリスタル・ナハト』構想の残滓を感じさせる曲である。「Audi 80」は、77年のシュライヤー事件(注4)にヒントを得ている。「モータードライヴ」以降の3曲はメドレーで演奏され、きな臭い匂いがどこからともなく漂い、不吉な暗雲が空を覆い尽くす当時の世相の空気を、その歌に呼び寄せずにはいられない。パンタはこの時期、天皇崩御が近いことを予感していたというが、それこそが時代をキャッチするアンテナとしてのパンタの直感だろう。まさに「生まれながらに騒動を引き起こす男」(平岡正明)である。
世界初の試験管ベイビーとして知られるルイーズ・ブラウン(注5)をモチーフにした「ルイーズ」、都市の闇を跳躍する男たちを描く「トリックスター」、胸躍る都会の夜を歌った「キック・ザ・シティ」、高度情報管理社会の恐怖を描いて今に通じる「IDカード」(2525とはパンタの生年月日である昭和25年2月5日のこと)、映画の一場面のような少年犯罪の現場を描いた「ナイフ」と、幾重にも折り重なったトウキョウの実相、善と悪、静寂と喧噪、清純と汚濁、平和と危険、美と醜が同居するこの都市の魅力をスライスする手口の鮮やかさには感嘆させられる。
そして残る一曲「オートバイ」は、パンタのもうひとつの顔である機械、モノへの偏愛があらわれた曲。これが鈴木慶一の作詞曲だというのは面白い。
だが本作の何よりも大きな魅力は、その引き締まったシャープでタイトでソリッドなサウンド・プロダクツにある。それまでのハードなロッカーのイメージをかなぐり捨て、サンバ、ガムランやレゲエなどで新境地を開いた『マラッカ』から一転して、一切の贅肉を削ぎ落としたストイックなロックで迫る本作は、もちろんパンク/ニュー・ウエイヴの時代で大きく変わりつつあったシーンの気分を的確に反映したものになっている。「トゥ・シューズ」での鋭利なニュー・ウエイヴ的感覚、「モータードライヴ」から「Audi 80」に至るスピード感は、『マラッカ』にはなかったものだ。パンタは『マラッカ』について"自分がアレンジに口を出すと、それまでのアルバムのように必ずこんがらがったサウンドになるので、今回はそれをやめた"と語ったらしいが、そうした一種の整理されたアンサンブルは、本作でいっそう突き詰められたと言っていいだろう。歌詞もサウンドの変化に見合って言葉の響きや語呂合わせ的な部分に重点が置かれており、その結果前作の濃厚なドラマ性というよりもっと映像的なインパクトを与えるものになっていて、本作のコンセプトには効果的だ。
ただしこのソリッドなロック・サウンドは、HALというバンドにはどうも合っていなかったようにを思える。それがはっきりわかるのはこのあとに出たライヴ・アルバム『TKO NIGHT LIGHT』だ。『1980X』の曲はどれもスタジオ盤ほどのスピード感やソリッドさに欠け、やや冗漫な演奏になっている。ギター・ソロなどいかにも古色蒼然としていて、曲調のパンク/ニュー・ウエイヴ的な先鋭性とまったく合っていないのだ。基本的にフュージョン・バンドであるHALは、『マラッカ』のようなサウンドならはまるが、『1980X』のようなストレートなロック・アルバムでは決定的にハードさに欠ける。それが本作ではほとんど気にならないのは、当時のパンタの充実ぶりと、鈴木慶一のプロデュース・ワークゆえだろうが、結局はここでの齟齬が、HALの解散の遠因となったと考えられる。(注6)
『1980X』は、80年代初頭に発表されたあらゆるロック・アルバムのなかでも、もっとも鮮烈な印象を与えた作品のひとつだ。本作が前作『マラッカ』と並ぶパンタの創作上のひとつのピークにあることは疑う余地もない。結局7年後の87年になるまで制作されることがなかった『クリスタル・ナハト』をパンタ+HAL+鈴木慶一というコラボレーションで聴きたかったという思いは残るが、世界が激動し、ロックが急激な変革期を迎えていたこの時代に、これだけの傑作が、ほかならぬトウキョウから生み出されたことを、ぼくは心から誇りに思う。
注1)「Kristal Nacht」は、1938年11月8日、ナチス党員によるユダヤ人商店街襲撃の夜のことを指す。この夜を境にユダヤ人へのホロコーストが始まった。
注2)ポーランドのワルシャワ近郊にあるアウシュヴィッツ強制収容所に囚われたユダヤ人心理学者ヴィクトール・E・フランクルの体験にもとずくホロコーストの記録。後にアラン・レネによって映画化された。
注3)筆者が98年におこなったインタヴューで、天皇制や南京大虐殺といったテーマを直接的に取り上げない理由として、パンタは次のような発言をしている。
「そうすると真っ向から政治とぶつかることになるんだよ。アルバムを出すうんぬんより、そっちの作業のほうに90何%とられることになる(笑)。ミュージシャンとしての活動よりも、政治活動家に近くなってくる。取材もちゃんとしなきゃならない。そこまで真剣に取り組む気力があれば、やるよ。ただ、そういうことを真正面から取り上げてる人はたくさんいるし、あえて音楽のテーマにすることはないと思う。それに、俺の仕事はロックだからさ」
注4)ドイツ赤軍派グループが、西ドイツ工業連盟会長ハンス・シュライヤーを誘拐、獄中の同志バーダー=マインホフら4人の釈放を要求するものの拒否され、さらにドイツ政府が獄中の4人は「自殺」したと発表したので、報復のためシュライヤーを殺害したという事件。シュライヤーの死体が発見されたのがアウディのトランクだったという。獄中の4人はドイツ政府によって殺害された疑いが持たれており、当時の左翼反体制運動に対する国家的弾圧の一典型とされる。
注5)78年英国生まれ。今はブリストルの郵便局員として働いているらしい。現在まで試験管ベイビーは世界で100万人を超えている。
注6)「もともと(HALは)音楽的な指向性で集めたグループじゃないんだよね。人間関係で芋づる式に出入りして、そういう連中の音楽、それをどうやってクロスする部分を増やしていくかっていうのが、パンタ&HALの作業だった。(中略)でも、クロスする部分を増やしていく作業が、だんだん妥協の産物にすぎないようになってきて、(中略)それで、自分でもこりゃダメだって結論を下した」(『歴史からとびだせ』)
2004年4月6日 小野島 大 Dai Onojima
PANTA & HAL EXTENDED @ ビルボード東京 (2018年11月3日)
パンタ&HALのロック史に残る大傑作アルバム『マラッカ』(1979)『1980X』(1980)(いずれも鈴木慶一プロデュース)の再現ライヴ。PANTA & HALの再結成ではない。だが最高だった。
PANTA(Vocals)
岩崎なおみ / Naomi Iwasaki(Bass)
柏倉隆史 / Takashi Kashikura(Drums)
西田修大 / Shuta Nishida(Guitar)
菊池琢己 / Takumi Kikuchi(Guitar)
中山努 / Tsutomu Nakayama(Keyboards)
上野洋子 / Yoko Ueno(Chorus)
Guest:
今剛 / Tsuyoshi Kon(Guitar)
平井光一 / Koichi Hirai(Guitar)
浜田文夫 / Fumio Hamada(Drums)
Director:
鈴木慶一 / Keiichi Suzuki
岩崎(Controversial Spark)、柏倉(toe)、西田(吉田ヨウヘイgroup )は今回加わった新メンバー。菊池、中山は長年パンタと一緒にやっているメンバー。上野さんはzabadakの上野さん。
で、ゲストの3人がオリジナルのHALのメンバー。だけど、リズム隊とギターを若いメンバーに任せたのは大正解だった。
演奏そのものはほとんどレコードと同じアレンジだったけど、かれこれ40年近くも前の曲とは思えないリアリティと瑞々しさが圧倒的だった。洗練と荒々しさが同居したアレンジ、2018年のニッポンの今を40年前から照射していたとしか思えない予言的な歌詞の生々しい時事性と、サウンドのモダンさ、本当にありきたりな言い方になるが、今でも全く古びていない楽曲の良さは驚異的。それというのも、全然衰えてないパンタ(68歳)のヴォーカルと、若い3人のメンバーによる新しい解釈と圧倒的なエネルギーによって、40年前の楽曲は瑞々しく生々しく強靱でしなやかな、現代の表現として蘇ったのである。特に柏倉のドラム・プレイはバンド全体を加速していた感があり、素晴らしいの一言。
『マラッカ』も『1980X』も、私が青年期にもっとも回数多く聞いたアルバムだ。この日のライヴを見て私が思ったのは、しかし、断じて「あの頃が懐かしい」「あの頃は良かった」的なノスタルジーではなく(私はそういうのが大嫌い)、40年前に自分が熱狂しのめり込んだ音楽は全く間違っていなかったという確信だった。
もちろん今の若い人がPANTA & HALの曲を聴いてどう思うかは全くわからない。でもいずれにしろ当時のパンタの音楽は、もっともっと高く評価されるべきだと考える。パンタさん自身が全く欲のない人で、若い人に評価されたいとか受けたいとかカリスマとして振る舞いたいとか、そういう政治的な動きを全然しないし、しかもここ最近まともなオリジナル・アルバムを出してないので、今のシーンに繋がるものがなく、『マラッカ』や『1980X』の価値や意味がほとんど今に受け継がれずにきている。それはあまりにも残念すぎる。
来年は頭脳警察の50周年らしいけど、それに向けてなんとか「パンタ再評価」の波を起こしたいと考えた次第。
パンタのアルバムはSpotify等のサブスク・サービスで聴けるので、もし万が一聴いたことがないという人がいたらぜひ。全く私の勘でしかないが、HALのライヴはこの日限りではないと思っている。
終演後に楽屋でパンタさんにご挨拶したけど、たぶんオレのことは全然覚えてないねw 何回か取材してるんだけど。そういえば高橋幸宏さんも何度取材しても全然覚えてくれないねえw
よろしければサポートをしていただければ、今後の励みになります。よろしくお願いします。