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「私の愛した少女小説」とは何か。

前回の某居酒屋にて、図らずも放ってしまって一堂を困惑させた迷言「ねえ待って? 私ああいう少女小説を愛してた人になるの?? そういえば???」なんですが。
今冷静に振り返ると、「間違っていないけれど言葉が足りないな」と思ったので、この機会に「私の愛した少女小説」とはなんだったのかを振り返りたいと思います。

覚えている限り、最初に触れた少女小説はコバルト文庫の氷室冴子先生の作品たちです。なんでかというと、祖母の家にいっぱいあったからです。
「なんて素敵にジャパネスク」「少女小説家は死なない!」「雑居時代」などなど、元気で可愛くてちょっぴり切ない少女たちの夢と希望がいっぱいの作品群。
なのですが、個人的に印象深いのは「さよならアルルカン」だったりします。他の作品とは毛色の違う、スクスクと伸びていくはずだった少女の感性が摘まれていく展開になんともいえないやるせなさを覚えつつも、あの作品から受けた傷はいまだに更新されることなく私の中にあります。

同じ時期に赤川次郎先生の作品も大量に読みました。なんでかというと、祖母の家にいっぱい(略)
赤川先生といえば「三毛猫ホームズ」に代表される、軽妙なやり取りが魅力的なユーモアミステリーという印象が強いと思います。もちろん、その系統の作品も大好きです。
なのですが、私が赤川先生の作品で一番印象に残っているのは「白い雨」「魔女たちの長い眠り」路線なんですね。いずれもラストで思いきり斬り付けられたショックがいまだ癒えておらず(略)

この時期は少女漫画も大量に読んでいました。それも、おそらく「学園」成分も「恋愛」成分も薄いものが大半だった気がします。「りぼん」も「なかよし」も「チャオ」も購読しておらず、母が買ってくる「花とゆめ」ばかり読んでいたから……当時の「花とゆめ」の掲載作品はとてもジャンルが多彩で、男性主人公のものも多く、現在とはかなり雑誌のカラーが違っていました。

思えば私がまだ少女だった頃、いわゆる「少女小説」「少女漫画」はジャンルの線引きが曖昧でした。「主役が少女」「書き手が女性」「この文庫、この雑誌に載っていれば少女向け」みたいなノリだった。

ホラーが少女向けの一大勢力だった、ということも関係しているかもしれません。「スケバン刑事」「ブルーソネット」が「少女漫画」なのは、載っているのが一応少女向けということになっていた「花とゆめ」だったからにほかならない、と思います。今読み返すとどう考えてもハードボイルドだしSFだし、和田慎二作品に幼い頃から原液で触れると性癖が曲がるんだよ。

……話が逸れましたね!

つまり、私にとっての「少女小説」というのは、「何が飛び出してくるか分からないびっくり箱」でした。頁をめくるたび、キラキラした学園生活も出てくれば、胸が詰まるような陰惨な事件も出てくる。そのコントラストこそが、一番魅力的だったのだと思います。甘い物を食べた後は、からい物も食べたくなるじゃん??? な???????

現在の「少女小説」「少女漫画」は、ある意味正当な評価を得た作家や作品が他ジャンルに吸収されていった結果、「少女だけが好むもの」が極限まで凝縮されている状態になっていると思います。それもおいしくいただくのですが、私の中の天邪鬼で飽き性な部分がたまに暴れ出すことがあって、「こういう話も含めて読める少女小説が好きだったな」という気持ちで合同誌にて「白き寿ぎ」を書いた次第です。

※合同誌の通販については、またアナウンスがあると思います。その際はこちらでもご案内します。

またこういうのも書きたいなと思いつつ、そればっかりだとどうせまた飽き性が顔を出すので、今後もいろいろな作品を平行して書いていくことになると思います。今回は路線が合うな、と思ったら、お付き合いいただければ幸いです。

気楽に読める明るく元気な話としては、個人誌も出しております。こちらも通販を行っておりますので、どうぞよろしくです~。


小説家。「死神姫の再婚」でデビュー以降、主に少女向けエンタメ作品を執筆していますが、割となんでも読むしなんでも書きます。RPGが好き。お仕事の依頼などありましたらonogami★(★を@に変換してね)gmail.comにご連絡ください。