見出し画像

ボランティア精神はない

自然災害があるとボランティアの皆さんが活躍する。
その活躍を称賛するような記事はとても大事だと思うのだけど。
実はそんな記事に紛れてずるいなぁって思っていることがある。
海外では子供の頃からボランティアに参加していて、当たり前に受け入れられているけれど、日本人は慣れていないこともあってボランティアに積極的ではないみたいな記事が必ず紛れてくる。
物は言いようだなぁって思うというか、ずるいなぁって思っている。

というのも僕はむしろ日本はボランティア大国で行き過ぎていることの方が問題なんじゃないかなぁって思っているからだ。
ただ本人たちがボランティアという言葉で動いていないだけで。

例えば町内会なんかがお祭りの準備をしたりする。
学校に行けばPTAなんかの保護者会が何かあるごとに駆り出される。
放課後の部活動の顧問をしている教師たちがいる。
そういうことの全てが恐らく海外からみればボランティアだ。
対価を求めず奉仕活動をしている。
なんだったらそういうことを信じられないほど情熱的に一生懸命に取り組む。

サッカー観戦後のゴミ拾いなんかが世界で絶賛されたりする。
巨額でアーティストを呼ぶフェスのスタッフがボランティアだったりする。
何億もかけた映画のエキストラまでボランティアだったりする。
小学校の頃から教室の掃除は自分たちでやるでしょ?
その映像をみて中国ではすごい!って大騒ぎしてたりする。
だって掃除は外注して業者がやるものなんだから。
自分の教室ぐらい自分で掃除しなさいっていう日本人の考え方に感動した!みたいなコメントが並ぶらしい。
その掃除に使う雑巾すら、母親が作ったのを持参している。

日本人はそんなことが子供の頃から染みついているから当たり前のことだよって思っている。
だから、とりたててそんな当たり前のことに名前が付いていない。
ボランティアっていう名前が付いていないだけ。
人に頼まれたら、乗り掛かった舟だから、俺しかいないんだろ、色々な理由が重なって幹事だってなんだって引き受ける。
そして、そんな活動が嫌いじゃないっていうか、好き。

そんなことは皆知っていて。
そこに問題もあるんだぜってことも知っている。
誰かに負担が行っているっていう問題定義の記事も出る。
でも同じメディアでボランティアが定着していない国とか書き始める。
それはさ、ずるいよ。やっぱ。
もちろんボランティアが足りないことってあるんだと思うの。
それを批判するのは難しいからって日本人には定着していないみたいなことを常識っぽく書くわけでしょ。
普通に手が足りてないんですって書けばいいのにさ。
有名なボランティアの人が日本中に足を運ぶらしいけれど、そういうことじゃなくて近くの人で手を貸せる人は普通に手伝っちゃうと思うのだよ。

戦時中に奉仕活動なんて言葉が悪いイメージになっちゃったからいかんのかな。
まぁ、奉仕って言えば奉仕なんだろうけれど、それとも違っている。
要するにお人好し活動というか、そういうやつ。
よく外国人旅行客が財布を落としても戻ってくるって騒ぐやつ。
OMOTENASHIって言えば、まぁ、それなのかもしれない。
最近になってやる気搾取なんて言葉が生まれたけれどもさ。
まぁ、誰かがやってくれる状態が当たり前になっちゃうのはやっぱり問題があるんじゃないかなぁと思うよ。
ただ働きだし、本来外注される業者も困るし。
とは言え優しい文化ではあるし、美しいとも思うのだけれど。

日本語でボランティアはやっぱり奉仕活動なのかな。
でも誰かに強制されるイメージとも少し違うよね。
むしろ共生のイメージだよ。
自発的なこともあるし、同調圧力のこともある。
とりあえず僕にはしっくりくる言葉が思い浮かばない。

とにかく当たり前すぎてそれに当たる言葉がない。
ボランティア精神なんて言葉が生まれるよりも肌にしみついてしまっている。

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。